長野県 元祖・『甲武信鉱山』 の鉱物











           長野県 元祖・『甲武信鉱山』 の鉱物

1. はじめに

    2015年7月のある夕べ、NHKのローカル番組を見ていると50年近く昔の甲武信ケ岳(こぶしがたけ:
   2,475m)を空撮した場面があった。これを観た妻は、「ここがいつも行く甲武信鉱山なの?」と聞い
   てきた。
    甲武信ケ岳は、甲斐(山梨県)、武蔵(埼玉県)、信濃(長野県)の3国(県)の境にあるところ
   から名付けられたとされる山で、われわれが「甲武信鉱山」と呼んでいるのはここから西北西6kmに
   ある、長峰(2,065m)から北に延びる尾根の東西に点在する鉱山群のことだ。
    武田時代とされる金の精錬遺跡や昭和時代の「貯鉱場」跡などを含めると、その範囲は梓川の
   東側にまで広がっている。

    
                      甲武信ヶ岳と「甲武信鉱山」の位置関係
                            【マス目が2km四方】

    両者は全く違うのだが、名前が似ているせいか、「甲武信鉱山」を何十回も訪れている妻でさえ
   も、私からすれば愚問を発するのだ。

    昭和15年(1940年)8月、桜井先生一行が長野県川上村を訪れ「川上村川端下附近の鉱物」
   という論文が残されていることを次のページで紹介した。

    ・長野県川上村川端下(かわはけ)附近の鉱物
    ( Minerals around Kawahake , Kawakami Village , Nagano Pref. )

    この中に、磁鉄鉱を産する「梓山鉄山」や藍銅鉱を採集した「川端下銅坑」などがでてくるので、
   いつか探査してみたいと思っていた。
    国会図書館で所蔵する資料に「『甲武信鉱山』地形図」があると知った。『甲武信鉱山』と称し
   た鉱山がどの辺(あた)りにあったかのかを知りたくて、複写を依頼したところ、3日ほどで届いた。
    地図には、現在「ミニ・ツイン抗」、「灰重石坑」などと呼んでいる坑道から北にある坑道とズリの
   位置が10ヶ所以上記されていて、それらは私にとって初めて知る場所で、当然訪れたこともなかった。
    ここが元祖『甲武信鉱山』なので、このページでは二重カギカッコ(『』)で表記した。

    2015年7月、中学生を案内する下見のついでに、新産地開拓を兼ねて、『甲武信鉱山』の坑道
   とズリを探査してみることにした。入口がいつも通り過ぎている場所にあるので、どこなのか自信がな
   く、湯沼鉱泉社長にご足労いただき教えてもらって沢沿いに登りはじめた。
    抗の印のある場所に来ているはずだが坑道はなくて、その痕跡のような窪地があるだけだ。その周
   囲には「褐鉄鉱」の塊が落ちている。
    小さな尾根の鞍部に真っ白い大理石の露頭があり、かつて採掘された貯鉱が残されている。
   川端下側との境の尾根まで登ると、そこも「褐鉄鉱」を掘った跡のようだ。その北側に下ると、次々と
   露頭とズリがある。”ピカピカ”の「磁鉄鉱」を採集したが、量は多くない。さらに下ると、露頭の表面
   に白い「石膏」が観察できるようになり、硫化鉱物帯だ。かつては大規模に採掘した跡が残ってい
   るが、観察できるのは、塊状の「磁硫鉄鉱」で、標本として持ち帰ろうという意欲は減退する。

    『新産地開拓』と意気込んでいたが、ここを案内しても皆さんに喜んでもらえる自信は失せてきた。
   逆に湯沼鉱泉で会った愛知の石友・Dさんに”ガマを開けて出したベスブ石群晶”を見せてもらったり、
   宿泊客が”川端下の水晶抗ズリで表面採集した素晴らしい日本式双晶”などの話を社長から聞く
   と、やはり『古泉に水涸れず』だと思う。
    ( 2015年7月 探査 )

2. 産地

    国会図書館から送られてきた地図は、横80cm×縦60cmの大きなものをA3サイズ6枚に分割して
   複写したものだった。このままでは携帯に不便なので、これを原寸大や縮小コピーし、接合して、
   原寸大のものから携帯用のA3サイズまで各種のサイズのものを復元・作成した。
    原寸大のものは縮尺が5,000分の1(地図上の1センチが、50mに相当)という細密なものだ。

