2013年10月 北関東ミネラル・ウオッチング









     2013年10月 北関東ミネラル・ウオッチング

1. はじめに

    私のHPを見たり、産地情報を教えて欲しいなどでメールをいただいた皆さんと定期的に
   ミネラル・ウオッチングを開催するようになって15年ほどになった。
    参加者は、私よりは少し若いものの、すでに『還暦』を過ぎた方も多い。その一人京都に
   住む古い石友・Nさんから、「 西沢金山のルビーシルバーを採集したい 」、と産地案内
   の依頼があったのは2012年の秋だった。すでに産地は冬の訪れが近く、アクセス林道も
   閉鎖が間近で、この年の訪山は見送っていただいた。

    しかし、数年訪れていないので、産地がどう変貌しているか不安があり、2013年7月、下見
   を兼ねて事前に西沢金山を訪れ、産地が健在なことを確認した。

    ・栃木県西沢金山の鉱物と遺物(その2)
     ( Minerals and Reric from Nishizawa Gold Mine - Part2 - , Tochigi Pref. )

    このとき採集した「淡紅銀鉱」と「黄粉銀鉱」が付いた標本のいくつかを7月に開催したミニ・
   ミネラル・ウオッチングのオークションに出品し、Nさんも1点落札した。

    ・2013年7月 ミニ ミネラル・ウオッチング
     ( Mini Mineral Watching Tour , Jul. 2013 , Yamanashi & Nagano Pref. )

    「北関東ミネラル・ウオッチング」の開催を、Nさんだけでなく、ベテラン*勢にも声をかけたところ、
   滋賀・Nさん、O(弟)、三重・O(兄)も参加することになった。Nさんの都合に合わせ、2013年9月
   に決まった。

    * ベテラン・・・・日本では、”海千山千”の老練者の意味で使われるが、英語のVeteran
              は、退役軍人や老兵などの意味合いが強いようだ。

    関西からわざわざ訪れるのに「西沢金山」だけという訳にもいかず、Nさんが希望していた
   栃木県の「ホセ鉱」産地なども回ることにした。栃木県と言えば、最近「珪亜鉛鉱」で有名に
   なった鉱山もあり、探査を兼ねて2013年8月に2回目の下見をした。しかし、「珪亜鉛鉱」の
   産地にはたどり着けず、次のような行程で『北関東ミネラル・ウオッチング』を開催する事にした。

    【第一日】
     ・ 大鷲鉱山・・・・・・・・「輝水鉛鉱」、「ホセ鉱A」など
     ・ 唐沢鉱山・・・・・・・・「ホセ鉱A」など

    【第二日】
     ・ 小来川鉱山・・・・・・「アズライト(藍銅鉱)」など
     ・ 銀山平・・・・・・・・・・「水鉛鉛鉱(モリブデン鉛鉱)」など

    【第三日】
     ・ 西沢金山・・・・・・・・「ルビーシルバー」など

    9月に入ると、子どもたちの野外授業の講師依頼が相次ぎ、私の都合がつかなくなってしま
   い、ミネラル・ウオッチングを10月に延期してもらった。あいにく、直前なって、滋賀・Nさんが
   参加できなくなり、参加者は総勢4人に減って残念だった半面、”ホッ”、 と胸を撫で下ろした
   参加者もいた。これで、雨が降る確率が大幅に低くなったからだ。(滋賀・Nさん、失礼!!)

    台風23号、24号が相次いで襲来した週末〜週初めだったが、雨も降らず天気に恵まれ
   訪れた産地の代表的な標本を全員が採集でき、満足して無事帰宅していただけたようだ。

    私も、マイ・コレクションにできる標本に出会い、いつもながら『情けは人の為ならず』、を
   実感したミネラル・ウオッチングだった。
    ( 2013年10月 採集 )

2. 第一日目

 (1) 「鹿沼IC」に集合
      Nさんの都合で、滋賀を朝7時に出発する一行は、「鹿沼IC」到着が13時になる予定だ
     った。それまでの待ち時間をどうするかが問題だ。とりあえず、朝3時に起き、雁坂トンネ
     ルを抜け、秩父を経て集合場所方面に走った。

