翌週、これらの鉱物が一番採れる可能性が高い、甲武信鉱山貯鉱場(正確には跡)を
3人で訪れた。
ここは、川を渡るのが難だが、急な登りがあるわけでもなく、女性や子供でも車から
降りて10分ほどで楽に到達できる。そんな訳で、訪れる人も多く、しばらく来ない間に
産地は様変わりしていた。
「ホセ鉱A」や「自然金」を含む、叩くべき石が少なくなっているが、”それらしい石”を
叩いて、怪しい箇所はルーペで確認する作業を繰り返した。
約2時間ほど経って、ようやく柘榴石の塊の中に、かろうじて肉眼で見える『葉片状の
自然金』を確認した。
甲武信鉱山の自然金は「含金ざくろ石」に伴うとされるが、結晶の中に分散して含まれ
のではなく、灰礬柘榴石の粒と粒の間(専門的には結晶粒界)に薄い葉片状に結晶した
ものらしく、初めての採集だった。
甲武信鉱山は、16世紀に武田信玄が金を採掘し、断続しながら昭和20年代まで、金の
探鉱と採掘がおこなわれていた。
貯鉱場の下流、梓川沿いには、信玄の時代から江戸時代にかけて金を精錬した遺跡
が残っており、そこでは、金の鉱石を粉にする『粉成(こなし)』作業に使われた搗き臼、
石皿そして磨石(すりいし)が観察できた。
今まで、何回か貯鉱場を訪れ「自然金」と「ホセ鉱A」など、何とか人様にお見せできる
標本を採集していたが、今回、「含金ざくろ石」の代表的な標本を採集でき、ここも卒業
できそうだ。
案内・同行いただいた石友・YさんとT元教授に厚く御礼申し上げる。
( 2013年5月 採集・観察 )
昭和になってからの鉱山の様子は、湯沼鉱泉社長に教えていただいた内容や「日本
鉱産誌」などの文献情報を総合すると、次の通りである。
『 甲武信鉱山は、金峯金山とも呼ばれ、昭和10年前後から、有吉氏が金鉱石を現在
昭和15年(1940年)夏、桜井先生一行がここを訪れたときには「金峯金山」と「梓山
「y字双晶坑(ミニツイン坑)」と呼んでいる坑道で採掘した。鉱石は鉄索(ケーブル)で
梓川右岸の「第一選鉱場」(現在「貯鉱場」と呼んでいる)まで下ろした。
ミニツイン坑入口の左側や第1テラスの右下などに索道の礎石や支柱等の遺構が
確認できる。
ミニツイン坑の中で産出する、硫砒鉄鉱などの硫化鉱物を伴う石榴石や透緑閃石
の入った草入り水晶など、現在同じ鉱物が貯鉱場で採集できる。
ここで、選鉱した鉱石を、「精錬所」(現在の町田市休暇村附近)に送り、そこで精錬
したので、この辺りには、今も精錬所の遺構がある、と湯沼鉱泉社長に聞いた。
鉄山」が稼動していて、それぞれに選鉱場があった。「金峯金山」の選鉱場では石榴
石などのスカルン鉱物が採集できた。
その後、有吉氏から採掘を引き継いだ住友金属鉱山(株)は、金峯、梓山の2つの
鉱山を合併し(甲武信鉱山として)、戦後も採掘を続けたが、1954年(昭和29年)ごろ
には採掘は休止し、探鉱中だった、と「日本鉱産誌」にある。 』
産地に行くには、梓川を渡る必要がある。肌を刺すような冷たい水が雨の後などは激
流になっていて危険なので、湯沼鉱泉に立ち寄って、社長から場所や渡河の際の注意
などを聞いて欲しい。
金(Au) 3〜4g/トン
銀(Ag) 2〜4g/トン
銅(Cu) 0.4%
「貯鉱場」には、選鉱前の富鉱と選鉱後のズリ石が堆積している。
ここでの採集方法は次の通りだ。
@ ズリの表面採集
A ズリを掘る
B ズリ石を割る
C ズリの土砂をパンニングする。
「自然金」や「ホセ鉱A」を採集するならBかC、「日本式双晶」などは@またはA、
「灰重石」はCが良いだろう。
ここの鉱石は堅い(強靭な)ので、割るのには大きなハンマが欲しいし、眼を保護する
ゴーグルなども忘れてはならない。
上にも書いたが、甲武信鉱山の自然金は、「含金柘榴石」に伴うとあるが、柘榴石
と直接接して産出するものはむしろまれで、「自然金」、「ホセ鉱」そして「銅鉱」には
いろいろな産状があることが明らかにしておいたので、詳細は下記のページを参照
願いたい。
石友・Mさんに甲武信鉱山の貯鉱場を案内してもらったのは、知り合って間もない
2001、2年ごろだった、と思う。
11月初めの土曜日で、凍結寸前のズリ石をひたすら叩いた。その日は、目ぼしい
標本が採れず、急遽湯沼鉱泉に一泊した。その夜は雪が降り、翌朝貯鉱場に行くと、
薄らと雪が積もっていた。
この日、目が慣れたのか、石榴石や方解石そして灰鉄輝石などが混じった母岩に
「ホセ鉱A」と「自然金」が付いた標本を初めて採集した。この標本は、古い標本箱の
どこかに大切にしまってある。
石友からこの産地は公開しないで欲しいと言われ、HPは無論、これらの希少鉱物が
産出することも口外しなかった。
その後、鉱物同志会員が貯鉱場で採集した「ホセ鉱A」が会誌「水晶」にカラー写真
入りで掲載されたり、簡単にアクセスできるので初心者の方も含め、大勢が訪れる
産地に変貌した。
石友の了解も得られ、HPに最初に記載させていただいたのは、2007年6月だった。
その後、恒例のミネラル・ウオッチングを開催したり、小中学生からベテランまでを
案内し、訪れるたびに何がしかの標本を採集でき、それらの中には、面白い産状を
示すものもあり、いくつかを紹介したい。
拡大【横 5cm】
「ホセ鉱A」
(2) 金山遺跡
この地域には近世まで、いくつかの寺院があり、『梓千軒(あずさせんげん)』あるい
は、『川端下千軒(かわはけせんげん)』とも呼ばれた鉱山街を形づくっていた時期も
あったらしい。
貯鉱場の下流には、精錬所の跡がある。梓川沿いとそれにそそぐ沢沿いに、テラス
と呼ぶ平坦地を造成し、そこに小屋を建て、金製錬の一連の作業を行った。
鉱石の粉を揺り分ける(比重選鉱=パンニング)するのに必要な水を引き入れた遺
構が残されている。
テラスなどでは、鉱石を細かく砕いた「搗き臼」や、さらに細かい粉にした「石皿」と
「磨石」などが観察できた。