水晶で作られた石器 その4

             水晶で作られた石器 その4

1. 初めに

    3年ぶりに千葉県の単身赴任先から山梨県に戻って1ケ月が経った。ようやく生活のリズムも
   つかめてきた。
    リハビリの第2ステップとして、里山でのミネラル・ウオッチングを計画していたが、達成できたの
   は、@ 長野県の「母岩付き満バン柘榴石」 と A 川上村湯沼の『朝飯前』 の2箇所だけで
   目標の半分だった。
    その大きな理由は、この春は寒暖の差が激しく、4月下旬になっても川上村では10cmを超える
   積雪があり、里山どころか平地でのミネラル・ウオッチングすら難しい状況だった。

    こうなると、リハビリの第1ステップに逆戻りで、長野県川上村と隣の南牧(みなみまき)村のレ
   タス畑で水晶石器観察に出かけてみた。
    数ある石器の中でも、「石匙(いしさじ、または、せっぴ)」に関心があり、どのような材質の石を
   利用し、どのような形に加工し、どう使ったのかを知りたいと思い、是非とも実物をこの目で確認
   したかった。

    石友・Yさんに教えてもらった場所を中心に、石友との集合時間待ちの短い時間だったが、
   レタスの植え付け準備がされていない畑を巡検し、運よく1つ発見できた。
    翌週も、「月遅れGWミネラル・ウオッチング」の下見で、この地域を通りかかったので、巡検して
   みると違ったタイプの石匙を観察できた。

    「石匙」について調べてみると、『天狗飯匕(天狗のめしがい)』の名で石亭の「雲根志」に記
   されていることもわかった。現在では、「石匙」の用途は、”万能ナイフ”と考えられ、スプーン
   を意味する「匙(匕)」の呼称は不適当だとする意見もあるようだが、少なくとも300年近い昔から
   の呼び名を変えるのは容易でないだろう。

    GWも終わり、ようやく春らしさも戻って来たようなので、本格的なミネラル・ウオッチングを始動
   したいと思っている。
   ( 2013年4月観察 5月考察 )

2. 産地

    ミネラル・ウオッチングで通ることが多い長野県川上村とその隣の南牧村のレタス畑や原野に
   は数多くの遺跡がある。旧石器時代や縄文時代だけでも、一万年以上の永きにわたって人々の
   生活が営まれた跡が残されている。
    「石匙」は、縄文時代に盛んに作られ、使われた石器なので、縄文土器の出る遺跡周辺が
   観察できる確率がもっとも高い。

      石器観察地

3. 産状と採集方法

    畑を耕したときに掘り起こされた土が雨にあたったり、風に吹かれたりして、石器が表面に
   露出していることがある。これらを観察するのだ。
    畑の表面を見ながら、くまなく歩き回ると”キラリ”、と輝く石器に出会えることがある。

    この地域は、高原野菜、とりわけレタスの有名産地なので、野菜の栽培が終わった11月〜
   3月が適期だ。GW直前にレタス畑を通りかかると、ビニールのマルチが掛けられ、苗の植え
   付け準備が済んでいて、こうなると石器観察は遠慮せざるを得ない。

      苗の植え付け準備完了

4. 「石匙」考

 4.1 「石匙」とは
     「石匙」は、対応する二つの抉(えぐ)り込みによって形成されたつまみ部(茎:なかご)を
    もつ打製石器である。
     縄文時代早期に生まれ、広い地域で使われた石器である。つまみに対して刃部が直角に
    つく横型と刃部が平行につく縦型に大別できる。
     東北・北海道地方では早期のものは縦型が多く、近畿・中国地方では早・前期に横型が
    特徴的で、中期以降は形態の顕著な地域差はみられない。
     用途は、『万能ナイフ』で、つまみ部を紐(ひも)でゆわえ、腰にぶら下げたり、首にさげて
    携帯し、肉や木などを切ったと考えられている。下の写真の左のものは、ものを切るナイフ、
    穴をあける錐、削りとるスクレーパーの機能を兼ね備えたもので、さしずめ”十徳ナイフ”、と
    いったところだ。
     使用して刃が摩耗したり、欠けたりすると、刃を立て直して使い続けた、と考えられている。

