茨城県鬼怒川の砂鉄







            茨城県鬼怒川の砂鉄

1. 初めに

    少し古い話で恐縮だが、2011年12月、この年のミネラル・ウオッチング納めを群馬県
   桐生市の茂倉沢鉱山で行った。その帰路、茨城県八千代町を通りかかると、道路脇に
   「尾崎前山製鉄遺跡」の看板があり、気がかりなので訪れた。その結果は次のページで
   報告した。

    ・茨城県尾崎前山製鉄遺跡
     ( Ozakimaeyama Iron Works , Ibaraki Pref. )

    鉱物としての興味は、ここでの製鉄原料の「砂鉄」はどこで採掘したものかだった。年が
   明けて2012年2月、茨城県で鬼怒川を横切る機会があったので、川べりを観察すると真っ
   黒い砂鉄が眼に入った。
    車に積んであるパンニング皿と磁石を使って採集してみたが、当時の人々は、磁石を使
   って採集する知識などなかったはずだ、と思い至り、下流の流れが緩やかになった場所を
   見るとまっ黒に砂鉄が堆積し、スコップで掻き採るだけで、面白いように採集できた。

    今ほど人工の手が加わっていない9世紀ごろの川岸なら、もっと自然な形で比重選鉱が
   行われ、さほど苦労せずに原料の砂鉄を採集できただろうことは容易に想像できた。

    2012年3月、たまの休みに古書店をのぞくと、「茨城の鉄づくり」を特集した文芸誌が置い
   てあり購入した。これによれば、茨城県では尾崎前山製鉄遺跡よりもさらに内陸部で古代
   製鉄が行われていたらしく、いずれも川の傍にあるところから、川砂鉄を原料にしていたよ
   うだ。
    上のページでも紹介したように、「常陸風土記」の時代から茨城県では製鉄が行われ、
   現在、鹿島臨海工業地帯には住友金属工業鹿島製鉄所が操業しているのも何かの縁で
   あろう。

    川岸の南斜面で砂鉄を採集していると、川面を渡る風は冷たいものの、陽の光には春の
   訪れが感じられ、本格的なミネラル・ウオッチングのシーズンも間近だ。
    ( 2012年2月 採集 )

2. 場所

    鬼怒川は、栃木県北西部、福島県、群馬県との県境近くにその源流がある。源流域に
   は「西沢金山」、「銀山平」などの有名な鉱山も多く、今まで何回か訪れている。

    ・栃木県西沢金山の鉱物と遺物
     ( Minerals and Reric from Nishizawa Gold Mine , Tochigi Pref. )

    ・北関東の「水鉛鉛鉱」 その3
     ( WULFENITE from North Kanto , - Part 3 - )

    鬼怒川は、鬼怒川温泉などを通り、栃木県を北から南に流れ下り、茨城県南西部で利根
   川に合流し、茨城県と千葉県の県境の犬吠崎附近で太平洋にそそぎ込む。

    「常陸風土記」に、砂鉄の産地とある『安是(あぜ)の湖(みなと)』は、利根川河口付近を
   指すとみられている。つまり、古代製鉄材料の砂鉄を供給した1つが鬼怒川だったのは
   間違いないだろう。

    今回、砂鉄を採集したのは、茨城県水海道市(現常総市)を流れる鬼怒川の岸辺だ。

         
                  地図                       産地
                            鬼怒川砂鉄産地

3. 産状と採集方法

    砂鉄は流れが緩やかになった川の中や川岸に真っ黒い層をなして堆積している。つまり
   自然の力で比重選鉱され、比重の重い砂鉄が溜まっていくわけだ。

       産状【黒いのが砂鉄】

    砂鉄の特徴をうまく利用した採集方法がある。

    @ 比重が5.2・・・・・・・・石英の約2倍あり、パンニングによる比重選鉱
    A 強磁性・・・・・・・・・・磁石に良く付くので、磁石を使った「磁気選鉱」

          
               パンニング                    磁石吸引
                            採集方法

4. 採集鉱物

 (1) 砂鉄/磁鉄鉱【MAGNETITE:FeFe3+2O4
      真っ黒い粒状〜粉状で産する。砂鉄の中には、チタン鉄鉱【ILMENITE:FeTiO3】など
     も微量含まれている。
      「原色鉱物岩石図鑑」には、チタン鉄鉱には磁性を帯びるものもある、とあるがチタン
     そのものは磁性が弱いはずだから、鉄(Fe)とチタン(Ti)の比率で磁性を帯びたり、そう
     でなかったりするのだろう。
      チタンは熱した塩酸の中で、Ti3+、となることからもわかるように、Fe3+と置き換わっ
     ているのかもしれない。

