金石舎 ブック型鉱物標本









               金石舎製 ブック型鉱物標本

          ( Book Type Mineral Specimen set made by Kinsekisya)

1. はじめに

    年明け早々に”釜(ガマ)(あ)け”ならぬ、”釜(かま)を掘られ”てしまい、恒例になっている県内産地
   初詣ができないまま、1月が終わろうとしている。
    しからば、現金採集と地元で開催される骨董市をのぞいてみた。骨董の定番の陶磁器、書画、古民具、
   玩具(おもちゃ)、古銭などと並んで、水晶などの鉱物や岩石が並んでいるのはこの地方ならではだろう。

     
                     地元の骨董市

    以前瑪瑙(めのう)板を買った店に、岩石・鉱物組標本(ブック型標本)が3セット並んでいた。2つは当時の
   尋常小学校(現在の小学校と同じ)4年生から6年生が授業の副教材として使用したもので、それだけに数が
   多く、珍しくもなんともない。

    もう一つは、表紙に『神保先生○ 生徒用鉱物界標本』、とあり東京帝国大学教授だった神保小虎博士が
   著わした教科書をベースにしたものだ。綴じ紐をほどいて蓋(ふた)を開けると、個々の標本のラベル代わりに、
   収納してある鉱物の一覧表が蓋の裏に貼りつけてある。そこには、『金石舎標本部特製』、とあり、高木
   勘兵衛の下で、長島乙吉氏が調製したものに間違いなさそうだ。
    ただ、乱暴に取り扱われた上に、保管も良くなかったようで、標本のマス目が壊れていたり、標本が入れ違っ
   ているのはまだしも、70種のうち1/3ぐらいは紛失していそうだ。値段を聞くと、どれでも1つ○千円だというので、
   迷わず金石舎のものだけ購入した。

    この手の組標本を、なぜ『ブック型』と呼ぶのか、長い間不思議に思っていた。自宅に帰って、落ち着いて
   標本箱を見直したら、その謎が解け、貴重なものだと思うようになった。

    2018年は珍しく家族全員が集まり楽しい正月を過ごしたところに、追突事故で水を差されたが、今年も
   良い年にしたいと願う MH だ。
    ( 2018年1月 入手)

2. 入手した金石舎製鉱物標本

    ここまで、”蓋”とか、”蓋の裏”とか、勝手な名前で呼んでいたが、ブック(本)型標本なので、できるだけ”本”
   の各部位を正式な名前で呼ぼうと思う。

     
                        本の部位の名前

    入手したブック型標本の表紙(フタ)を閉じた状態の大きさは、縦265mm、横195mm、厚さ30mmだ。よく
   みかける昭和時代に作られたブック型標本に比べて一回り大きい。

     
                             外観

    表紙に貼ってあるタイトルは一部破れて脱落しているが、次のページに示す2000年6月に入手した明治末に
   調製されたと思われる、神保先生の名前が入った金石舎製のブック型鉱物標本と見比べて、次のような情報
   を読み取った。

    ・ 神保先生著の鉱物界教科書に準拠して標本を調製
    ・ 製造元は金石舎標本部

     ・ 骨董市での鉱物標本探し
      (Mineral Hunting at Flee Market)

     
                  表紙

    表紙を開けると、左側が標本収納マス、右側の裏表紙には個々の標本のラベル代わりに、収納してある
   鉱物のNoごとに、鉱物名・産地が一覧になっている。

     
                                 本体

    一覧表からは、神保先生著の鉱物界教科書に準拠して標本が造られていることと、製造元が東京市
   神田区五軒町にあった金石舎標本部であると書いてある。

     
                        鉱物界標本一覧表

    鉱物を収納するマス目は、10行×7列=70マスあり、70種の鉱物・岩石が収納してある。ブック型標本は40種
   前後収納しているのが普通のところ、70種も入れてあるため、マス目の大きさが縦横21mm(3分)で、それだけ
   標本の大きさも小さくなっているきらいがある。