  ・ 群馬県の骨董市
     群馬県某市では、定例の骨董市が開催されていた。ここを訪れるのは、茨城県に単身
    赴任していたころ以来だから数年ぶりになる。
     地方都市の小さな骨董市なので、出店数も10ほどで、私が探しているものを置いてある
    のは、2、3店しかなかったが、変わった場所には変わった品があるもので、稲荷神社の
    上棟式でばら撒いた寛永通宝に金や銀をメッキした「上棟銭(じょうとうせん)」3枚300円、
    明治15年の1厘銅貨100円、国内外のコイン10枚100円などを購入した。

        
                 「上棟銭」                  一厘銅貨【明治15年】

     山梨県から来たと話すと、主催者が店主たちの茶飲みの輪の中に入れてくれ、山栗、
    サツマ芋、そして里芋などの蒸(ふ)かしたのを出してもてなしてくれ、コーヒーとともにいた
    だいた。
     これらは、お金を払ってもなかなか口にできないものなのでありがたい。

        
                 山栗                       サツマ芋と里芋

  ・ 「岩宿博物館」
     群馬県みどり市(旧笠懸村)の岩宿(いわじゅく)遺跡の隣に「岩宿博物館」がある。ここ
    は、1946年の秋、相沢 忠洋(ただひろ)が赤土(関東ローム層)の中から黒曜石製の石
    器を発見した場所で、『岩宿時代』、と呼ばれる旧石器人たちが活躍した舞台だった。
    相沢が石器を発見した切り通しは、国指定史跡として保存されている。

        
              「岩宿博物館」                      切通し

     博物館のあるみどり市周辺には、足尾町(現日光市)の足尾銅山、茂倉沢マンガン鉱山
    (桐生市)など、鉱物に興味のある人なら皆さんご存じの鉱山が数多く稼行していた。
     平成20年に博物館で開催した、『みどり市周辺の鉱業遺産 −鉄・銅・マンガンの生産
    と技術−』と題する第45回企画展の図録を販売していたので1部購入した。

      第45回企画展図録

     これによれば、群馬県下では、7世紀の後半から砂鉄をつかった製鉄がはじまり、1610年
    (慶長15年)に備前楯山で銅の露頭が発見され足尾銅山が始まった。マンガン鉱山は
    明治30年ごろから採掘がはじまったとされる。
     これら、多くの鉱山も昭和30年〜40年代に閉山してしまった。

     「岩宿博物館」を見学し、佐野藤岡ICから東北道にのり、「鹿沼IC」で下りたのは12時
    を少し回ったころだった。車を停め、シートを倒すと、朝早かったので、”ウトウト”してしま
    った。

 (2) 大鷲(おおわし)鉱山
      車の窓ガラスを”コツコツ”、とノックする音で目を覚ますとO(兄)だった。3人に挨拶し、
     最初の目的地の大鷲鉱山を目指す。
      以前訪れた時の記憶ではダム(堰堤)の下まで車で入れたはずなので、悪路に突っ込
     む。しかし、いくら待っても後続の3人を乗せた車がこない。しかたなしに、歩いて戻って
     みると、3人が乗ったO(弟)の車はスリップして登れないようだ。
      そこから、歩いて産地を目指す。産地は訪れる人も少ないようで、掘り返された跡もない。

      採集風景【大鷲鉱山】

      皆さんのお目当ての「ホセ鉱」を産出したポイントに案内する。ここでは、「輝水鉛鉱」と
     「自然蒼鉛」や「ホセ鉱A」などのビスマス(Bi:蒼鉛)鉱物が狙いだ。最初、輝水鉛鉱と蒼鉛
     鉱物の区別に皆さん苦戦していたが、眼が慣れるにしたがい、全員採集できたようだ。