     
                      「石匙」
       【IPA 情報処理推進機構 教育用画像素材集 から引用】

 4.2 観察品
      今回巡検した遺跡では、この地域としては珍しく下の写真のような土器が観察でき、縄文
     時代、しかも早い時期の遺跡であることが推測される。

       縄文土器【横 80mm】

      ここで、観察できた2つの「石匙」を一覧表にして示す。

No 石材   大きさ
(幅×高さ×厚さ)
   単位:mm
        写       真  備  考
1チャート(22×20×5)典型的な形状 
2黒曜石(29×28×10)つまみ部破損
二等辺三角形型

      この2つを比較してみると、@使用している石材 A形状 が全く違う。No1は、小型で精緻
     な加工が施されている。No2 は”ラフ”な造りだ。作られた(使われた)時代、用途、持ち主の
     性別などが石材や形状の違いに反映しているのではないだろうか。

 4.3 「雲根志」に見る「石匙」
     石亭こと、木内小繁(きのうち こはん)(1724-1808)が蒐集した奇石は、地質・鉱物関係
    にとどまらず、旧跡関係そして考古学関係にまで及んでいた。
     旧跡関係は「文字摺石」の類で、考古学関係は、石鏃(やじり)・曲(勾)玉・車輪石・雷斧な
    どで、「石匕(石匙)」も含まれている。
     彼の著書、「雲根志」の中に、次のような一章がある。

     『    天狗飯匕(てんぐのめしがひ) 十二
        天狗飯匕といふは 鏃石の類にて 其かたち大同小異 美濃國赤坂金生山の北の麓
       市橋村谷氏鏃石亭に當山の産 奇石二十枚を珍蔵す 形色同からず 青く黒く或は赤く
       又は紫にて薄く平(たいらか)なり
        雷斧(らいふ:石斧)」 鏃石(やじりいし) 曲玉(まがたま) などの出る所に有と
       いへども 稀にして得がたし
        濃州(じょうしゅう)にて天狗飯匕という 出羽國(山形)及び越後 飛騨等よりも出ツ
       此所にてもやはり天狗飯匕といふ 又佐渡 能登にもあり こゝにては狐の飯匕といふと
        飯匕(めしかい)の名何ゆへなるや考得ず
        余も六ケ國より十枚を得たり 右 鏃石亭及ひ濃州同志の蔵(をさむ)る所
       并(ならび)に 余が得たる十枚をも左に図す                          』

        
                      天狗飯匕
                   【「雲根志」より引用】

     この図をみるとこれは紛れもく「石匙」である。「雲根志」の時代以前から天狗あるいは狐の
    飯匕(めしかい)、呼ばれていた。
     石亭は飯匕となぜ呼ぶのか思い当らない、と述べているが、畑などから出土した得体の知
    れない石器なので、広い地域で”天狗や狐がご飯を食べるときに使った匕(さじ)”、と呼ばれ
    たのだろう。

     「匕」の字が「匙」と同じ音の”ひ”、読みが”さじ”であるところから、現在では「石匙」の書き、
    ”いしさじ”、”せきひ”あるいは”せっぴ”と読んでいるのだろう。

     飯匕は、石鏃などと同じ場所から出土することが知られており、その産出は現在と同じく
    稀だったようだ。

     鉱物学的な興味の1つがどのような石材を使っているかだが、それを知る手がかりが、その
    色にある。色から想定できる石材は次の通りだ。

     青・・・・・・・チャート(上の観察品のNo1)
     黒・・・・・・・黒曜石(上の観察品のNo2)
     赤・・・・・・・鉄石英(黒曜石)
     紫・・・・・・・チャート(?)

