茨城県自然博物館 『 鉱物、大好物展 』







     茨城県自然博物館  『 鉱物、大好物展 』

1. 初めに

    2012年の冬は例年になく寒く、暖かいとされる千葉県でもミネラル・ウオッチングに行こ
   うという気にならなかった。
    たまの休みには博物館の鉱物関連の催し物に行ってみようかとインターネットで調べて
   いると、茨城県自然博物館で『 鉱物、大好物展 』が2012年1月28日から2月19日まで開
   催されるとあった。
    北関東で開催される骨董市に合わせて、終了間際の2月中旬に妻と訪れた。正式な展
   示名が『 第7回市民コレクション展「鉱物、大好物!−きらめきに魅了されて−」 』とある
   ように、一般の方々から募集した鉱物標本や博物館所蔵の鉱物コレクションなどが展示し
   てあった。

     
                ポスター              展示場入口
                      『 鉱物、大好物展 』

    小学生が河原で拾った石から鉱物の世界では知らない人がいないような有名な採掘人
   の最近の収集品、そして本業の鉱山技師としての仕事の傍(かたわ)ら収集した南部秀喜
   氏の標本とスケッチなどが展示されていた。

    私の持論は、『 鉱物採集は水晶に始まり水晶に終わる 』、だが、小学生が家の近くの
   河原で採集した石ころを見ていると、これがこの子にとっての『宝物』なんだと思い至り、
   この子が大きくなっても「鉱物」に興味を持ち続けてくれることを願っている。

    旅立ちの春、私の主催するミネラル・ウオッチングに参加したことがある子どもたちも成
   長し、立派な青年になり、社会人として働き始めたとか大学生になった、という嬉しいメー
   ルを何人かからいただいた。
    私も引き続き千葉県の会社でコンサルタントとして働かせて頂くことが決まり、新たな旅
   立ちを迎えている。
    ( 2012年2月 見学 )

2. 場所

    茨城県岩井市(現常総市)にある茨城県自然博物館で開催された。(すでに終了)
    遠方からの人は、常磐道「谷和原IC」や東北道「加須IC」からが良いだろう。東京近郊
   に住む人なら、下道でもさほど時間はかからないはずだ。

        
                地図                                外観
                               茨城県自然博物館

3. 茨城県自然博物館 『 鉱物、大好物展 』

    市民から寄せられた約250点と博物館収蔵の標本約100点が、いくつかのテーマ別に展
   展示してあった。
    市民からの標本には出品者の顔写真が入ったカードが添付されていて、採集した場所
   や採集品についての「ひとこと」が書き込んであった。

 3.1 小学生の部
      小学生が採集した標本が展示してあった。採集場所は、川原(かわら)と海岸が多い。
     川原や海岸で目にするのは「石ころ」で、展示品のほとんどがそのような標本だった。
     それらの中で、4年前に小学5年生が近くの川原で採集したという「メノウ」が展示して
     あった。

        
                    展示全体                            メノウ
                                    小学生の部

       このコーナーには次のような説明があったので、引用させていただく。(一部表現変更)
      『 川原で石や鉱物を採集しよう
        川原には上流から流れてきたたくさんの石が転がっている。色や形がさまざまな
       河原の石をよくみていると、鉱物をみつけられることがある。
        石は鉱物が集まってできている。このような石を造っている鉱物は『造岩鉱物』
       よばれ、4,000種類以上ある鉱物のうちのわずか数十種類といわれる。造岩鉱物の
       なかでも、風化に強い石英は、川原でも比較的みつけやすい鉱物の1つだ。    』

      『 川原でみつかるメノウ
        川原でみつけられる珍しい鉱物のひとつに、メノウがある。この鉱物の見かけが
       馬の脳に似ていることから、「瑪瑙(めのう)」 と名づけられたと言われている。
        メノウは、石英の極めて細かい結晶の集合体である玉髄(ぎょくずい)の一種で
       よく縞模様がある。とても硬く丈夫なため、古くから石器や装飾品に用いられてきた。』

      『 茨城県を流れる川
        茨城県には大きな川がいくつも流れている。・・・・・久慈川やその支流の玉川など
       では、メノウが採集できる。ここは日本でも有数のメノウの産地だ。          』