       砂鉄【磁鉄鉱】

5. おわりに

 5.1 『日本の製鉄の歴史』

      「常陽藝文」誌の2010年4月号に、『茨城の鉄づくり』が特集されている。そのなかに
     「日本および鹿島の鉄の歴史」が掲載されている。これに、私の知り得た情報を追加
     して、「日本の製鉄の歴史」、としてまとめてみた。茨城県関係の部分は、緑色で表示
     した。

時代・西暦 日本暦   内     容    備        考
縄文時代晩期後半   福岡県曲り田遺跡
『板状鉄斧』出土
 
弥生時代前期初頭
【紀元前300年頃】
  熊本県藤山遺跡
『手斧』出土
 
弥生時代前期後半
  山口県山の神遺跡
『鋤先』出土
 
古墳時代初頭   鉄器出土地域が
関東・北陸へ広がる。
 
5世紀ごろ   各種武具(甲冑など)製作 鍛冶集団が渡来
5世紀ごろ   厨台遺跡群 鍛冶炉跡
5世紀後半     福岡県潤崎遺跡
『精錬炉』跡(?)
 
6世紀後半    西日本で製錬炉による
製鉄が行われた。(野だたら)
岡山県大倉池南遺跡
広島県かなくろ谷遺跡ほか
7世紀後半   春内遺跡 大規模鍛冶工房跡
704年 慶雲元年 鹿島で剣を製作 『常陸風土記』の記述
9世紀ごろ   国宝『?霊剣(ふつのみたま))』
尾崎前山製鉄炉遺跡
11世紀前半説もある
9世紀以降   鉄生産が全国的に普及 大規模生産と小規模生産が
同時に存在
9世紀後半   比屋久内遺跡 製錬炉跡
13世紀後半   高殿たたらの原型炉設置
(島根県吉田町)
本格的な粘土製
製鉄炉の誕生
16世紀半ば   吹き差し鞴(たたら)
【箱鞴】の出現
 
1681年 天和元年 高殿たたら誕生
(島根県吉田町)
 
18世紀初め頃   鉄師によるたたらの経営  
1850年 嘉永3年 佐賀藩が反射炉建設  
1854年 安政元年 水戸藩が反射炉建設 大島高任の指導
1857年 安政4年 伊豆韮山に反射炉建設 江川太郎左衛門
1858年 安政5年 釜石に洋式高炉建設 大島高任
12月1日初出銑
【鉄の記念日】
1862年文久2年
岩手県江刺郡
文久山高炉建設
鉱山札の研究
「文久山鉄山札」
1874年 明治7年 工部省釜石鉱山発足 臨海型製鉄所の
先がけ
1894年 明治27年 コークス高炉法を導入  
1901年 明治34年 官営八幡製鉄所操業開始  
1969年 昭和44年 たたら復元操業 日本鉄鋼協会
1977年 昭和52年 「日刀保」たたら操業開始 島根県横田町
【旧靖国たたら】
2002年  平成14年 『平成の大直刀』製作
サッカーワールドカップ
記念事業

        
                茨城県の製鉄遺跡
               【「常陽藝文」から引用】

 5.2 『鉄は金の王哉』

      このページに限らず日常生活で「鉄」の字を使っている。「字源」を読むと、「俗に、鐵
     の略字とするは非」、とある。
      「鉄」の字は、「金を失う」と言って嫌い、「鉄は金の王哉」の意味で「鐵」の字を社名
     に用いていた製鉄会社があったほどだ。

      また、鉄の生産量は国力のバロメータともされ、先年、製鉄量で日本が首位の座を
     中国に明け渡したのは大きなニュースになった。

      骨董市や切手店を巡っていると、鉄に関連したアイテムが入手できたので、紹介する。
      これらを見ていると、身近にあるがゆえに普段その存在やありがたみを忘れてしまう
     鉄の存在を改めて認識する次第だ。まあに、『用の美』だろう。

          
         絵葉書「一本の釘も粗末にするな」              電気炉
   【昭和12年〜20年 国民精神総動員中央連盟発行】    【昭和24年 産業図案切手】
                             鉄を描く骨董品

6. 参考文献

 1) 簡野 道明:縮刷 字源,北辰社,大正14年
 2) 黒岩 俊郎編:金属の文化史 −産業考古学シリーズ(1)−,アグネ,1991年
 3) 植垣 節也 校注・訳:風土記,小学館,1997年
 4) 司馬遼太郎:街道をゆく 7 砂鉄のみちほか,朝日新聞社,1997年
 5) 司馬遼太郎:週刊 街道をゆく No38 砂鉄のみち,朝日新聞東京本社,2005年
 6) 木村 福一編集:常陽藝文 藝文風土記 「茨城の鉄づくり」,常陽藝文センター,2010年4月
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