        
                「輝水鉛鉱」                       「ホセ鉱A」
                             大鷲鉱山の鉱物

 (3) 唐沢(からさわ)鉱山
        日光に向かって走り、今夜の宿・小来川(おころがわ)温泉の看板が見えてきたところで
     3人に私の車に乗ってもらい、板荷(いたが)方面に戻る。8月の下見の時も唐沢鉱山への
     道は悪路で、9月の台風18号でさらに荒れていてO(弟)の車では無理だと判断したから
     だ。案の定、悪路を走り、いつもの場所に駐車する。
      ここから、歩いて鉱山跡をめざす。「ホセ鉱」の産出ポイントは台風の出水で荒れたもの
     の、訪れた人はいないようだ。
      ( 下見の成果は、HPに載せなかったお蔭で、3人は今回巡検した全ての産地を手つか
       ずの状態で楽しめたことになる。 )

      採集風景【唐沢鉱山】

      17時近くになり、木立の中の産地は薄暗く、私はキャップ・ランプを点けての採集だ。こ
     こでも、皆さん眼が慣れてくるに従い「ホセ鉱」を採集できた。O(兄)が採集したものは、
     遠目にもわかる良品だった。

      ホセ鉱A

 (4) 小来川温泉の夜は更けて
        過去、何度か小来川鉱山を訪れ、その行き帰りに小来川温泉があるのは眼にしていた
     が泊ったことはなかった。
      8月初に9月13日の予約の電話を入れておいた。盆(8月)の13日の夕方、孫娘と楽しい
     ひと時を過ごしていると、小来川温泉から山梨の自宅に電話があった。「まだ、到着しない
     のですが」、と確認の電話だった。どうやら、宿側が予約した日を1ケ月間違えていたらし
     かった。

      今夜の宿・小来川温泉「福寿荘」に着くと、陽はトップリと暮れていた。思ったより大きな
     造りで、部屋数も多い。夕食まで時間があるので、まずは温泉だ。単純アルカリ泉で、加
     温しているが広い浴室で、ノンビリ手足を伸ばし、疲れをとる。

      風呂からあがると、お待ちかねの夕食だ。寝る部屋の隣の部屋で食事ができるのも
     少し贅沢な雰囲気だ。栃木県の山の中なので、岩魚などの川魚や山菜そして日光名物の
     ”ゆば”などが並ぶ。
      鍋の中の肉は、聞きそびれたが、”イノシシ”とは肉質が違い、歯ごたえから、”熊”だろ
     うと判断した。山鳥の赤身と骨を叩いてミンチにしたものを竹ヘラに盛り付けて焼いたのは
     少しかたくて歯の丈夫な人向きだが、噛めばかむほど味がでて美味しかった。一番の珍
     味は、”イナゴ”の佃煮だ。

        
                夕食の膳                         ”イナゴ”の佃煮
                            小来川温泉の夕食

      部屋に戻って、今日の反省と翌日の作戦会議だ。O(兄)と私は、焼酎のお湯割りを頂き
     ながらだ。
      今回の巡検で、「珪亜鉛鉱」で有名になった鉱山跡をたずねる予定だったが、8月の下
     見でもそれらしい場所を探しだせず、断念せざるを得なかった。そうなると、その穴埋めと
     して「小来川鉱山」が浮上した。小来川鉱山と言えば、「アズライト(藍銅鉱)」の採れる
     ”アズラの森”に行ってみたいようなので、ここを案内することにした。
      もう一箇所は、モリブデン鉛鉱(水鉛鉛鉱)の採れる「銀山平」だ。ただ、下見した時、
     露頭が埋まっていて、皆さんに見てもらった一個体しか採集出来ず、過大な期待はしな
     いよう念を押した。

      窓の外は雨のようだ。皆さん、朝が早かったので21時過ぎにおやすみ、となった。

2. 第二日目

    朝6時過ぎに起きてヒゲそりを兼ねて入浴だ。昨夜の雨は寝ている間に止んだらしく、今日
   も快晴だ。
    風呂場の手前の廊下にこの温泉の建設当時の写真が展示してある。昭和28年(1953年)
   ボーリングで温泉を掘り、開業当時は”混浴”だったようだ。
    料金も550円〜1,000円、と安く、『白米5合(600g)持参』などにも時代を感じる。
    ( 私が中学3年生だった昭和35年ごろ、お米は配給制で、旅館と言えども宿泊者のお米を
     今のように自由に買うことはできなかった。修学旅行は、鎌倉・箱根だったが、その時も
     ”白米”を何合だったか持参した記憶がある。 )