      この説明にあった、玉川のメノウ産地については、下のページに紹介したことがある。

      ・茨城県常陸大宮市玉川のメノウと珪化木
       ( Agate and petrified wood from Tamagawa , Hitachiomiya City , Ibaraki Pref. )

 3.2 一般の部
      一般の部には、「茨城の鉱物」、「鉱物の骨組」、「何に見える」、鉱物の脈」そして「ペ
     グマタイト」などが展示してあった。

      
                           一般の部

      一般の部を代表する鉱物として記憶に残っているのは次の2つだった。

         
                緑柱石                   蛍石
              【花園山産】                【錫高野産】

      錫高野の蛍石は、東日本大震災がキッカケで発見されたそうで、採集者は鉱物界で
     は有名な人らしい。

 3.3 鉱物採集を楽しむために

      
                           鉱物採集を楽しむために

     鉱物採集を楽しむために必要な書籍・採集に必要な道具・採集品の記録や整理につ
    いて、展示では次のように紹介している。

     『 鉱物探しのパートナー・書籍
       鉱物採集するためには下調べがひつようだ。そのための頼もしいパートナーは書籍
      だ。産地情報を紹介したもの、コンパクトで採集に携帯できるようなハンディタイプの
      もの、採集した鉱物を調べるための図鑑など、用途に合わせて、いくつか持っている
      と便利だ。                                             』

     『 鉱物採集・記録・整理
       さあ、鉱物採集にでかけよう。自分で採集した標本には愛着がわくものだ。そして
      採集した標本は汚れを落とし、情報を記録したラベルをつくる。ラベルと標本は、セット
      にして意味をもつ。一緒にしておけば、その標本を手にとると、採集したときのことを
      思い出し、その感動を再び味わうことができる。                      』

         
                書籍類                      採集と整理用品

 3.4 鉱物採集の楽しみ
     鉱物採集の楽しみについて、展示では次のように紹介している。

     『 結晶の魅力
       鉱物の魅力は何だろう。
       まず第一に、鉱物そのものがもつ独特の色と形だ。
      天然の結晶である鉱物は、赤、白、青、緑など多彩な色をもち、透明感や光沢も多様
      で、またその形も六面体(サイコッロ型)や八面体(ピラミッド型)、六角柱状(鉛筆型)
      などじつにさまざまだ。なかには桜の花のようにみえるものもある。私たちはこれらの
      結晶から、自然が創る不思議さと奥深さを実感することができる。            』

     『 発見の喜び
       次は、鉱物を発見したときの喜びだ。
       鉱物採集では、野外で水晶、トパズ、黄鉄鉱など目的の鉱物を丹念に探す。ハンマ
      で岩石を割り、その断面に太陽光が反射して輝く鉱物(結晶面)をみつけた瞬間は、
      思わず感激してしまう。この自分で発見した瞬間の喜びが、私たちをさらに深く鉱物
      の世界へと導いていく。                                     』

     『 標本を整理する楽しみ
       採集した鉱物には採集者の思いが詰まっている。そこで第三に、この採集した鉱
      物を自分で整理する楽しみがある。
       採集して持ち帰った鉱物を、鉱物名や採集地、日付などを記録したラベルとともに
      標本箱に整理すると、自分自身の大切な「標本」になる。整理した標本は、採集まで
      の苦労や発見したときの歓喜の記憶が込められた、自分にとって大切なコレクション
      だ。                                                 』

 3.5 博物館に集う鉱物コレクション
     茨城県自然博物館では、多数の鉱物標本が多くの人から寄贈され、大切に保管され
    ている。これらの標本のいくつかが展示してあった。

     『 寄贈された標本@
       トンネル工事現場を探る
       筑波山麓を南北に貫く道路として、朝日トンネルが2012年3月開通する予定だ。この
      トンネルの掘削に伴って、緑柱石やマンガンを含む燐灰石などが採集された。   』

