河津鉱山掛橋坑の鉱物

河津鉱山掛橋坑の鉱物

1.初めに

今年の冬は寒さが例年になく厳しく、山梨をはじめ関東・甲信越の鉱物産地は
あちこち凍結状態で、採集が難しい状況です。「掲示板」にも書いた様に
”この時期は伊豆がお奨めです”ので、2003年新春鉱物巡検の旅-伊豆を訪ねて-を
計画した。
私のHPを見て知り合った関東、中部のメンバ25名(内高校生以下10名)の皆さんと
2日間の採集を楽しんだ。
その1日目、河津鉱山にたくさんあった坑の1つ、掛橋坑で「ブロシアン銅鉱」や
「イネス石」をはじめ、各種の鉱物を採集した。
ここのズリは古く、大勢の人が既に訪れており、ジックリ採集しないと良品は難しい
でしょう。
(2003年2月採集)

2.産地

「日本鉱産誌」によれば、河津鉱山は、蓮台寺地区にあることから、蓮台寺鉱山とも呼ばれ
伊豆半島の古い金銀山が16世紀末〜17世紀初頭の慶長年間に稼行されたことから
河津鉱山もその頃から始まったものと思われる。
大正初期から、(株)日本鉱業の手で、金銀鉱(銅を含む)のほかマンガン鉱を採掘したが
太平洋戦争中は、銅鉱(金銀鉱を伴う)に主力を移し、かつ浮遊選鉱場(能力2000t/月)では
中国産の蛍石や伊豆仁科産明礬石の浮選処理が行われた。
戦後、再び金銀山として復活し、採掘〜浮選が行われたが、やがて規模が縮小され
浮遊選鉱場は1952年に解体・撤去された。
河津鉱山には、桧沢(ひのきさわ)、猿喰(さるくい)、掛橋(かけはし)大方(おおかた)の
主力鉱脈があり、それぞれ幅30cm〜2m、長さ600mに及ぶ含金銀粗鬆質石英脈からなり
それに相当量のマンガンを随伴した。
河津鉱山鉱脈分布
「大沢口バス停」の北東に登り坂になった細い道がある。100mも行くと右手に
砂防ダムがあり、さらに100mも登ると薄暗い杉林があり、入口を塞いだ坑口が
アチコチに見られます。ここが産地の掛橋坑ズリです。

3.産状と採集方法

安山岩質凝灰岩と輝石安山岩の交錯した地帯で、一部には石英粗面岩も介在する。
ここは、富士火山帯にあり、鉱区内には蓮台寺・河内の温泉があり、採掘当時は
坑内からも熱湯が噴出し、作業を妨害し、もっと下に富鉱帯を確認しながら
採掘できなかった箇所も少なくなかった。
掛橋に向かうところで目にすることができる坑道からの温泉は、65℃もある。

掛橋鉱脈は二酸化マンガンに鉱染された石英脈で、縞状構造が発達し、脈幅は平均2m
最大7mに達した。
金は輝銀鉱に共生し、部分的に藍銅鉱・孔雀石もあった。
二酸化マンガンとして採掘に耐える部分もあり、一部にイネス石を多量に随伴し
金の富鉱帯となっていた。
ここでは、土砂を被っているズリ石を掘り起こし、手当たり次第割って採集します。
掛橋採集風景

4.産出鉱物

(1)イネス石【Inesite:(Ca,Mn)SiO3・Mn(OH)2】
河津鉱山を代表する鉱物の1つで、淡い紅色の針〜毛状結晶の集合体で産出します。
Mnの含有量30〜38%である。
イネス石
(2)ペンウイス石【Penwithite:MnSiO3/nH2O】
褐色樹脂光沢で、俗に”ビール瓶のかけら色”で産出する。Mnの含有量10〜27%である。
ペンウイス石
(3)このほか、ブロシアン銅鉱、藍銅鉱など銅の二次鉱物を採集した人もいました。

5.おわりに 

(1)河津鉱山は、範囲が広く、坑によって産出する鉱物の特徴が違い、奥の深い産地です。
次回は、ジックリ採集してみたいと考えています。
(2)マンガン鉱物の保存方法
今回、青緑色のヨハンセン輝石、ピンク色のイネス石など、美しいマンガン鉱物を採集しました。
採集会に参加したメンバから、マンガン鉱物の保存方法について問い合わせがありましたので
私が実行している(したことがある)方法をお知らせします。
結論から言えば、何をやっても、空気中の酸素とマンガンが結合し、遅かれ早かれ2酸化マンガンの
黒色に変わってしまいます。
@写真に撮る。
 デジタルカメラで撮影すれば、色艶は永遠に残せます。
A表面に透明塗料を塗り、酸素と結合するのを防ぐ。
 緑マンガンなどのように、平面状の標本ならまだしも、イネス石のように立体的な標本には???
B脱酸素剤を入れた密閉容器に保管
 お菓子などについてくる脱酸素剤を透明な密閉容器の底に敷き、その上に標本を保管する。
私は、主に@です。

6.参考文献 

1)日本鉱産誌編纂委員会編:日本鉱産誌T-a,東京地学協会,昭和30年
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