        
              ボーリング                    ”混浴”

     
                   料金表
                           小来川温泉の古写真

 (1) ”アズラの森” を目指せ
      宿の主人に、小来川鉱山に行くことを伝えると、入り口を教えてくれた。小来川鉱山は、
     昭和40年代まで稼行していて、鉱山の経営者も宿泊したことがある、と話してくれた。

      朝食を済ませ、出発だ。入口では、見覚えのある弁天様(だろうと思う)の石像が出迎え
     てくれた。ここのところ、長野県川上村の産地を続けて訪れているが、社や石造物に手を
     合わせ、ミネラル・ウオッチングの安全を祈ってから山に入ると、必ずと言って良いほど
     ガマ(晶洞)が開(あ)く幸運に恵まれているので、まずは手を合わせた。
      ( ”開けガマ!” などの欲深い気持ちは、決しておくびにも出さないのが肝要だ )

      小来川鉱山入口の石像

      私の車で林道を進むが、すぐに”ギブアップ”だ。しかたなく、車を昔の鉱石積載所に置き、
     涸れ沢を遡上する。点々と、緑や青い2次鉱物がお出迎えだ。ところどころに、赤茶色に
     錆びたトロッコなどの”鉱山遺物”も転がっている。

      大ズリ

      ここから急なズリを登り、更に急斜面を登ると”アズラの森”だ。かつて多産したあたりに
     陣取り採集を始める。小さなサンプルを見つけて皆さんにお見せする。どうやら、これが
     間違いだったようだ。サンプルのアズライト(藍銅鉱)が鮮やかな群青色だったので、皆さ
     んの眼・脳にこの色がインプットされてしまったようだ。産地には、圧倒的に”青黒い粒状”
     のもののほうが多いのだ。
      私が、3ケ採集し、3人に配る分を確保したが、誰からも歓声が上がらない。私が5ケ目
     を採集し、皆さんに見ていただくと、イメージが一変したようで、O(弟)、Nさんから相次い
     で歓声が上がった。しかし、O(兄)は沈黙したままだ。
      場所を何回か変えた結果、O(兄)からも歓声が上がった。こうして、皆さん自力で何個か
     採集でき、”ジャンケン”で配布した私の採集品も加わり、ひとり数個入手したことになる。
      ”アズラの森”の尾根を越えたところに大きなズリがあるのだが、今回は見送り、ひとまず
     行きしなに立ち寄った大ズリまで下山した。

        
              産地記念写真                    私の採集品・アズライト
               【O(弟)撮影】                       【横:95mm】
                              ”アズラの森”

      大ズリには、緑や青色の2次鉱物の花が咲いている。途中のズリで採集した鉱石には
     「閃亜鉛鉱」があり、亜鉛の2次鉱物もきているようだ。ルーペで見ながら持ち帰るものと
     置いて帰るものを峻別する。
      私の採集品に、この産地としては見事なラング石【LANGITE:Cu4(SO4)(OH)6・2H2O】の
     結晶があった。

      ラング石

      2次鉱物が好きなメンバーは、このままここに居続けたい様子も見られたが、昼過ぎを
     潮に引き揚げることにした。実は、小来川温泉から鉱山までの間に、コンビニはおろか
     雑貨店1つなく、昼食の調達ができていなかったのだ。リンゴを2つ持ってきたがこれでは
     間に合いそうもない。

 (2) 銀山平の「モリブデン鉛鉱(水鉛鉛鉱)」を求めて
      小来川鉱山から今市の市街に出て、最初に眼についたコンビニに入って昼食の調達だ。
     セブン・イレブンなので、勧められるままに『ななこカード』を作る。
      時間を節約するため、走りながら昼食を摂る。鬼怒川温泉を抜け、川治温泉の先で旧
     栗山村を目指す。銀山平の入口の集落に通じる道路が台風18号の影響で通行止めにな
     っている。近くのお店で聞くと迂回路を教えてくれ、よそ者で釣り客と思ったのか、「沢沿い
     の林道に入れる」ことも教えてくれた。