3. 『ブック型標本』の名の由来

    このタイプの標本を「ブック型標本」と呼ぶのには少なからず抵抗を感じていた。確かに、フタをあたかも表紙を
   めくるように開けると目次に相当する標本一覧表があり、さらにページに相当するマス目ごとに標本がズラリと
   並んでいる様は本に似ていると言われればそれまでだ。

    今回入手した標本を天または地の方向から見てみると背の部分には蒲鉾(かまぼこ)状断面の板、小口の
   部分には円弧状に凹んだ板が使われている。通常の標本箱は長方形の断面の板を組み合わせて作って
   いるのと大違いだ。
    その結果、標本箱を立ててみると、まるでそこに丸みをおびた背表紙の本が1冊あるような錯覚にとらわれる。
   無機質で冷たいものの代表のような鉱物・岩石標本から、何故(なぜ)か温(あたた)か味が感じられる。

        
                     天(地)から見る                   立てた状態
                                 「ブック型標本』

    長島乙吉氏は、一人でも多くの男女学生に鉱物に親しみを感じ、好きになってほしいとの願いを込めて
   この標本箱を考案したのだろう。

    これを見て、私は『ブック型標本』と呼ばれるのに合点がいった。読者の皆様はいかがだろうか。

 ■ いつごろのものか?【製作年代】
    製作年を特定できる年号などは認められなかったが、製作年代を推測できるいくつかの手がかりはある。

  1) 金石舎の住所が「五軒町」
      明治44年に神田区「神田五軒町」の神田が外れて「五軒町」になった。昭和22年にふたたび「神田
     五軒町」にもどる。この間だ。
  2) 産地に「甲斐國」など都道府県でなく「国」が使われており明治末期、遅くても大正初期
  3) 長島乙吉氏は大正2年に金石舎を去る。とは言っても、鉱物標本の採集・供給あるいは調製では、
     昭和になるまで関わりを持ち続けたようだ。

    これらを勘案すると、この標本は明治44年から大正2年の3年間に、長島乙吉氏によって考案された『ブック
   型鉱物標本』 原形 の 最初(期)にして最後のものだと考えられる。(明治45年=大正元年)
    なぜなら、上のページで紹介した同じ明治時代に作られたと思われる「ブック型標本」は「背」や「小口」が
   なくなっている。それが主流となり、今回入手したと同じ形のものは、一度も見たことがない。

4. 『ブック型標本』箱のリ・コンストラクション(復元)

    入手した時、茶褐色に汚れた綿塊がマスの中に敷き詰められていた。標本が失せたのか空っぽのマスがある
   かと思えば、一つのマスに2個標本が入っている箇所もあった。1つ入っている箇所の標本を一覧表と照らし合わ
   せてみると、入れ違っていることが明らかになった。

    こうなると、この標本箱が作られた時の状態に復元したくなるのが、MHの性(さが)だ。ひとまず、標本箱から
   標本と下に敷いてある綿をすべて取り除いた。
    その状態の標本箱が上の「本体」の写真だ。標本は、とりあえず別な箱に移しておいた。

     
                       仮置きした標本

 ■ まずは、標本箱の復元
    写真を見ればおわかりのように、マスの”桟(さん:境の仕切り)”が欠けているところがあり、これを補修する。
   桟が箱から飛び出すのを抑えるために持ち主が打った無粋な釘を取り除く。

        
                  Before                           After
                                 欠けた桟

        
                  Before                           After
                                 無粋な”釘”

 ■ 標本番号
    標本一覧表と対比して、標本の鉱物・岩石の名前を知るためと、取り出して観察した後正しい場所(マス)
   に戻すために、標本には標本番号を書いた小さな紙片が貼りつけてあるのが普通だ。この標本は、ほとんどの
   標本番号が剥がれ落ちていた。
    唯一、「2」の方は下半分剥がれ落ちているが「25」番と思われる四角い紙片がついた標本があった。黒鉛
   色で、指先で擦(こす)ると ”スベスベ” した触感で、触(さわ)った指先が黒く汚れるところから、「黒鉛」だと
   鑑定した。
    一覧表を見ると、25番は越中國(富山県)婦負郡高清水の石墨とあり、この紙片は最初から付いていた
   オリジナルだと思われる。
    これと似たものをPCで作成し、全ての標本に貼りつけることにした。

