長野県川上村川端下(かわはけ)附近の鉱物











   長野県川上村川端下(かわはけ)附近の鉱物

1. はじめに

   2007年の正月、長野県川上村にある湯沼鉱泉社長から年賀状をいただいた。その
  中に、『 水晶洞も充実しました 』 と元気な様子がうかがえ、ホッとしている。
   以前は、毎月(毎週?)のようにお邪魔していたのに、思い返すと、2006年7月末
  栃木県の石友・Sさん一家を案内・宿泊して以来、一度もお会いしていない。

   2006年秋、兵庫県の石友・Nさん夫妻と「中津川鉱物博物館」を訪れ。戦前(昭和
  20年(1945年)以前)の古い地学・鉱物誌のコピーをとってもらった。
   それらの中に、小出五郎氏が昭和15年(1940年)に、石友と長野県川上村を訪れ
  たときの採集記があったので、当時を知る術として紹介する。

   @ 梓山鉄山の「選鉱場」(場所?)、現在の「貯鉱場」「双晶坑」
   A 川端下銅抗
   B 川端下水晶抗

    などが記述されている。
    同行者にS氏とあるのは、桜井欽一先生であろう。桜井先生は、このとき川端下
   で採集した、当時『透(角)閃石』とされていたものが『柱石』であると翌年、昭和
   16年(1941年)の暮れに発表している。

    この論文を読んで、当時と現在の様子を読み比べてみても面白いし、私が知って
   いるつもりで知らない産地、鉱物があることを教えられた。

    2005年6月、兵庫県の石友・Nさん夫妻を案内し川端下を訪れた時に、妻が3cm
   余りの小さな日本式双晶”鎌形水晶”をズリの表面で採集した。昭和15年頃でも
   日本式双晶は4人で5ケ(本当に双晶か?のものも含めて)しか採れない希少な
   ものだったこともわかった。

    茨城県でのコンサルティング業も”桜の咲く頃”まで、残り1ケ月余りとなっ
   た。恒例の”GWミネラルウオッチング”で、大勢の皆さんと川上村と湯沼鉱泉を
   訪れるのを楽しみにしている。
   ( 2007年2月調査 )

2. 「長野県川上村川端下附近の鉱物」

   小出五郎氏が昭和16年(1941年)6月10日付けで、「我等の鉱物」に寄稿したもので
  前年、昭和15年(1940年)8月15日〜16日にかけて、長野県川上村川端下(カワハゲ、と
  振り仮名してあるが、正しくは、かわはけ)附近で鉱物採集した模様を記している。
   同行者は、S氏(桜井欽一先生)M氏(松原秀樹?)そしてK氏(北村/河合?)の3名
  であった。
   今回の採集行の目的地を暗示するものとして、下の「川上村鉱物産地略図」が
  あるが、本文を読むと最大の目標は、『川端下の日本式双晶』にあったらしい。

     

記号 産  地産出鉱物 備  考
1御所平電気石(Tourmaline) 
2梓山鉄山磁鉄鉱(Magnetite) 柘榴石(Garnet) 
3金峯金山灰鉄輝石(Hedenbergite) 柘榴石(Garnet) 
4川端下銅坑藍銅鉱(Azurite) 
5川端下水晶坑水晶・双晶(Quartz・Twin) Scapolite(柱石) 
6大深山鉱山水晶・双晶(Quartz・Twin) 
7大深山旧坑閃亜鉛鉱(Zincblende) 

           川上村鉱物産地略図と主な産出鉱物

3. 御所平へ【8月14日】

   終日、一行は 山梨県鳳来村(現白州町)教来石(きょうらいし)の花崗岩地帯で
  ”斧石”を探したが”見出し得ず、再発見を期して”、中央線小淵沢駅から信濃川上
  駅を目指した。

   教来石とは、絹雲母や含コバルト硫砒鉄鉱を採掘した「鳳来(流川)鉱山」のこと
  で、戦後、桜井先生が「幻の鉱物・(鳳来鉱山)の斧石」という一文を某紙上で発表
  されているので、S氏とは、桜井先生のことであろう。

   20時ごろ信濃川上駅に到着、この夜は川上村御所平の丸正旅館に夢を結んだ。
   御所平、別名赤面(顔)山は、有名な「両錐電気石」の産地で、小出氏は電気
  石のスケッチを残しているが、この時産地を訪れた様子はない。

    電気石スケッチ

4. 川上村川端下附近の鉱物

   小出氏一行4人は、2日間をかけ、現在甲武信鉱山(川端下)と総称している梓山
  川端下の産地を巡った。

4.1 金峯金山・梓山鉄山の接触鉱物【8月15日】
   この日は、旧盆の休業日(薮入り?)で、着飾った少年少女とすれ違い、梓山部落の
  奥にある、金峯金山の事務所に向かい、上の選鉱場(現在、貯鉱場と呼ぶ)での採集
  と坑内(現在 双晶坑と呼ぶ)の案内をお願いした。

   外に出ると、梓山鉄山の選鉱場(場所不明)があり、ここで「磁鉄鉱」「石榴石」
  などを採集した。
   昼食の後、金峯金山の選鉱場で「ざくろ石」「灰鉄輝石」「氷長石」などを採集し
  た。近づいてきた一人の男児の手には水晶が一杯握られていた。これを見て、一行は
  未だ水晶を採集していないことに気づき、とりわけ双晶探しに熱中し、S氏は渓流に
  まで入って探す有様だった。
   皆、目的物(日本式双晶)を手にすることはできたが、大きな声で吹聴するには
  あまりにも小結晶(2〜4mm)のものだけだった。

