水晶で作られた石器 その6 − 矢出川第[遺跡水晶石器時代考 −

             水晶で作られた石器 その6
         − 矢出川第[遺跡水晶石器時代考 −

1. はじめに

    2013年11月、山梨県のNさん一行をミネラル・ウオッチングに案内し、湯沼鉱泉からの帰りに訪
   れた「南牧村美術民俗資料館」のMs.Nから聞いた耳よりな情報で、発掘現場を訪れ、掘り出した
   ばかりの水晶や黒曜石の石器をT先生に見せていただいた。
    以前から、南牧村や川上村で水晶石器(というより剥片)をいくつか観察しているが、これらの
   水晶がどこから来たかが私にとって大きな疑問だった。見せていただいた水晶の形・色の特徴
   などから、この水晶は、『川上村西股沢』のものだと確信した。その結論に至った理由などを
   次のページで報告した。

   ・ 水晶で作られた石器 その5 − 水晶原産地考 −
    ( Stone Implement made from QUARTZ  Part5
     Birth Place of QUARTZ ,
     Kawakami & Minamimaki Village , Nagano Pref. )

    T先生も水晶の産地がどこかには興味を持っておられるので、HPのコピー、遺跡と水晶産地の
   位置関係がわかる地図を作成し、『西股沢』の水晶を添えてお送りしたのは、2013年12月だった。

    2014年新年が明けて、郵便受けを見ると、長野県埋蔵文化財センターからの一通があった。
   封を開けると、「矢出川第[遺跡報告会のお知らせ」だった。T先生から、発掘品を3月ごろに、
   「長野県立歴史館」で展示する予定と伺っていたが、地元・南牧村での報告会が先に行われる
   ことになった。
    報告会会場は、50名ほどの熱心な老若男女の考古学ファンで埋め尽くされていた。出土品・パ
   ネル展示には、私が寄贈した川上村西股沢の水晶3点も展示してあった。

          
               説明するT先生                   私の寄贈品
                                        【川上村西股沢産水晶】
                          矢出川第[遺跡 展示

    出土した石器の形状から、矢出川第[遺跡は約30,000年前の遺跡で、今まで発掘された八ヶ
   岳東麓では最も古い旧石器時代のもののようだ。隣り合って、まとまって出土した水晶石器も同
   じころのものと考えられる。
    獲物を追って川上村の西股沢に入り込んだ旧石器人が落ちていた綺麗な水晶を拾って持ち帰
   り、八ヶ岳を望むキャンプ地で石器作りする姿が目に浮かぶ。

    会場までの往復、国道141号線沿いの畑や山肌は一面雪に覆われていたが、晴れた日の日中
   の気温は10℃近いようで、木々の芽は膨らみはじめ、春の訪れが感じられた。
    雪が消えたら、冬の間に鈍った身体のリハビリを兼ねて、『石器観察』にでかけるつもりだ。
    ( 2014年1月 聴講・見学 )

2. 旧石器時代の日本列島

    旧石器時代とは、今から13,000年から30,000年前の”打製石器”とオオツノジカやナウマンゾウ
   などの”絶滅した動物”に代表される時代だ。これに対して、新石器時代は、土器を伴う、”磨製
   石器”の時代だが、旧石器時代の長野県には、”世界最古の局部磨製石器”もあったから話は
   単純ではない。

    私が子どものころ学校で習ったのは、「石器」、「青銅器」、「鉄器」の3つの時代区分だったが、
   現在では細分化がすすみ、長い旧石器時代の3万前からの区間だけとっても、「先土器時代」、
   「岩宿時代」、「後期旧石器時代」などと、研究者によっても呼び名まで違うようだ。