      悪路が予想され、3人に私の車に乗ってもらい産地を目指す。予想通り、林道は崖崩れや
     出水で抉(えぐ)られた跡があったが、修復されていた。工事車両のキャタピラの跡が真
     新しいところから、最近通行できるようになったらしい。

      銀山平の沢に入ったのは3時を過ぎ、周りは薄暗くなっていた。沢の様子は下見の時と
     一変していた。下見の時にあった「緑鉛鉱」や「青鉛鉱」などの”黄緑色””青色”に染ま
     った露頭が土砂で埋もれ、逆に土砂で隠れていた露頭が姿を現していた。

        
                    沢                            露頭
                               「銀山平」

      私が露頭を叩き、手ごろな大きさの標本を割り出す。O(兄)が、「モリブデン鉛鉱がある!」
     というのでルーペで見るとこの産地特有のやや厚みのある結晶だ。改めて見直すと肉眼
     でも見える大きさだ。
      こうなれば後は流れ作業だ。私が割り出し、湧水で洗い、Nさんに渡すと、一番若くて眼が
     良いはずのO(弟)が、小割りしながら一級品とクエスション(?)品、それぞれ4つの山に
     分ける。最後にジャンケンで分配し、私は残り物を頂いた。

      【後日談】
       ・ O(兄)からのメール
          「 例の「モリブデン鉛鉱」は、私の受け取った分配品の中にありました。母岩は
           O(弟)が小割りしてしまい何分の1かに小さくなったが、間違いなくあの結晶が
           付いています。 」

       ・ 私の受け取った分配品
          残りものだから、と期待していなかったが、水で洗浄・乾燥し、実体顕微鏡で探す
         と、約50%の標本に「モリブデン鉛鉱」が付いていた。多分、皆さんはもっと良い比率
         だったはずだ。
          分配された標本を実体顕微鏡で観察すると、「白鉛鉱」、「硫酸鉛鉱」、「青鉛鉱」
         なども確認できた。下の写真の「白鉛鉱」は、結晶の頭がシッカリ付いたお気に入り
         の標本だ。

             
               「モリブデン鉛鉱」                         「白鉛鉱」
                                  銀山平の鉱物

      車に戻ると陽はトップリ暮れていた。ここで、ボヤボヤしているわけにいかず、今夜の宿
     川俣温泉の国民宿舎・「渓山荘」を目指す。この宿は、下見の時に17時ごろ飛び込みで
     泊めてもらい、建物は鉄筋、お湯は源泉掛ながし、食事もマズマズなので、予約した宿だ。

      走っていると、携帯が鳴った。「渓山荘」からの確認の電話で、現在地を伝えると、「後、
     30分で着きますね」、と宿は近い。
      少し走ると、最近「珪亜鉛鉱」で有名になった鉱山がある場所を通ったので、車を停めて
     3人に、「あの辺り」、と説明するが、真っ暗闇で伝わったかどうか。

        
                    今回                        下見の時
                               「野門鉱山」

      下見の時の写真をみれば、「地学研究」誌に載った産地と同じことに気付く読者も多い
     はずだ。

 (3) 川俣温泉の夜は更けて
      今夜の宿・「渓山荘」に着いたのは、18:30を回っていた。ひと風呂浴びて汚れた身体を
     洗いサッパリして夕食を、と思ったが、「夕食は19時までに済ませて下さい」、と国民宿舎
     なので自由がきかない。
      まずは、ビールで乾杯だ。ここも山の中なので、川魚と山菜などが中心の料理が並ぶ。