      
               トンネル採掘現場写真

     『 寄贈された標本A
       鉱物採集を趣味として
       休日になると、鉱物採集に出かけたくなりませんか。
       鉱物採集を趣味にしている人は多く、天気の良い日の鉱物産地では、同好の人た
      ちによく出会う。ただ、好む鉱物は人それぞれで、きれいな結晶が好きな人、大きな
      結晶を求める人、とても小さい結晶を探す人などさまざまだ。なかには希少な鉱物を
      探して発見する熟練の愛好家もいる。                            』

      
               「千葉石」と発見者・本間氏

     『 寄贈された標本D
       私の土地からみつかった鉱物
       個人の土地から産出した鉱物は、その人にととってとても身近な存在だ。
       茨城県自然博物館は、地域博物館として、鉱物をはじめ地域資料の収集に力を注
      いできた。なかでも茨城県内の標本については、鉱物産地の地元の方々にお願い
      して、寄贈していただくことがある。                             』

      
              北富田産・「紫水晶」

 3.6 鉱物の楽しみ方 アラカルト
      鉱物愛好家ひとり一人、採集(収集)対象も違えば、採集した標本での楽しみ方も違
     う。また、私のように、鉱物、鉱山に関連する切手や鉱山札・古銭などを収集する楽しみ
     もある。今回、次のような展示があった。

     ・ 見立て
     ・ 鉱石ラジオ
     ・ 郵便切手

      
              鉱物の楽しみ方 ”アラカルト”

  (1) 見立て
       採集した鉱物を料理やお菓子に見立てて、飾って楽しむ方法で、今回の展示ポス
      ターには西洋料理に見立てて鉱物が盛りつけられている。
       あるものを何かに見立てて楽しむのは、天下人から裏長屋の住人まで、古くから
      日本人の遊び心のようだ。

      
             キャンディと和菓子風

  (2) 鉱石ラジオ

     『 鉱石ラジオに使われる鉱物
       鉱石ラジオの検波器には、方鉛鉱や黄鉄鉱などの鉱物がよく使われる。
       方鉛鉱は検波器に使われる代表的な鉱物で、ほかの鉱物に比べて感度が良く、
      比較的入手しやすいため、多くの鉱石ラジオに使われた。
       黄鉄鉱は、方鉛鉱より硬くて割れにくいため、検波器として取り扱いがしやすい鉱
      物だ。                                               』

         
               鉱石ラジオ                  検波用鉱物

      2002年11月、奈良県の石友・Aさんと息子のT君に案内してもらい奈良県針道の黄
     鉄鉱産地を訪れた。

      ・奈良県桜井市針道の鉱物
       (Minerals of Harimichi , Sakurai City , Nara Pref.)

      このページの中で、黄鉄鉱が検波器として使われた蘊蓄(うんちく)を記しておいたの
     で再掲してみた。

      『 黄鉄鉱には、整流(1方向にだけ電流が流れる)作用があり、第2次世界大戦前
       から戦後のある時期(1955年ごろ)まで、Ge(ゲルマニューム)やSi(シリコン)が半
       導体整流素子とての地位を確立するまでの間、無線電波を検出する検波器として
       使われた。
        「日本鉱産誌」には、針道はじめ国内、台湾合わせて15の鉱山産の黄鉄鉱につ
       いて、電波の検出感度の良否を研究した結果が掲載されている。針道産のものは
       13〜14位と余り芳しい成績ではなかった。
        ちなみに、最も良かったのは、群馬県西ノ牧鉱山産、次いで石川県尾小屋鉱山
       産のものだった。                                        』

  (3) 切手で鉱物採集

     『 鉱物採集は、鉱物そのものだけとは限らない。世界の国々では、鉱物をデザインに
      したさまざまな切手が発行されている。これらの切手からは、鉱物のもつ色や形ととも
      に、その国で産出する鉱物の種類やおもな産業について知ることもできる。
       ここでは54か国から発行された、約90種の鉱物の切手を紹介する。さあ、皆さんも
      切手で鉱物探しをしてみませんか。                              』