     
                   考古学的時代区分

    私たちと同じ”新人(ホモ・サピエンス)”は、約20万年前にアフリカから世界各地に広まり、日本
   にやって来たのは4万年から5万年前とされる。赤道に近いアフリカなどに残った人々は膚の色が
   黒く、ヨーロッパや北欧などの高緯度地域の人々は白く、そしてその間の温帯から亜寒帯に住む
   人々は黄色や褐色になった。たかだか、20万年間のできごとだ。
    今回の発掘で明らかになったのは、八ヶ岳東麓の矢出川に新人がやってきたのは、約3万年前
   で、この地域としては、今まで知られていたよりも1万年以上、旧石器で有名な群馬県の「岩宿
   遺跡」よりも数千年古い時代らしい。

     
                   人類の拡散

3. 矢出川遺跡

    矢出川の地名は、中世、この地で行われた戦闘で放たれた矢の鉄鏃が出土する”矢が出る”
   ところから名付けられた。
    会場で会った私と同年輩のご婦人が、「私の家にもお祖母さんが拾った鉄の鏃がある」、と話し
   ていたが、それほどたくさんの鉄鏃があった(ある?)ようだ。
    矢出川で最初の遺跡発掘調査が行われたのは、戦後間もない昭和29年で、岩宿で旧石器を
   発見した相沢氏も参加していた。

    ・第1次調査    1954年9月3日〜8日    芹沢長介・相沢忠洋ほか
    ・第2次調査    1954年11月1日〜3日   芹沢長介・由井茂也ほか
    ・第3次調査    1963年11月4日〜14日  明治大学考古学研究室

    『矢出川"Yadegawa"』を一躍有名にしたのは、第2次調査で発掘した『細石刃(さいせきじん』
   の発見だった。

    私が矢出川を最初に訪れたのは、2010年3月、千葉県へ2回目の単身赴任に旅立つ直前だっ
   た。石友・Yさんの案内で、なかなか出会うのが難しいとされる『細石刃』をいくつか観察できた。

    ・水晶で作られた石器
     ( Stone Implement made from QUARTZ , Kawakami Village , Nagano Pref. )

3. 矢出川第[遺跡

    2013年10月〜11月に発掘調査が行われたのは、「矢出川第[遺跡」、と名付けられている。

 (1) 位置
       「矢出川第[遺跡」は矢出川の南側にあり、北西に八ヶ岳連峰を望み、電波望遠鏡のパラ
      ボラアンテナ群が見える場所だ。

       
                 矢出川第[遺跡

       「矢出川遺跡」は、八ヶ岳東麓の扇状地と飯盛山北麓の扇状地の間を流れる矢出川流域
      に点在し、第[遺跡は、最初に発掘調査が行われ、現在国の史跡に指定だれている第T
      遺跡の南西にある。

       
                    矢出川遺跡地図

 (2) 矢出川第[遺跡出土状況
      矢出川第[遺跡は、南北に走る農道を掘り下げて発掘したもので、石器は3つのブロックか
     ら出土した。手前の2つからは黒曜石製、一番奥の赤丸のブロックから水晶製の石器が出土
     した。このように、まんべんなく出土するわけでなく、特定の場所や石材がかたまって出土す
     るのは、ここに旧石器人の住居とまで呼べないが”仮小屋”のようなキャンプ地があったから
     だ。
      水晶製の石器は、黄褐色の火山灰土の中に長い年月埋まっていたことを示す”インプリント”
     が残されていた写真もあり、例の旧石器遺跡捏造事件の影響だ。

          
                   石器の分布                石英製石器の出土状況
                           矢出川第[遺跡発掘調査

 (3) 矢出川第[遺跡出土品
      矢出川第[遺跡から出土した石器には、次のような特徴がある。

       ・ 約30,000年前の旧石器時代の黒曜石製石器
       ・ 石英製石器が23点まとまって出土

          
                   黒曜石製                        水晶製
                                 矢出川第[遺跡出土石器

      石器のほかに、逆茂木(さかもぎ)を打ち込んだ、動物を捕えるための中世の”陥(おと)し穴”
     も発掘された。

5. おわりに

 5.1 ”水晶製石器時代考”
      川上村や南牧村で観察できた水晶製石器の水晶原産地が川上村西股沢だと自分なりの
     結論が得られると、”いつごろのもの”か、を知りたくなるとのは自然だろう。