 4.4 外国産の「石匙」
     GWに帰省した三男家族と近くのショッピングモールを訪れた。そこには、「クリスタル・ワール
    ド社」の支店があり、外国産の鉱物やジェムに混じって黒曜石製の石器を売っていた。もちろ
    ん、古代の遺跡からの出土品ではなく、メキシコの原住民がお土産用として最近作ったもので
    価格が1ドルチョットと、余りの安さに何本かまとめて購入した。

      
               メキシコ産「石匙」
                【長さ 57mm】

     古い時代、ベーリング海峡を越えてアメリカ大陸に移動した人たちと、日本列島に住みついた
    われわれのルーツが同じだと思わざるを得ない。

5. おわりに

 5.1 「月遅れGWミネラル・ウオッチング」
      GW前半、『朝飯前』産地を案内するため、湯沼鉱泉を訪れた。恒例になっている「月遅れ
     GWミネラル・ウオッチング」の最終的な人員をお姐さんにお知らせした。

      産地の状況から、「週遅れ」くらいのできるだけ早い時期に開催したかったのだが、こちらの
     希望する週末がことごく他の団体さんで埋まってしまい、結局例年と同じ「月遅れ」になって
     しまった。

      大勢の石友とお会いできるのを社長、お姐さんともども楽しみにしている。

 5.2 『和同開珎』は”かいほう”か”かいちん”か
      私の年代の人は、日本最初の貨幣は、『和同開珎』で、”わどう かいほう”、と学校で習っ
     たはずだ。
      慶雲4年(707年)、知々夫國(埼玉県)黒谷(くろや)で、『にきあかがね(和銅)』、といわれ
     た自然銅が帰化人・金上无(こんじょうむ)によって発見された。この銅は、翌慶雲5年(708年)
     正月11日に献上され、都は喜びにあふれ、年号は間もなく和銅と改められた。

      この銅は、近江國(滋賀県)の鋳銭所に運ばれ、7月銅貨が作られた。これが、『和同開珎』
     である。

      日本が独力で銅貨を鋳造する技術など持っていないので、当然先進国の中国に習ったは
     ずだ。中国は唐の時代で、武徳4年(621年)に作り始めた円形、方孔(四角い穴)を持つ、
     「開元通宝」が広く流通しており、これを手本として製造された。

         
                「和同開珎」                    「開元通宝」
               【直径約24mm】                 【直径約24.5mm】

      『和同開珎』を何と読むのか。”かいほう”か”かいちん”か。そのヒントが、「雲根志」の石
     匕の図に隠されている。
      それぞれの石匕に所有者の名前が書いてあり、その後ろに「珍蔵」、あるいは「珎蔵」、と
     ある。つまり、「珍」=「珎」 で、”ちん”と発音するのだ。
      ちなみに、「珍蔵」とは、国語辞典によれば、珍しがって秘蔵する、あるいは珍重して秘蔵
     する、の意味だ。

      最近まで、「珎」 は、「宝」、と同じと考えられ、”ほう”と発音していた。それは、「宝」の旧
     字 「寶」が「家冠」+「玉」+「貝」+「缶(ほとぎ)」から成立していて、家の中に玉と貝の財
     宝があり、それを容器の缶の中に納めていた、という意味だ。「珎」=「玉+缶」で、「缶」の
     音が、”フウ”なので、”ほう”になった、というわけだ。
      お手本になった「開元通宝」が”かいげんつうほう”、と読むのだから”ほう”だ、という判った
     ような、わからない説もあったらしい。
      ( ”ほうかほうか”・・・・・・・・さぶ〜 )

      最近では、”かいちん”、と読むのが主流のようだが、”かいほう”派も根強く、両論併記して
     いる本もある。

      考古学の発展は、「富本銭」を発見し、日本最初の貨幣は「和同開珎」ではないのでは、
     という、新たな課題を提起している。
      ( 技術の世界では、このようなことは日常茶飯事なのだが )

       「富本銭」

6. 参考文献

 1) 正宗 敦夫編纂:日本古典全集 雲根志 上巻,日本古典全集刊行会,昭和5年
 2) 正宗 敦夫編纂:日本古典全集 雲根志 下巻,日本古典全集刊行会,昭和5年
 3) 斎藤 忠:人物叢書 木内石亭,吉川弘文館,昭和37年
 4) 李家 正文:遺物が語る古代史,木耳社,昭和57年
 5) 堤 隆:黒曜石 3万年の旅,日本放送出版協会,2004年
 6) 山梨県立考古博物館編:第23回特別展 縄文時代の暮らし 山の民と海の民
                     同館,2005年
 7) ミュージアムパーク茨城県自然博物館編:第44回企画展 ザ・ストーンワールド
                               −人と石の自然史−,同館,2008年
 8) 国立歴史民族博物館編:企画展示 縄文はいつからか!?,同館,2009年


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