某電子部品メーカーから招請をいただき、技術コンサルタントとして2008年1月
千葉県に単身赴任した。
赴任にあたり、「鴨川鉱山」の絵葉書があったことを思い出し、『絵葉書アルバム』
をめくってみたが、探し出せなかった。千葉県関係の絵葉書では、何とか探し出せた
「鋸山 石材切出シ」の1枚だけ持参した。
「鴨川鉱山」絵葉書の絵は、”こんな海岸際に鉱山?”という思いとともに、記憶に
残っていた。
2008年2月初旬、単身赴任の”行状監督”に来た妻と、「ソーダ沸石」の産地である
千葉県鴨川市八岡海岸を訪れた。千葉の石友・Yさんから聞いていた通り、ここでは
「ソーダ沸石」以外に、「珪孔雀石」や「石膏」などが採集できた。
採集できるポイントは狭い範囲で、そこはまるで”ズリ石”が積み重なった状態で
青緑色の「銅の2次鉱物」とともに「石膏」が採集できた。「銅の2次鉱物」と「ソーダ
沸石」の奇妙な組み合わせに違和感を覚えた。
すぐ、ここに来る途中、この産地を俯瞰した風景が例の「鴨川鉱山」の絵葉書に
そっくりなことに思い至った。
ただ、ここで大きな問題が生じた。鴨川鉱山があったのは、インターネットで調べる
と”貝渚(かいすか:インターネットに”かいすが”とあるが誤り)”という小字で、「ソーダ
沸石」の産地は”太海(ふとみ)”とされていて、字名が違う。2,5000分の1の地図を見
ると、”貝渚”は、海岸から4、500メートル内陸に入った場所で、絵葉書の光景と違う。
鴨川市役所に行き、「鴨川鉱山」の位置について問い合わせすると、近くの郷土資
料館の学芸員の方に聞いてくれた。詳細を知りたくて郷土資料館を訪れると、”貝渚
”は”岡貝渚(おかかいすか)”と”浜貝渚(はまかいすか)”があり、海岸近くが”浜貝
渚”と呼ばれていたことが判り、これだとインターネット情報と矛盾しない。
( 【閑話休題】
益富地学会館の「日本の鉱物」のソーダ沸石産地として、『八岡山太海』とある。
”山太海”も同じような意味の字名なのかと思っている )
さらに、インターネットで、「ソーダ沸石」の産地を”貝渚”としているものもあり、「鴨川
鉱山」がここにあった事が確認できた。
絵葉書を入手した時点では、「鴨川鉱山」を訪れることはないだろうと思っていたが
思いもかけず現地に立つことができた。これも還暦を過ぎた歳になって、千葉県に単
身赴任したからであり、人生の不思議を感じている。
鴨川市役所、郷土資料館の職員の方々と石友・Yさんに厚く御礼を申し上げる。
( 2008年2月採集 )
絵葉書の「鴨川鉱山」は、現況に比べ”もっとコンモリした山(巾着山)”の麓、海岸
沿いにあった、と記憶している。
「鴨川鉱山」は、大正9年(1920年)まで稼行しており、戦後になって巾着山で採石
が行われ、山の姿が一変してしまったようだ。
(2) 珪孔雀石【CHRYSOCOLLA(Cu,Al)2H2Si2O5(OH,O)4・nH2O】
青緑色、ガラス光沢の皮膜状でズリ石の表面に見られる。
産地は、海辺から10mほどのところにあり、常時潮風が当たり、海が荒れた
日には海水(塩水)がズリにかかることも考えられる。こうなると、銅の2次鉱物の
1つ、アタカマ石【ATACAMITE:Cu2(OH)3Cl】が生成する必要条件は揃っているので
期待して探した。それらしい標本を採集したのだが、確定するまでに至っていない。
このように、『 ○○の条件があれば、△△石(鉱)が来るかもしれない 』、と
予想して採集する、『 待ち受け採集 』も、鉱物採集の醍醐味の1つだ。
と同時に、鉱物についての愛着(知識)を深めるのにも役立つようだ。
(2) ハンマの封印
千葉に来て2週間、落ち着いたころに、ご当地の石友・Mさんから次のような
メールをいただいた。
『 はやくも、ハンマーの封印はハズレたのでしょうか? 』
『 再びハンマに封印して 』、と悲壮(?)な決意で山梨県を後にしたが、来て
みて、ミネラル・ウオッチングを中断したからといって、仕事がうまく行くわけでも
ない、と悟った。
( 当然、”逆も真なり” )
千葉での生活、その中で大きな比重を占める”ミネラル・ウオッチングを存分
に楽しもう、と考えを改めた次第である。
(3) 資料の管理
大宅壮一の娘・映子さんと誰だったか(仮にA氏)の対談を読んだことがあった。
大宅壮一が亡くなった後、映子さんが、蔵書を整理したところ、同じ本が出てき
たので、「晩年の父は、既に持っていることを忘れて同じ本を買っていた」、と思
ったらしい。
これに対して、同じ文筆業のA氏は、「同じ本があると知っていても、膨大な蔵
書の中から探し出すより、買った方が筆が進む」と言っておられた、と記憶して
いる。
私が、2枚も「鴨川鉱山」の絵葉書を買った言い訳である。