山梨県春日居町郷土館と佐渡金山

山梨県春日居町郷土館と佐渡金山

1.初めに

山梨県春日居町は、甲府盆地の北東部にあり、周りは桃・ブドウなどの
果樹地帯で、一見、鉱物や鉱山とは何の関係がないように思っていました。
春日居町の町立郷土館で「郵便コレクション展」が4月6日〜5月26日まで
開催されたので、妻と訪れ、この町が以外や鉱物や鉱山と深い関係がある
ことがわかりました。
それは、この町出身で佐渡金山奉行を勤めた鎮目市左衛門惟明(これあき)の
縁で、この町と佐渡・相川町が友好都市になっており、佐渡金山に因む常設の
展示コーナがあります。
(2002年5月訪問)

2.場所

JR中央線の「春日居町駅」と「石和温泉駅」ほぼ中間にあり、春日居
町役場と隣接しています。
春日居郷土館

3.「郵便コレクション展」

甲府市在住の郷土史研究家の林 陽一郎氏は郵便に関するあらゆるものの
収集家として知られています。
切手・ハガキ・ポストから郵便屋さんが身に付けたものまで、コレクションの数は
数万点といわれています。
今回、これらが一堂に展示してあった。
郵便コレクション展

4.常設展示「佐渡金山奉行所跡埋蔵鉛」

4.1 春日居町と佐渡金山の関わり
慶長6年(1601年)に佐渡金山が発見され、佐渡は幕府直轄の天領となり、
慶長8年(1603年)甲州出身(信玄の猿楽師の子とも言われる)の大久保長安が
佐渡銀山代官になった。
元和4年(1618年)同じく甲州・春日居町出身の鎮目市左衛門が金山奉行となり
ピストン式排水ポンプなどの新技術を取り入れ、年間50t以上の銀と
400kg近い金を産出したと伝えられている。
市左衛門は、民政にも優れた手腕を発揮し、山師を初めとする鉱山労働者や
相川町民にも慕われ、寛永4年(1627年)に相川で亡くなった後、墓地も
相川町の海岸にある。
鎮目市左衛門の墓【佐渡・相川町】
平成元年(1998年)春日居町出身の鎮目市左衛門の縁で、相川町と友好都市になった。
4.2 佐渡金山奉行所跡埋蔵鉛
相川町で佐渡金山奉行所跡を発掘した際、大きな鉛の塊がたくさん出土した。
その内のいくつかが友好都市の春日居町に贈られ、郷土館で常時展示している。

左:佐渡金山奉行所跡展示     右:出土した埋蔵鉛
これらの鉛は、金銀を精錬する”灰吹き法”に使うために貯蔵してあったと
推測される。

5.おわりに 

(1)武田家の遺臣たちが、佐渡金山奉行を勤めたという背景には、武田家に
金山衆(かなやましゅう)と呼ばれる職業集団があり、金山の開発・経営に当たり
豊富な経験と高い技術を保持していたためと考えられる。
その流れが徳川幕府でも、テクノラートとして、重用したのであろう。
甲州の四進法をベースにした貨幣制度が徳川幕府でもそのまま踏襲されたのも、
この証左であろう。
武田軍用金
(2)春日居町郷土館には、小川正子記念館が併設してある。小川正子は、
春日居町出身の女医で、ハンセン病患者の救済に献身したことと、映画化もされた
「小島の春」を執筆した文化人としても有名です。
彼女の生い立ちから亡くなるまで、手記、手紙、着物などが晩年を過ごした家と
ともに展示してあります。
小川正子

6.参考文献 

1)春日居町郷土館:案内パンフレット,2002
2)春日居町郷土館編集:企画展『甲州金』展示解説図録,春日居町教育委員会,1992年
inserted by FC2 system