   M氏とK氏は、夕陽が傾きかけた頃、遅れて来た案内人について金峯金山坑を目指し
  小出氏とS氏は貯鉱場に残った。
   夕闇迫るころ、M氏とK氏が疲労困憊の態で戻ってきた。その手には、20cmほどの水
  晶と母岩付き日本式双晶が握られていた。

4.2 希望の川端下へ【8月16日】
   川上村秋山でバスを降り、川端下への分岐路に立てば、傍らに「傾斜式晶双」の
  高札がある。

      
        天然記念物高札          川端下産日本式双晶
      川端下地方の印象【長野県川上村川端下附近の鉱物から引用】

   川端下の集落で「川端下銅抗」「川端下水晶抗」への道案内を頼むが断られ、4人
  慣れぬ山道を進む。幸運にも樵(きこり)の老夫婦に出会い、場所を再確認し、正午
  過ぎに「川端下銅抗」跡に到着した。
   坑口附近で「藍銅鉱(AZURITE)」「柘榴石」「氷長石」などを採集し、いよいよ
  本命の「川端下水晶坑」を目指す。

   『 潅木の根株を力によぢ登る事数十分にして、巨大なフォルンフェルスの露頭
    に取り付き、岩肌に組みついて大きく迂回した蔭に、おヽ!!なんと白く輝く
    一筋の長い石英のズリを発見した! 』

   一行4人は、巨大なズリとそこに落ちている30cmもある水晶を見て、呆然自失状
  態だった。やがて気を取り直した。

   『 日本式双晶! 他の物には目もくれず双晶に迫っていった。だが、そうざら
    に存在するものではなかった。
     数時間の後、我々は双晶への希望を放棄し、単晶へ転向した 』

   4人が採集した”優秀な双晶”の得点表は、下表の通りで、『 K氏、M氏の
  採集したものは、典型的良標本だった 』、とある。

採集者K氏M氏S氏私(小出氏)
寸法・cm5.04.0
(エステレル)
2.52.0 
個数11215

    小出氏が採集した ”双晶の一型式?” という水晶のスケッチが載せてあるが
   『平行連晶』と呼ぶべきものであろう。

    小出氏採集『平行連晶』

5. おわりに

  (1) 川端下の『日本式双晶』
      この論文を読むと、その当時は、植林も進んでいなかったらしく、麓から
     「金峯金山の坑」などが遠望できたらしい。
       小出氏一行の真の狙いは、川端下の『日本式双晶』を採集することにあ
      ったようだ。しかし、採集は甘いものでなく、”ギブアップ”したとある。

      2005年6月、兵庫県の石友・Nさん夫妻を案内し川端下を訪れた時に、妻が
     3cm余りの小さな日本式双晶”鎌形水晶”をズリの表面で採集した。昭和15年
     頃でも日本式双晶は簡単に採れなかっただけに、その希少さは相当なものだ
     ろう。
      この時の採集風景の写真と採集品を眺めていると、小出氏一行の採集の様
     子もかくあらん、と想像できる。

          
             採集風景         日本式双晶”鎌形水晶”
            川端下(かわはけ)の産地と日本式双晶

 (2)教来石の斧石
    「日本鉱物誌」に、『 本地の斧石は、花崗岩の赤鉄鉱鉱床にあり、絹雲母様の
    集合体中に孤独の結晶をなして産する 』とある。

     今から70年近く前の昭和15年(1940年)、当時のアマチュア鉱物界の泰斗4人が
    終日採集し、探しえなかった、とある。私の地元山梨県の産地でもあり、単身赴
    任先から戻り次第、訪れてみたいと考えている。

 (3)恐るべきアマチュアの力
     昭和15年(1940年)、当時のアマチュア鉱物界の重鎮4人をして、現在甲武信
    鉱山、川端下と呼ばれている一帯で採集した鉱物種は、現在に比べると極めて
    貧弱なものである。

     戦後、とりわけ1990年ごろからの鉱物採集ブームで、川端下一帯に大勢のアマ
    チュアが入り込み、次々と新しい鉱物種、しかも素晴らしい美晶を発見、発表
    している。
     それらの内で、主なものだけ挙げても、10指に近い。

     @ホセ鉱A A自然金 B砒鉄鉱自形結晶 C灰重石自形結晶
     Dベスブ石美晶 E緑簾石美晶 F松茸水晶(緑水晶)
     G日本式双晶(緑水晶)

     それだけ、大勢のアマチュアの力はすごい、ということであろう。一方では
    小出氏一行が採集したという川端下銅抗跡の「藍銅鉱」は、見たこともなけれ
    ば、採集した話を聞いたこともない。まさに”幻の鉱物”である。
     「梓山鉄山の選鉱場」なども、聞いたことがなかった。

     恒例になっている、GWのミネラルウオッチングで、湯沼鉱泉社長から昔の話を
    聞き出すのを、楽しみにしている。

6. 参考文献

 1)小出 五郎:長野県川上村川端下附近の鉱物 我等の鉱物,昭和16年
 2)三石 勝五郎:保科百助生誕百年 詩伝・保科五無斎,高麗人参酒造株式会社,昭和42年
 3)益富 壽之助:鉱物 −やさしい鉱物学− ,保育社,昭和60年
 4)日本岩石鉱物鉱床学会編:岩石鉱物鉱床学会誌 総目録
                    第1巻(昭和4年)−第42巻(昭和33年),同学会,昭和34年
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