      黒曜石製石器の形状が、約30,000年前の旧石器時代の石器に似ているところから、時代が
     推定されたらしい。一般に、石器の形状は時代が下る(新しくなる)にしたがって、形がそろい、
     洗練されてくるのだが、矢出川第[遺跡から出土した石器は、形が不揃いなのが決め手に
     なったらしい。

       
                       旧石器時代編年

      地質学の『重畳(ちょうじょう)の法則』を持ち出すまでもなく、同じ地層から発見された水晶
     製石器も同時代、約30,000年前のものと考えられよう。

      私も少しでも古い時代の石器であって欲しいと願ってはいるが、自然科学の一分野に携わ
     る技術士として、”形”だけでの判断は誤謬を避けられれない、と思う。
      幼稚園児が描いた絵が、某有名前衛画家のものと誤って鑑定されることだって起こり得る。
     難しいのかもしれないが、より科学的な手法が望まれる。

 5.2 旧石器を描く切手
      甲府盆地を取り巻く山々の谷筋は真っ白い雪に覆われ、川での砂金パンニングや坑道内を
     除いてミネラル・ウオッチングは不可能だ。
      先週、郵趣会の月例会に参加した。この会では、不要になった切手などを格安で販売して
     くれ、私の収集ジャンルのものがあれば購入するようにしている。

      それらの中に、群馬県岩宿遺跡発掘50周年を記念して発行した「ふるさと切手」があったの
     で購入した。
      地層を背景に、発掘された黒曜石で作られた槍先形の尖頭器などの石器を描いている。

       
       岩宿遺跡発掘50周年 記念切手
          【1999年9月17日発行】

      群馬県みどり市(旧笠懸村)の岩宿(いわじゅく)遺跡の隣に「岩宿博物館」があり、2013年の
     秋、石友を北関東に案内した時の待ち時間を使って訪れたことがあった。

      ・ 2013年10月 北関東ミネラル・ウオッチング
       ( Mineral Watching in Northern Kanto Area , Oct. 2013 )

      ここは、昭和21年(1946年)の秋、相沢 忠洋(ただひろ)が赤土(関東ローム層)の中から
     黒曜石製の石器を発見し、旧石器時代にも人々の暮らしがあったことを明らかにした場所だ。
      岩宿遺跡発掘50周年なら、1999年でなく、1996年に発行すべきでは、とも思うが、個人での
     発見は学術的には認められず、大学の考古学研究室によって発掘調査が行われた昭和24年
     (1949年)から数えて50年目の1999年に発行されたようだ。
      ( ふるさと切手は、1989年から発行されているので、発行する気になれば発行できた筈、
       相沢氏が発見した黒曜石の槍先形尖頭器が市立の「岩宿博物館」でなく、私設の「相沢
       忠洋記念館」に展示されているのも、何か象徴的だ )

6. 参考文献

 1) 堤 隆:黒曜石 3万年の旅,日本放送出版協会,2004年
 2) 山梨県立考古博物館編:第23回特別展 縄文時代の暮らし 山の民と海の民
                     同館,2005年
 3) ミュージアムパーク茨城県自然博物館編:第44回企画展 ザ・ストーンワールド
                               −人と石の自然史−,同館,2008年
 4) 国立歴史民族博物館編:企画展示 縄文はいつからか!?,同館,2009年
 5) 岩宿博物館編:常設展示解説図録 岩宿時代 改訂版,同館,平成23年
 6) 長野県埋蔵文化財センター編:長野県南牧村矢出川第[遺跡報告会資料
                        矢出川第[遺跡の発掘調査,同センター,2014年


「鉱物採集」のホームに戻る


inserted by FC2 system