水晶で作られた石器 その7

             水晶で作られた石器 その7

1. はじめに

    3年ぶりに千葉県の単身赴任先から山梨県に戻って丸一年が経った。単身赴任のときとの違い
   の一つが、携帯電話の「万歩計」機能に記録された一日当りの歩数が大幅に少なくなったことだ。
    単身赴任のときは、往復の通勤や社内での移動などで、少ない日でも7,000歩、多いときは2万
   歩弱は歩いていたのに、戻ってから、特に冬の間は大雪などもあって、一日平均して3,000歩だっ
   た。

    春の訪れを待ちかねたかのように、体慣らしの第一歩として、農園の手入れだ。「花子とアン」の
   BS放送が終わると、モーニング・コーヒーを飲んで8時から畑に出勤だ。午前中いっぱい耕したり、
   ジャガイモの種を植えたり、延べ10日ほど通って、プロはだしの畑になった。毎日、一万歩前後
   歩いていると”動ける身体”になってきた。

    本格的なリハビリの第1ステップとして、2013年と同じように、長野県川上村と隣の南牧(みなみ
   まき)村のレタス畑で水晶石器観察に出かけてみた。
    以前、石友・Yさんに教えてもらった場所を中心に範囲を広げてレタスの植え付け準備がされて
   いない畑を巡検し、石器作りで出た多数のカス(剥片)に混じって「石槍」や「石鏃」などの石器が
   観察できた。初めて石英原石を観察した場所もあり、石英(水晶)が広い範囲で石器の材料として
   使われていたことを再確認できた。

    間もなく入るGWは遊びにくる孫娘の相手で終わりそうだが、帰ったら本格的なミネラル・ウオッ
   チングを始動したいと思っている。
   ( 2013年4月観察 5月考察 )

2. 産地

    ミネラル・ウオッチングで通ることが多い長野県川上村とその隣の南牧村のレタス畑や原野に
   は数多くの遺跡がある。旧石器時代と縄文時代だけでも、一万年以上の永きにわたって人々の
   生活が営まれた跡が残されている。
    2013年晩秋に発掘・調査され、水晶原石が多数出土した矢出川第[遺跡は3万年前に遡るの
   ではないか、とみられている。
    遺跡はまんべんなく分布しているわけでなく、点々と分散しているので、過去に観察できた場所
   とその周辺を新たに開拓するのも楽しい。

        
                  八ヶ岳を望む                    男山を望む
                                石器観察地

3. 産状と観察方法

    この地域は、高原野菜、とりわけレタスの有名産地なので、野菜の栽培が終わった11月〜
   3月が適期だ。GW直前にレタス畑を通りかかると、ビニールのマルチが掛けられ、苗の植え
   付け準備が済んでいて、こうなると石器観察は遠慮せざるを得ない。

      苗の植え付け準備完了

    畑を耕したときに掘り起こされた土が雨にあたったり、風に吹かれたりして、石器が表面に
   露出していることがある。これらを観察するのだ。
    畑の表面を見ながら、くまなく歩き回ると”キラリ”、と輝く石器に出会えることがある。

     
                  石英片

    石器のごく一部しか見えないケースも多く、いちいち屈(かが)んで手に取って確認するのは、
   ”スクワット”をやっているようなもので疲れる。最近では、長さ1mくらいの小枝をもって、怪しそう
   な石は突っついて掘り起こし、全体を観察するようにしている。

     
               小枝の先に黒曜石

    歩いているコースから外れた場所で”キラリ”と光った場合、その場所に小枝を突き刺して置くと
   目印になり、間違いなく元のコースに戻れる効果もある。

4. 観察石器

 4.1 石器材料
      遺跡別に観察できた石器の材料を分類した結果を下表に示す。

鉱物・岩石・土器 観察石器・剥片・土器例 遺跡名(位置)・時代・特徴と観察石器数(ケ、%)
 YK Kの
Kの
北東
Kの
北々東
 Kの
Kの
西
 YD  N 合 計
縄文
前期
旧石器
土器 石槍 細石刃 石英
(水晶)
黒曜石(黒) 15
(71.4%)
14
(48.3%)
136
(89.5%)
2
(66.7%)
508
(96.6%)
242
(77.6%)
11
(91.7%)
1
(11.1%)
929
(87.3%)
黒曜石(赤)   5
(17.2%)
            5
(0.5%)
黒曜石系
(他県産?)
2
(9.5%)
        3
(1.0%)
    5
(0.5%)
チャート(灰青) 1
(4.8%)
5
(17.2%)
13
(8.6%)
1
(33.3%)
14
(2.7%)
62
(19.9%)
1
(8.3%)
6
(66.7%)
103
(9.7%)
チャート(赤) 1
(4.8%)
              1
(0.1%)
頁岩 2
(9.5%)
5
(17.2%)
2
(1.3%)
  4
(0.8%)
4
(1.3%)
    17
(1.5%)
石英(水晶)     1
(0.7%)
    1
(0.3%)
  2
(22.2%)
4
(0.4%)
合 計 21
(100%)
29
(100%)
152
(100%)
3
(100%)
526
(100%)
312
(100%)
12
(100%)
9
(100%)
1064
(100%)
  土 器 5
(100%)
              5
(100%)

      1) この地域で石器観察をはじめた2010年の調査結果と比較して図に示す。
         比率に大きな変化は見られないことから、この地域の石器材料のおおまかな比率と
         みて間違いないだろう。

        
                   2010年                      2014年
                        石器に使われた鉱物・岩石内訳

      2) 八ヶ岳周辺では、圧倒的に「黒曜石」の比率が高く、90%近くを占めている。
         この地域で入手が容易だったことと、割りやすく加工しやすい特性が相俟(あいま)って
         の結果だろう。
      3) 水晶の比率は1%以下と少ない。以前、「石器作り」のページで報告したように、材料入手
         の難易度よりも、加工しにくいことがその理由だろう。

