千葉県鴨川銅山の絵葉書

            千葉県鴨川銅山の絵葉書

1. 初めに

    2000年ごろ、骨董市で千葉県「鴨川鉱山」の絵葉書を100円くらいの安い値段で入手
   したことがあった。千葉県に絵葉書に載るほどの鉱山があった、と知ったのはこの時、
   初めてだった。その後、同じ絵葉書がネットオークションに出品され、既に持っている事
   は承知で入手した。図柄は、まったく同じだっと記憶している。

    某電子部品メーカーから招請をいただき、技術コンサルタントとして2008年1月〜2009
   年3月まで千葉県に単身赴任した。赴任にあたり、「鴨川鉱山」の絵葉書があったことを
   思い出し、『絵葉書アルバム』をめくってみたが、探し出せなかった。

    千葉県に単身赴任して間もなくの2008年2月〜3月、待ちかねたように鴨川を訪れ、
   市役所などで場所を聞き込み「鴨川鉱山」を訪れHPに載せた。

    ・千葉県鴨川鉱山の鉱物
     ( Minerals from Kamogawa Mine , Kamogawa City , Chiba Pref. )

    単身赴任から戻って半年以上経った2009年12月、オークションに「鴨川銅山」の絵葉
   書が相次いで2点出品され、競争相手もなく両方を落札できた。2枚とも持っているはず
   の「鴨川鉱山」と図柄(デザイン)が違う。
    今回、入手できた2枚の絵葉書を通して、「鴨川鉱山」を見てみた。

    千葉の石友・Sさんから、石英すら産出がまれな千葉県で「紫水晶」を採集したと聞い
   たので、暖かくなったらもう一度訪れてみたいと考えている。
   ( 2009年12月 入手 )

2. 「鴨川銅山」の場所

    2000年ごろ入手した「鴨川鉱山」絵葉書を見たときに、”こんな海岸際に鉱山?”
   いう、印象があった。
    鴨川市役所に行き、「鴨川鉱山」の位置について問い合わせすると、近くの郷土資料
   館の学芸員の方に聞いてくれた。詳細を知りたくて郷土資料館を訪れると、”貝渚”は
   ”岡貝渚(おかかいすか)”と”浜貝渚(はまかいすか)”があり、海岸近くが”浜貝渚”と
   呼ばれていた場所にあることが判明した。
    これだと、絵葉書を見たときの記憶と矛盾しない。「日本鉱産誌」によれば、安房鴨川
   駅の南方2kmにあるとされる。

     


・「日本鉱産誌」にあるように
 安房鴨川駅から南に
 2km とすると、
 赤い点線の四角の
 範囲になる

・海の中や島では
 あり得ないから
 「青年の家」から
 約200m北の
 海岸近くだろう。

・「雀島」の近くの
 ようだ。

・銅山近くの高い
 位置からは
 南南東の海上に
 「仁右衛門島」が
 見えたはずだ。


 

3. 「鴨川銅山」の地質と鉱床

    「日本鉱産誌」によれば、鴨川鉱山の地質は主として古生層と蛇紋岩からなり、安山
   岩中に銅鉱があったようだ。蛇紋岩は含ニッケル蛇紋岩だった。そのため、ニッケル鉱
   を採掘したこともある、とされる。

    波打ち際の山の斜面に鉱山のズリが広がっていて、青緑色の2次鉱物が点在する大
   きな転石も観察できる。

       
              ズリ                   転石
                   鴨川銅山ズリ【2008年2月〜3月】

    インターネット情報によれば、鴨川鉱山は大正9年(1920年)まで操業した、とある。
   今回入手した絵葉書は2枚とも宛名面の『仕切り線』が下から1/3の位置、しかも「きかは
   便郵」とあり、明治40年(1907年)〜大正7年(1918年)に発行されたことが分る。

      絵葉書の宛名面

4. 「鴨川銅山」の絵葉書

    今回入手した鴨川銅山絵葉書の図柄(デザイン)は2種類ある。前にも述べたように
   発行時期から考え、明治末年から大正初め(1910年前後)の鉱山の様子を描いた、と
   考えられる。
    発行時期が古いと思われる方を「鴨川銅山@」、新しい方を「鴨川銅山A」と称する。

    
             鴨川銅山@ 大浦海岸ヨリ銅山ヲ望ム

    海岸の波打ち際から撮影したもので、漁船(和船)の上に漁師、海岸にはその家族と
   思われる大勢の老若男女が写っている。


    
         鴨川銅山A 房州鴨川銅山(遠望)仁右衛門島

    銅山を見下ろす位置から撮影したもので、『巾着山』の南にある「仁右衛門島」が薄っ
   すらと遠望できる。左下には「雀島」は写っている。

    順序が後先になったが、銅山付近を拡大して見ると、発行時期の早い遅いが判断で
   きると思う。

       
             鴨川銅山@              鴨川銅山A
                      銅山付近拡大

    現在ズリがある部分に@では、引き上げられた漁船が何艘か見え、銅山が稼働して
   間もないように思われる。
    Aでは、白いズリ石が海岸まで雪崩落ちていて、坑口付近は銅山の建物が何棟か見
   え、鉱山の最盛期を思わせる。

5. おわりに 

 (1) 鴨川銅山跡の現在
      2008年3月に訪れたときに、2000年ごろ入手した絵葉書とほぼ同じアングルで
     銅山跡の北から俯瞰した写真を撮影しておいた。これと、今回入手した絵葉書を見
     比べてみると、景色が一変しているのに驚かれるだろう。

      鴨川銅山跡【2008年3月】

      一番大きな変化点は、『巾着山』の姿が一変している。昭和30年代からの日本の
     高度成長に伴う建築ラッシュに使われる砕石を採掘した結果、山の過半が姿を消し
     てしまったのだ。
      その結果、この位置からだとごく一部しか望むことができなかった「仁右衛門島」が
     よく見えるようになっている。

 (2) 資料の管理
      「千葉県鴨川鉱山の鉱物」をHPにアップしてから、2000年ごろに入手した「鴨川鉱
     山」(銅山ではなく鉱山だった)の絵葉書を探しているのだが未だに探しあぐねてい
     る。
      キャプションだけでなく、絵柄も違っていたので探し出して”横串”で見比べてみると
     面白いと思っている。

      もう1つ、茨城に単身赴任以来懇意にしていただいている古書店主・Oさんから、
     千葉県の古い地図を送っていただいたことがある。この地図の鴨川鉱山の位置に
     『父』の鉱山マークがあった。これも、探し出して、”刺身のツマ”に料理してみたいと
     考えている。

6. 参考文献 

 1) 日本鉱産誌編纂委員会編:日本鉱産誌 銅・鉛・亜鉛,東京地学協会,昭和31年
 2) 草下 英明:鉱物採集フィールドガイド,草思社,1988年
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