      鉱物や鉱山が図案になった切手は一般的だが、ダイヤモンドや三角形をした切手や
     「結晶構造図」や「結晶図」が描かれた、変わり種の切手も発行されている。

      
               鉱物切手の変わり種

 3.7 南部鉱物標本

     『 −鉱山技師が収集した鉱物コレクション−
       茨城県自然博物館では、南部・小室(こむろ)鉱物コレクションとよばれる5,754点の
      鉱物標本を収蔵している。
       南部秀喜氏は、1917年(大正6年)から1970(昭和45年)の54年間、鉱山会社に勤
      務しながら膨大な数の鉱物標本を収集した。なかでも茨城県城里(しろさと)町の高
      取鉱山など5つの鉱山で採集した標本については、くわしいスケッチや産出状況の記
      録などを自筆で残している。
       当館では、南部氏が収集した3,150点の鉱物標本をその記録をまとめた解説書とと
      もに保管している。                                        』

      
                    南部鉱物標本

      南部秀喜氏は、著書「南部鉱物標本解説」には、採集した鉱物のスケッチが載せて
     あり、今回の展示では、実物と並べて展示してあった。多少絵心がある妻は、確かな
     スケッチ画に感心しきりだった。
      南部氏のスケッチ画については、2001年に下のページで紹介させていただいた。

      ・茨城県桂村錫高野の鉱物
       (Minerals of Suzugoya, Katsura Village, Ibaraki Pref.)

 3.8 鉱物採集で守ること

     『 鉱物を採集することは楽しい。それも自分の手で見つけたものであればなおさらだ。
      しかし、楽しい気持ちが吹き飛んでしまうことがある。かつて何度も足を運んだ産地が
      入山禁止になってしまった。こんな産地が増えないように、マナーを守り、自然を守る
      ことを心がけて鉱物採集に臨みたいものだ。                        』

      
                   鉱物採集で守ること

4. 博物館鉱物展示品から

    茨城県自然博物館は、地元茨城県を中心とした地域の自然をテーマに展示しているが
   鉱物標本のなかには、県外の有名産地のものもある。
    それらのなかで、私の家がある山梨県周辺の標本に眼が行ってしまう。特に、お隣・長
   野県川上村のものは川端下(かわはけ)などの標本がいくつかあったので、写真に収めて
   きた。

       
                 灰柱石                           砒鉄鉱

    
                日本式双晶
                          長野県川上村の鉱物標本

    展示された、これらの鉱物標本は、今でも採集できるはずだ。

    ・2009年8月 長野県甲武信鉱山の近況
    ( Recent Information of Kobushi Mine , Aug. 2009 , Kawakami Village , Nagano Pref. )

5. おわりに

 (1) 川上村の春
      2012年3月末の週末、久しぶりに山梨県に戻った。今回の帰省は、川上村の湯沼鉱
     泉の社長とお姐さんに挨拶するのが主たる目的だった。
      土曜日、妻と2人で川上村に入ると、気温は6℃で、雪は道路わきの日蔭に一部残っ
     ているものの、道路や畑には全く見られなかった。

      湯沼鉱泉に行くと、社長とお姐さんが揃っていた。「社長は若々しい」、と妻に言わせ
     るほど元気で、お姐さんも顔が艶々(ツヤツヤ)していた。

      ストーブの脇には、昨年の暮れ間近に採集してきた水晶の群晶が置いてあり、なか
     なかのものだ。

      今年の冬は寒さが厳しかったが、ようやく川上村にも春が訪れようとしていた。
     また、大勢の石友と湯沼鉱泉でお会いできるのを社長、お姐さんともども楽しみにして
     いる。

      15時過ぎでも八ヶ岳の麓には夕日が差しかかっていたので、旧石器時代の遺物を
     もとめていつもの場所を探索してみた。
      空は晴れているのに、時折、八ヶ岳に降り続く雪が強風で吹飛ばされてきた。この日
     は、地元長野県産黒曜石で作った小さな石鏃と細石刃を観察できただけだったが、日
     ごろの雑事をしばし忘れることができた。

       
              八ヶ岳遠望                  黒曜石製石器

 (2) トンネル工事現場の鉱物
      今回の展示に、『 寄贈された標本@ トンネル工事現場を探る』のコーナーがあり、
     工事で出た鉱物標本が展示してあった。

      私が会員になっている京都・日本地学研究会から年4回、「地学研究」誌が送られて
     くる。巻末には、創始者の益富博士が始められた「標本玉手箱」のページがある。最新
     号を読むと、「土浦市朝日トンネルの弗素燐灰石」と「足尾町鉛沢の紫水晶」があった
     ので、返信用封筒を同封し送付をお願いしたところ、1週間ほどで送られてきた。