    地図は、次のようなステップを踏んで、鉱山保安局の手で昭和26年(1951年)に測図・同年印刷
   されたものと下部に印刷してある。

    1. 昭和23年11月撮影 空中写真
    2. 昭和23年10月撮影 空中写真
    3. 基礎資料は地理調査所 昭和21年発行5万分の1 地形図
    4. 昭和26年8月現地調査

    さらに、この地図ができた背景を次のように説明してあり、当時日本が連合国の占領下にあって、
   戦後の復興に動き出した社会状況が見えてくる。復興の契機とされる「朝鮮戦争」が前の年に勃
   発し、”特需景気”に沸いていたころだ。

     『 本図は、戦災復興及経済再建の為貸与された米国空中写真並びに地理調査所の三角
      点を測量の基準として 鉱山保安局の責任の下に日本航測株式会社をして調製させたもの
      である 』

    
                                 『甲武信鉱山 地形図』(部分))
                                    【マス目が1km四方】

3. 産状と採集方法

    探査したルートを → 、観察した鉱物を 「 」、地形図や現地で確認した地名を青字 で
   地図に落としてみた。

    
                              『甲武信鉱山』 探査ルート
                                【マス目が1km四方】

    「町田市自然休暇村」の施設を左に見て、「貯鉱場」やいわゆる「甲武信鉱山」の入口につな
   がる林道を200mも進むと、右側から小さな沢が流れ込んでいる。いつもなら目にとめることもなく見
   過ごしている場所だ。これが「地獄沢」で、社長は「地獄谷」と呼んでいた。
    林道わきに車を停め、沢の左岸を登っていく。すぐに右側に露頭が続くようになる。露頭はホルン
   フェルス化した堆積岩で、ところどころにチャートの層を挟んでいるが目立つ鉱物は見当たらない。

       
                    地獄沢入口                         チャートを挟む露頭

    500mも登ると右側の露頭と沢の距離が離れ、前方にも露頭が見えるようになる。露頭と露頭の
   間を地図の鞍部を目指して100mも登ると「坑」があった辺りに着く。しかし、坑口は見当たらず、
   その痕跡のような窪地があるだけだ。その周囲には採掘対象だったと思われる「褐鉄鉱」の塊が落
   ちている。

    
                    採掘坑跡

    小さな尾根の鞍部近くまで登ると、かつて採掘された大理石(方解石)の貯鉱が残されていて、
   その先には真っ白い露頭がある。

       
                 「大理石」の貯鉱場                         「大理石」の露頭

    小さな尾根を超えた北側には、坑道跡か露天掘り跡と思われる切り込まれた岩がアチコチに見ら
   れる。それらの前は”ズリ”になっていて、「磁鉄鉱」の塊が落ちている。持参した糸付磁石を近づけ
   ると御覧のように吸い付く。

       
                坑道跡                糸付磁石を吸い付ける「磁鉄鉱」

    ここから上に登ると、尾根にでたところに「銅鉱」があると社長に聞いていたので、登りはじめると、
   地べたに「大原平 標高 1,982m」の標識が落ちていた。地図を見るとこの辺りは1,950mあるか
   ないかだし、地形的にも斜面で”平”という呼び名はふさわしくない。川端下との境にある尾根の最も
   高いところが2,000m位で、鞍部には平らな場所があるから、そこにあった標識が紛れてここにある
   ような気がする。

    
                    「大原平」の標識

    川端下側との境の尾根まで登ると平らな鞍部がある。携帯を取り出すと、”3本立っている”。湯沼
   鉱泉の社長に電話して、「銅鉱」の場所を確認するとどうやらここを指しているようだ。しかし、ここは
   「褐鉄鉱」を掘った跡のようだ。水晶の小さなカケラがあったが持ち帰るほどのものではない。
    標高と地形から判断すると、ここが「大原平」のような気がする。ちょうど12時近くになったので、こ
   こで昼食だ。

    
                川端下側との境の鞍部
                   【「大原平」?】

    「磁鉄鉱」の坑があった辺りまで下り、”ピカピカ”の「磁鉄鉱」を採集したが、量は多くない。さらに
   下ると、露頭の表面に白い硫酸鉛鉱物の「石膏」が観察できるようになり、硫化鉱物帯だ。かつて
   は大規模に採掘した斜坑跡が残っている。
    観察できるのは、塊状の「磁硫鉄鉱」で、標本として持ち帰ろうという意欲は減退する。

       
              「石膏」の生成した露頭                 「磁硫鉄鉱」を掘った斜坑跡

    ここから沢を下ると、途中には断崖のような箇所もあり、それを巻いて(迂回して)下る。降り切って
   やや平らな場所に、周りを土塁で囲んだコンクリート壁だけ残す2棟の建物跡があった。社長に聞くと、
   「そんなの見たことねエ」というが、鉱山の「火薬庫」跡だろうと推測している。この建物は、地図にも
   載っている。