        
              オリジナルの貼付状況                    PCで新規作成
              【標本No25 「石墨」】
                                 標本番号

 ■ 敷き綿
    オリジナルと同じように、標本箱のマスにはマス目より少し大きめに切った新しい綿を敷き詰める。”百均”など
   で売っている、一定の大きさ( 4 cm × 4 cm )に切った「カット綿」を厚み方向で2枚に割いて利用した。

     
                 「カット綿」

 ■ 標本の鑑定と番号貼付け
    一番の難関は標本鑑定だ。「水晶」や「黄鉄鉱」などは簡単だが、「無焔(煙)炭」、「黒炭」、「褐炭」、
   「泥炭」はすべての標本を見たことがないのだから、区別できる自信はない。

    そこで、次のような手順で標本の鑑定=一覧表との対応付けを進めた。

     1) 「水晶」のように自信を持って鑑定できるものを先に
     2) 自信がないものは、消去法で絞り込む

    こうして鑑定し、標本Noを糊で貼りつけ、所定のマスに収納した後の標本箱を示す。だいぶ空のマス(欠品)
   が目立つ。

     
                              復元後標本箱

 ■ 欠品
    最初に見た時に、何も入っていないマスが目立ったので、1/3くらいは”欠品”だろうと予想はしていた。標本
   を鑑定し、マスを埋めて行って、最終的に”欠品”と判断したのは20標本だった。それを一覧表として示す

No   名  称    産     地    備     考
1 水晶 甲斐國中巨摩郡金峯山 金峰山の誤り
2 紫水晶 磐城國刈田郡小原 雨塚山のこと
10 輝石 肥前國西ケ岳  
13 蛇紋岩 武蔵國秩父郡皆野  
17 石膏 甲斐國中巨摩郡静川 夜子沢のこと
18 螢石 能登國羽咋郡寶莚山 寶達山の誤り
19 硫黄 陸前國玉造郡鳴子  
21 柘榴石 常陸國真壁郡山ノ尾  
22 黄玉 美濃國恵那郡高山  
23 鋼玉 美濃國恵那郡高山 サファイア
24 金剛石模型
ブリゝアント形
   
31 アスファルト 羽後國北秋田郡龍毛  
34 辰砂 阿波國那賀郡加茂谷  
49 輝安鉱 伊豫國新居郡市ノ川  
52 真鍮    
53 白銅    
64 礫岩 甲斐國南都留郡島田  
65 試金石 紀伊國東牟婁郡那智濱  
68 銭石 美濃國不破郡赤坂 ウミユリ化石
70 石板石 独逸國  
合    計 20 種  

    欠品のトップに「水晶」がある。ザッと見た時に水晶がいくつかあったので、まさか水晶が欠品だとは思わなか
   った。
    水晶を集めてみると何かおかしいのだ。水晶の”カケラ”が少なくても6個はある。とても一マスに入りきれる量
   ではない。しかもその形やインクルージョンが『甲斐國中巨摩郡金峯(峰)山』産の水晶と同じとは思えない
   のだ。

     
             入っていた「水晶」

    オリジナルとして入っていた「水晶」が散逸し、比較的入手が容易な別な産地の「水晶」を入れて置いたと
   思われ、もともとの標本ではないことから”欠品”とした。

    欠品の産地の標本のほとんどは、産地を訪れ採集するか”現金採集”して持っている。持っていない鉱物・
   岩石類や訪れていない産地を ”赤字” にしてみた。結構マイナーな産地のものだから、手に入れるには
   自力採集しかないのかも知れない。
    これらの産地訪問と標本入手をミネラル・ウオッチング計画に反映しておこう。

 ■ 標本内訳
    「鉱物界標本」と謳っているが、70種の内、今日の分類で鉱物とされているのは39種(約56%)で、半分近く
   が岩石、石炭、石油類で占められ、明治時代と現在の鉱物の定義の違いを知らされる。