       夕食【下見の時】

      部屋に戻り、ひと風呂浴びる。屋内、露天風呂とも、源泉と冷水が引き込まれちょうど
     良い湯加減になるように調節されており、もちろん源泉掛ながしだ。
      風呂からあがり、O(兄)と私は冷酒を酌み交わしながら、今日の反省と翌日の作戦会議
     だ。翌日は最終日で、Nさんが夢にまで見た西沢金山の「ルビーシルバー」、にご対面でき
     るはずだ。
      下見の時の私が採集したルビーシルバーのズリ採集品とパンニング品の見本を見てい
     ただき、産状を飲みこんでもらう。
      見本を見せただけでは何なので、いつものようにジャンケンで好きな標本を選んでもらい、
     これで”保険”もバッチリだ。

      四方山話をしていると、0時近くになり、座卓の周りに自分たちで布団を敷き、おやすみ
     だ。

2. 第三日目

    朝6時ごろ起き出す。Nさんは、興奮して、朝3時ごろから眼が覚めていたとのこと。昨夜は、
   真っ暗で入りそびれた露天風呂をみんなで浴びる。うたせ湯のように流れ落ちる源泉は熱く
   て浴びれば火傷(やけど)すること間違いなしだ。O(弟)が、全員揃った入浴記念写真を撮っ
   てくれたが、ネットに流出し、”○○○陳列罪”になると問題だ、ということで下見の時の私の
   写真を掲載する。

       露天風呂【下見の時】

    国民宿舎なので、朝食は8時からと遅い。手持ち無沙汰なので、荷物を車に積んだりして
   食事が済んだらいつでも出発できる体制をとる。
    宿のロビーには、近くにある「墳丘塔」の写真、「日光岩魚」の系統図、そして宿の前で釣っ
   た40cm超の岩魚のはく製などが展示してあるのをジックリ見る。

       「墳丘塔」

    朝食が済み、支払いも済ませ、出発だ。

 (1) あこがれの”ルビーシルバー”
      以前のミネラル・ウオッチングで西沢金山の「淡紅銀鉱」と「黄粉銀鉱」をオークションに
     出品したので、それを入手した参加者もいたが、NさんとO(兄)は、”自力採集”に拘(こだ
     わ)っているようだ。
      私の知る限り、ハッキリとした「黄粉銀鉱」を採集できるのは、ここだけなので、これを採
     集すれば採集鉱物種が1種増えるO(兄)は”力(リキ)”が入っている。

      宿を出て間もなく林道に入る。「通行止め」の表示はなく、ゲートも開いているので、通
     行できるようだ。10kmも進むと、工事で停止だ。どうやら、台風18号の影響で倒れて林道
     に覆いかぶさった木を撤去しているところだった。5分足らず停車しただけで通してくれた。
      やがて、道路左脇に「西沢金山寺」跡が見えてくると、産地は近い。

        
                   倒木撤去作業                   「西沢金山寺」跡

      いつもの場所に車を停め、ズリ採集とパンニングの道具を持ってポイントに向かう。3人
     はズリ石を叩いて採集。私はズリの土砂を沢までバケツで運びパンニングしながら匂う
     石の表面をルーペでみながら”ルビーシルバー”を探す。表面になくとも、ハンマーで叩い
     て割れ口をチェックする念の入れようだ。
      パンニングでも小さい粒がいくつか採集できた。こうして、ものの30分も経たないうちに
     数個採集したが、3人から歓声は上がらない。

       採集するNさんとO(兄)

      O(兄)が私と同じ採集方法に切り替え、ズリの場所が空いたのでそこに入り込んで、大
     きめのズリ石を落してNさんが叩く。Nさんが”ダメ”だと諦めた、硫化が強い子どもの頭大
     の石の表面を見ると点々と鮮やかな紅色の”ルビーシルバー”が来ている。Nさんが割っ
     て散らばっているカケラにも紅い点々が見え、大急ぎで残らず回収し、広げた新聞紙の
     上に並べてもらう。

      今度は、その石があったあたりをNさんに掘ってもらい、受け取ったズリ石を私が割る。
     玉髄の脈が入った石英質でソフトボール大のを叩き割ると断面が”ベッタリ”と紅い。3つ
     に割って新聞紙の上に並べる。一番大きいのはやや紅色が薄く、2番目と3番目に大きい
     のが”佳品”だ。

