このように、過去に訪れた産地を何度も訪れる目的(狙い)は、次のいずれか
(複数もあり得る)だろう。
@ 過去に採集できなかった鉱物種
A 過去に採集したのと違った産状(母岩付き、頭付きなど)の標本
B 過去に採集した以上の良品(巨晶、美晶など)
C 産地の現状確認
D 初めての人を案内
今回、金平を訪れた目的は、A、B、C、D だった。
実は、前の夜、名古屋支部・Sさん一家が紹介してくれて以来、私たちの定宿に
なっているJR小松駅前の高級・格安ホテルで、当のSさん一家に”バッタリ”出会っ
たのだった。
夕食の後、Sさん一家も交え、ホテルのロビーで持ち寄った酒・肴で懇談会を
開き明日の予定などを打ち合わせた時、この日金平を訪れたSさんの奥さんが、
「これは何でしょう?」と差出したのは、『 2cm近い緑鉛鉱の分離結晶 』だった。
これは、金平が初めての石友だけでなく私の採集意欲を否が応でも掻き立て
た。
金平では、いつものように「紫水晶」を狙い、帰りに『緑鉛鉱ズリ』の土砂を土嚢袋
入れて下り、沢(小川)で、”パンニング”して分離結晶を採集した。
産地には砂防ダムの建設が着々と進み、Cが達成でき、パンニングで採集した
分離結晶の中には、10mm近い頭付きがあり、Bも達成することができた。
過去に訪れた産地を時々訪れるのも良いものだ、と改めて感じたミネラル・ウオッ
チングだった。
( 2007年9月採集 )
「日本鉱山総覧」によれば、金平鉱山は金山として元禄(1700年頃)のころ発見され
加賀藩時代には、民営、官営として大規模に稼行された。
明治維新後、金平集落で共同権利を得て、住民が随意に採掘し、この間に乱掘した
旧坑は無数にある。その後の鉱業権者は、富鉱に恵まれることがなかったが、昭和8年
(1933年)ようやく金鉱194トン、銅鉱4トンを産出し、準重要鉱山となった。
翌昭和9年(1934年)に減産し、その地位を失い、翌10年(1935年)金銀鉱725.4トン
銅鉱24.6トンを産出し、再び準重要鉱山に返り咲いた。
「日本鉱産誌」によれば、尾小屋鉱山と合併し、その支山となったのが、産出量が
激減した昭和9年(1934年)であった。
金平鉱山は、石英粗面岩の裂罅(割れ目)を充たす含金銀石英脈で、金の品位は
7〜10g/トンであったが、金山の常として、下部は鉛・銅・亜鉛鉱、さらに銅鉱に移行
していた。
採集方法は、次の3通りである。
@表面採集・・・・・・・・緑鉛鉱の母岩付きや分離結晶はズリの表面を”舐める様に”
見て周りながら採集する。分離結晶を採集するのには「ピンセット」が
あると便利
Aズリを掘る・・・・・・・2003年に兵庫県のNさん夫妻に初めて案内して頂いた時には
紫水晶がズリの表面に点々と見られたが、現在では少なく
なっているので、紫水晶の良品を探すにはある程度ズリを掘る
必要がある。
(もっとも、2007年9月にNさんが見つけたのは、表面採集だった・・・)
Bパンニング・・・・・・・表面は雨に洗われ綺麗なズリ石も一皮下は粘土質の土砂で
ドロドロに汚れていて、緑鉛鉱の母岩付きや単晶を見つけるのは
難しい。
ズリの土砂を土嚢袋に入れ、川まで運び、川の中で泥を落として
母岩付きを探し、残った土砂をパンニングして緑鉛鉱の単晶(群晶)を
採集する。
最初ここを訪れた時、バケツに水を入れてズリまで運び、ズリ石を
洗いながら探したことがあったが、非能率なので1回で止めた。
前々回あたりから、”パンニング”を併用し、分離単晶が簡単に採集できるよう
になったが、頭付きの良品を採集できたのは今回が初めてで、”狙い”が当たった
ことが裏付けられた。
(2) 今回、ほぼ2年ぶりに金平を訪れ、産地の現況を把握でき、今までで一番の分離
単晶を採集できた。
過去に訪れた産地でも、時々訪れるのも良いものだ、と改めて感じたミネラル
・ウオッチングだった。