          ・ 石器作りに挑戦
           ( Challenge Making Stone Implement , Yamanashi Pref. )

         ただ、N遺跡のように、20%強が水晶の遺跡もあり、時代によって、入手できる石材の
         制約や人による好みなどがあったのかも知れない。

 4.2 石器かどうかの判断
      畑の土の上で”石”を見つけてもそれが”石器”なのか”ただの石ころ”なのかの判断には
     悩まされることが少なくない。農道の整備でどこか知らない産地から運びこまれ敷かれた「砕
     石」が農作業の車のタイヤで跳ね飛ばされ畑の中に落ちていることも多い。

      私の場合、次のような基準で”石器”と”石ころ”を区別している。

      1) 形状と材質が博物館展示品や図録掲載品と同じ。
          形だけでなく材質もどこかで見た国内遺跡出土の石器と同じであれば間違いないと
         判断できる。
          最近では中南米の原住民がごく最近お土産用に作った黒曜石の石槍や北米やアフリ
         カの原住民が作った石鏃や石斧なども売られているので、”現金採集”するときは注意
         が必要だ。

      2) 石器の形をしている。
          落ちている石器はもともと破損して使えなくなって捨てたものがほとんどだ。その上、
         畑の土は毎年のように機械で耕され、そのときにさらに割れ、欠けが発生するので
         完全な形の石器が落ちている可能性は極めて低い。
          一部が欠けていたり、一部しか残っていない破片から元の形を想像する。

      
                          石槍の原型想像図

      3) 加工痕・使用痕がある。
          石槍や石鏃などの石器のエッジ(縁)は、両側から”押圧剥離”した加工痕が残ってい
         る。これが残っているものは”石器”だ。

      
             ”押圧剥離”加工痕

          長く使っていた石器には、磨滅した使用痕が残っている場合もある。専門家は、動物
         を解体した時に付着した獣脂の『脂肪酸』を分析するらしいが、”甘茶”には無理な相談
         だ。

      4) 今でも使える。
          「ナイフ型石器」のようにエッジが鋭利で、今でもナイフとして使えるものは石器だ。

      
                「ナイフ型石器」

 4.3 観察石器
      今回観察したした石器の一部を紹介する。

       
          チャート             頁岩       黒曜石    チャート
                          「石槍」

       
                   石鏃                       細石刃

5. おわりに

 5.1 「縄文時代前期 すでに葬送の場』」
      2014年4月30日、読売新聞朝刊に題記の記事があった。北陸新幹線建設にともなって、
     約6,750〜5,530年前に形成された富山市小竹(おだけ)貝塚から91体の人骨が発掘され、
     そのうち17体には副葬品が添えられ、手厚く葬(ほおむ)られていた。
      小林教授は、「貝塚は、かつて考えられたようなゴミ捨て場ではなく、食べ物の殻や使い終
     えた道具、亡くなった人を『送る場』だった」と語る。
      日本の酸性土壌では石器などは残るが人骨は溶けて残らないケースがほとんどだが、獣や
     魚の骨、貝の殻などが含む豊富なカルシウムに守られ残ったようだ。
      ある老年男性の傍らには、大小4本の磨製石斧、石鏃、漁具(石錘?)、「石匙」がまとめて
     置かれていた。男性の左足には骨折の痕に加え、帯状の固定具を縛り付けた形跡が見られ
     障がいを負ってからも懸命に生きた”長老”を手厚く葬ったと想像している。

    
         石斧などが副葬された人骨
            【読売新聞より引用】

      国立科学博物館の篠田氏がDNAを分析結果、現代日本人の1/3に見られる「D4」タイプは
     全く検出されず、このタイプは弥生時代になって渡来したものとの説を裏付けている。
      一方、「M7a」と呼ばれ、現代の沖縄の人々の1/4から検出される南方系のタイプと、「N9b」と
     呼ばれるロシア沿海州の先住民に多いタイプが混在していた。
      日本人の起源について、「南方系の縄文人が住んでいた日本列島に北方系の弥生人が渡
     来し、徐々に混血した」、とされてきたが、「縄文前期にすでに南と北からの人々が混ざり合っ
     ていた。時代や地域によって様々な混じり方をしていたはずで、もはや『均一な縄文人』を想
     定すべきでない」、と篠田氏は語る。

      八ヶ岳周辺の旧石器遺跡は、小竹遺跡よりも1万年、場合によっては2万年以上古い遺跡で
     どこから来た人々がどのように暮らしていたのか、観察した石器を手にしながら考えるだけでも
     楽しい。

 5.2 「GWミネラル・ウオッチング」
      2014年の冬、山梨県では記録的な大雪だった。GWに登山し、遭難した人も少なくなかった。
     その理由は例年になく残雪が多い、ためらしい。
      恒例のGWミネラル・ウオッチングは、「月遅れ」にするつもりだ。

      多くの石友と湯沼鉱泉でお会いできるのを、楽しみにしている。

6. 参考文献

 1) 白石 浩之:旧石時代の石槍 狩猟具の進歩,東京大学出版会,1989年
 2) 堤 隆:黒曜石 3万年の旅,日本放送出版協会,2004年
 3) 山梨県立考古博物館編:第23回特別展 縄文時代の暮らし 山の民と海の民
                     同館,2005年
 4) ミュージアムパーク茨城県自然博物館編:第44回企画展 ザ・ストーンワールド
                               −人と石の自然史−,同館,2008年
 5) 国立歴史民族博物館編:企画展示 縄文はいつからか!?,同館,2009年


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