 区  分 点数   備   考
鉱物 39 琥珀を含む
岩石 12  
岩石(用途名) 2 試金石、石板石
石炭・石油類 6  
金属・合金類 8  
化石 2  
宝石模型 1  
 合  計 70  

    石炭などは、明治39年に出版された和田維四郎の「日本鉱物誌」は『燃鉱類』として、大正7年になっても
   佐藤傳蔵の「大第鉱物学」は「炭類」として鉱物の一部として記述している。

 ■ 国別鉱物産地
    鉱物標本39手の産地を国別に標本数の多い順に並べて一覧表にしてみた。

國名 標本数    備   考
美濃 7 岐阜
羽後 4 秋田
甲斐 4 山梨
陸中 3 岩手
磐城 2 宮城・福島
陸前 1  
越後 1  
佐渡 1  
常陸 1  
能登 1  
越中 1  
武蔵 1  
伊豆 1  
遠江 1  
但馬 1  
播摩 1 播磨の誤り
備後 1  
石見 1  
阿波 1  
伊豫 1  
肥前 1  
豊後 1  
薩摩 1  
台湾 1 台北沙帽子山麓の
「角閃石」
合計 39  

    トップは7点の美濃國(岐阜県)で、4点の羽後國(秋田県)と甲斐國(山梨県)が続いている。「黄玉(ト
   パズ)」や「鋼玉(サファイア)」の産地が美濃國(岐阜県)であるのは解るにしても、「磁鉄鉱」、「花崗岩」、
   そして「玄武岩」なら他にもっとふさわしい産地がありそうな気がする。
    このようなことからも、この標本の調製に美濃國(岐阜県)中津川出身の長島乙吉氏が関わっていたことが
   うかがえる。

    私が住む山梨県は、「水晶」、「草入水晶」、「蛭石(ひるいし)」、そして「石膏」など、明治時代から全国
   に知られた鉱物と産地があったのだが、それらの多くがここ10年の間に、採集禁止になってしまったのは
   残念だ。

5. おわりに

 ■ 納得、『ブック型鉱物標本』
    今回入手した鉱物標本は、1冊の本を思わせる外観で、『ブック型標本』と呼ばれる所以が納得できた。

    しかし、このスタイルが広まり定着することはなかった。その理由として、次のようなことが考えられる。

    1) 価格がアップ
        ”背”や”小口”をつける”凝った造り”になっている。そのため製作するのに余分な材料や手間が掛かり
       その分価格がアップした。

    2) 造りが華奢(壊れやすい)
        ”小口”の両端は細くなり、少し強い力を加えると割れそうだ。購入者の小中学生が少し乱暴に扱う
       と壊れてしまいそうだ。

    このように壊れやすいし、値段も高いことから ”オリジナルの『ブック型鉱物標本』” は普及せず、四角い箱型
   の標本箱が ”ブック型標本” として普及したのだろう。

 ■ 庶民の願い
    年初の骨董市で、『上棟銭(じょうとうせん)』を入手した。寛永通寶と文久永寶という、江戸時代(一部
   明治時代まで)、庶民が使っていた銭(ぜに:銅貨)に金メッキや銀メッキを施したものだ。金貨の小判などに
   縁がなかった庶民に、金銀貨を持った気分だけでも味合せようとしたものだ。

    その多くは、建物の棟上(むねあ)げの際に、ばら撒かれので、「上棟銭」と呼ばれている。今回入手した
   2枚の上棟銭には、紙縒(こよ)りが結ばれていて、ばら撒いた時に華やかさを演出すると同時に、拾う人に
   とってどこに落ちたかを示す目印の役割も果たしている。

     
                            「上棟銭」

    お金もなければ、ましてや権力などない庶民にとって、ただ一つの願いは家族の健康だ。追突事故では、
   車は大破し廃車の運命だが、命に別状なかったのが不幸中の幸いだ。これは、”注意しなさい”という天啓と
   謙虚に受けとめる Mineralhunters だ。
   

6. 参考文献

 1) 大第鉱物学(下巻),六盟館,大正7年
 2) 長島 乙吉、弘三:日本希元素鉱物,日本鉱物趣味の会,昭和35年
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