      
              「弗素燐灰石」
        【土浦市朝日トンネル南口坑】産

      長波紫外線ランプで、黄〜黄金色の蛍光を発する、とあるのだが、私の持っている
     ミネラライトでは全く蛍光しないのが残念だ。近いうち、長波紫外線ランプを手に入れね
     ば・・・・・・・。

 (3) 『戦火の馬』
      2012年は春の訪れが遅く、2月、3月の週末、冷たい氷雨が降り、ミネラル・ウオッチ
     ングに行こうという気分ではなかった。そのような日には、妻と何回か映画館に足を
     運んだ。シニア料金1,000円で封切り作品が見られるのは嬉しい。

      「三丁目の夕日」の次に見たのが、スピルバーグ監督の「戦火の馬」だ。原題は"War
     Horse"、とあり、正しい日本語では『軍馬』だ。

      酒飲みの父親が借金して買ったサラブレッド種の馬を息子の少年が飼い馴らし、村
     中の誰もが無理だと思った農耕作業をやり遂げるまでなった。しかし、借金を返せなく
     なった父親は馬を軍に売ってしまう。
      イギリス軍の騎馬として第1次大戦でフランスに渡り、ドイツ軍少年兵、フランスの少
     女を乗せ、再びドイツ軍の大砲を引く軍馬となる。徴兵年齢に達した青年は、フランス
     に渡り、戦闘の合間に別れた馬を探す。
      青年がドイツ軍の毒ガス攻撃で目を傷め野戦病院にいるころ、ドイツ軍から逃げ鉄
     条網に絡まり身動きがとれなくなった馬を英独軍兵士が協力し救い出した。馬は、青年
     のいる野戦病院に運ばれ、青年と再会する。
      第1次世界大戦が終わり、軍馬は現地フランスで競売にかけられることになる。戦友
     がカンパしてくれ、落札できると思ったが強敵が現われ、青年の手が届かないところま
     で値が上がってしまう。そのとき、一人の老人が、「100ギニー!、この上着も付けて
     110ギニー」、と落札する。老人は、あの少女の祖父で、亡くなった少女の想い出にと
     落札したのだった。
      馬との絆の強さを知った老人は、馬と青年の父親が南アフリカのボーア戦争に従軍し
     た時の連隊旗を無償で譲ってくれ、青年は両親が待つ故郷に馬に乗って無事帰る。

      以上があらすじだ。戦争を直接知らない私だが、『軍馬』で思い出すことがいくつかあ
     る。偶然だが私の父も妻の父も兵科は「野砲」だった。大砲を乗せた砲車を馬に曳かせ
     戦場を移動するが、馬がなければぬかるんだ道なき道を重たい砲車を移動することは
     不可能だった、と父は述懐していた。
      平成元年、私の転勤に合わせて家族で山梨に移り住み、父が山梨を訪れたことがあ
     り、妻が山梨名物の「馬サシ」を買ってきたが、「せっかくだが馬には世話になったので
     食べられない」、と箸をつけなかった。

      父親たちの記録をいつかまとめたいと思い、骨董市で野砲に関するアイテムを探して
     いると、次のようなものがあったので入手した。

         
                砲車を引く軍馬                     除隊記念盃
                                               【近衛野砲】

      関東地方で骨董市が開かれる神社を訪れると、『支那事変 出征軍馬 慰霊碑』が
     ひっそりと建っていた。
      海外に渡った軍馬は一匹も再び故国の土を踏むことはなかった、とものの本で読ん
     だことがある。この地方で飼われていた農耕馬が「軍馬」として徴用され、農作業や
     戦場で苦楽を共にした人々が異国の土になった軍馬を慰霊するために建てたようだ。

       「軍馬慰霊碑」

6. 参考文献

 1) 南部秀喜:南部鉱物標本解説(復刻版),茨城県自然史博物館,平成8年
 2) 江坂 et al :茨城県朝日トンネルからの産出鉱物について 地学研究 vol60 No2
            日本地学研究会,2012年
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