      11時過ぎになり、私の採集品も加えて、分配できるまで採集品も増えたので、切り上げ
     ることにした。分配は、私の独断と偏見で、今回のミネラル・ウオッチングのキッカケを作っ
     てくれたNさんを最優先させてもらった。
      3人とも、10ケ前後分配にあずかったのではないだろうか。私もシッカリと”佳品”の一部
     を頂戴した。

      
            全体【縦 105mm】

         
                 「淡紅銀鉱」                      「黄粉銀鉱」

      母岩には、小さな水晶が生えた晶洞があり、その中にルビーシルバーの自形結晶が
     観察できる。

       自形結晶

                              西沢金山の標本

 (2) また会う日まで
      林道を戦場ケ原に向かい進むと山々は紅葉が始まっていた。

        ”山装う”秋の到来

      戦場ケ原のレストハウスで昼食を摂り、「沼田IC」に向かう3人とお別れした。

 (3) いざ帰りなん
      私は、いろは坂を下り、足尾を抜け、いつもの骨董店に立ち寄った。8月の下見の時にも
     立ち寄り、変わった古銭を見つけたのだが、手違いで、古銭の箱の中に紛れ込んでしまい
     見失った一枚が気になっていたからだ。

      選り分け始めて1時間ほどして、件(くだん)の1枚を見つけ出すことができて、今回の目
     的の半分を達成した。閉店までの残り時間で、遣隋使や遣唐使が中国から持ち帰り、平
     安末期から鎌倉・室町時代にかけ、幕府や民間貿易で輸入し、江戸時代・寛文10年(16
     70年)の「渡来銭使用禁止令」まで使われた「渡来銭」や江戸時代の代表的通貨「寛永
     通宝」を漁ってみた。
      結局この日は、1枚100円で25枚を2,500円で購入した。それらの中には、「念仏銭」と呼
     ぶ、『南無阿弥陀仏』 の文字が書かれた1枚があった。

        「念仏銭」

      この後、水沼駅の温泉施設で入浴・夕食・仮眠して午後11時近くに帰宅した。3日間の
     総走行距離は、678kmだった。

5. おわりに

 (1) 北関東ミネラル・ウオッチング
      今回3人の西の石友を案内させていただいたが、天候にも恵まれ、訪れた産地の代表
     的な鉱物種を皆さんが漏らさず採集でき、無事帰宅された。
      帰宅後、標本整理が一段落したO(兄)からは、次のようなメールをいただいた。

     『 今回の採集品の整理が大まかですが完了しました。
      銀山平鉱山の例の水鉛鉛鉱は、私の元に来ました。皆さんに御礼申し上げます。
      私の記憶にあった岩塊は10分の1程になっていましたが結晶には見覚えがありました。
      西沢金山では念願の「黄粉銀鉱」が採集できて新たに鉱物種が一種増え、満足して
      おります。
      今回尋ねた産地は全て新産地で、MHには改めて御礼申し上げます。今後とも、宜しく
      お願い申し上げます。                                        』

 (2) 秋のミネラル・ウオッチング
      今回皆さんに喜んで頂けたのは、つぎのような結果だと思う。

      @ 2回にわたる下見で、産地の最新状況把握
      A 過去の採集実績から、採集ポイントの絞り込み
      B 参加者の日ごろの行いの良さで、天気も味方

      異常に暑かった夏も終わり、多くの石友たちが集う、恒例の秋のミネラル・ウオッチングが
     間近になっている。上のポイントの3番目だけは如何ともしがたいが、できる限り準備して、
     安全で楽しものにするつもりだ。

6. 参考文献

 1) 横尾 城東誌:西沢金山 全,発行所不明,大正5年
 2) 岩宿博物館編:、みどり市周辺の鉱業遺産 −鉄・銅・マンガンの生産と技術−
                                 同館,平成20年
 3) 松原 聰、宮脇 律郎:日本産鉱物型録,東海大学出版会,2006年
 4) 坂本 et al:栃木県日光市野門鉱山の珪亜鉛鉱,地学研究第61巻第2号,2013年
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