       
                   「火薬庫」跡?              地図にもある土塁で囲まれた建物

    林道まで降りてみると、そこは登りはじめた場所よりも200mほど北にある、「町田市自然休暇村」の
   天体観測ドームのある場所だった。
    振り返ってみると、今回の探査ルートは、地図の上に点線で示されている「鉱山道」をなぞるよう
   な形になっていた。それは坑跡を巡るのに一番効率が良くて楽なのだから、当然といえばそれまでだ。

4. 採集鉱物

 (1) 大理石/方解石【CALCITE:CaCO3
      グラニュー糖を思わせる真っ白い粒の集合で産出する。粒同士の結合は弱く、少しこするだけ
     で”パラパラ”と崩れてしまう。
      社長に見せると、「なかなかきれいなもんだ」との評だった。

    
                  大理石/方解石

 (2) 磁鉄鉱【MAGNETITE:FeFe3+2O4
      黒い金属光沢の4面体(ピラミッド状)結晶が集合している。結晶の大きさが最大でも2mm
     程度しかないのは何とも物足りない。強い磁性をもっている。

    
                     磁鉄鉱

 (3) 磁硫鉄鉱【PYRRHOTITE:Fe1-xOUB>】
      褐鉄鉱に覆われた大きな塊状でズリに放置されている。割ると内部は新鮮だが、六角板状の
     自形結晶でもあれば良いのだが、如何せん塊状では見本を1つ持ち帰っただけだ。

    
                    磁硫鉄鉱

5. おわりに

 (1) 『古泉に水涸れず』
      今回訪れた『甲武信鉱山』は、この名前のついた元祖ともいうべき産地だ。いわゆる甲武信
     鉱山に通いはじめて25年以上になるが、このエリアを探査したのは初めてだった。

      結果として、このエリアで産出するのは、「鉱石」であって、戦時中から戦後の一時期は重要
     な資源として大規模に採掘されたが、現在では訪れる人も希なようだ。
      次回のミネラル・ウオッチングに備えて『新産地開拓!!』、を狙っていたのだが、叶わなかった。
     それでも、地図を片手に、地形を読みながら旧坑やズリを探し出し、石を叩くというミネラル・ウオ
     ッチングの原点に帰ったような気がして、スッキリした気分で湯沼鉱泉に戻った。このような経験
     の積み重ねが、いつか実を結ぶはずだ。

      湯沼鉱泉で会った愛知の石友・Dさんが”ガマを開けて出したベスブ石群晶”を見せてもらったり、
     宿泊客が”川端下の水晶抗ズリで表面採集した素晴らしい日本式双晶”の話を社長から
     聞くと、やはり『古泉に水涸れず』だと思わざるを得ない。
      7月に開催した「ミネラル・ウオッチング フォローアップ」に参加したHさんが採集した『宝石級
     灰クロムさくろ石(ウバロバイト)』
 の写真を送ってもらったので紹介する。これも、『古泉』なら
     ではの標本だ。

      
       『宝石級 灰クロムさくろ石(ウバロバイト)』
               【採集・撮影:Hさん】

 (2) 甲武信ヶ岳の遭難
      甲武信ヶ岳で真っ先に思い出すのは、大正5年(1916年)8月、東京帝大生一行5名が遭難
     し、4名が亡くなった事故だ。もうすぐ事故から100年になる。
      これに関連して、「鉱物採集と安全」というページをまとめたのは10年前の2005年だった。

     ・ 鉱物採集と安全
     ( Safety Mineral Hunting )

      骨董市を巡っていると、百名山の一つでもある甲武信ヶ岳での遭難位置を示す地図を描いた
     絵葉書があったので購入した。宛名の仕切り線が上から2/3の位置にあるので、大正初期のも
     ので、事故があってすぐに発行されたもののようだ。よくよく見ると地図の周囲が黒枠になっていて
     遭難死した4人の学生に弔意を示している。
      地図に遭難死した場所を示す4つの赤丸()があるが、甲武信ヶ岳ではなく、その南にある
     破風山南の沢筋だ。

    
                  「甲武信ヶ岳の遭難」絵葉書

      8月には、HPの読者や学校関係者、そして古い石友などをミネラル・ウオッチングに案内する
     機会が多いので、『安全第一』を改めて誓うMHだ。

6. 参考文献

 1) 小出 五郎:長野県川上村川端下附近の鉱物 我等の鉱物,昭和16年
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