「石(鉱物)なし県」と言われる千葉県でのミネラル・ウオッチングが面白く、免許
更新や農園の手入れなど、やむを得ざる理由のときしか山梨県に帰省していない。
単身赴任先に戻るとき、早めに山梨を発ち、途中下車して趣味の切手店を回っ
たりしているが、今回、「 桜井鉱物コレクション 」を見るため、東京上野にある科
学博物館本館を訪れた。
この日は運よく、『ディスカバリー・トーク』という催しがあり、松原先生が「桜井
標本」を解説してくれ、最後には質疑にも応じてくれた。
国立科学博物館本館の「桜井標本」は各都道府県別に代表的な鉱物を386標本を
展示している。千葉県産では『 平久里の「ゾノトラ石」と「トベルモリー石」 』の2種
が展示してある。
( なぜか、全てがもともと桜井先生が採集したものでない )
1つ1つを見ると、中には私たちが持っている標本のほうが立派なものもあるが、
これだけの標本を統一したスタイルで壁面一杯に展示されると圧倒される。
私の趣味の1つ、「郵趣(フィラテリー:Philately)」の世界では、切手収集研究家
(フィラティリスト:Philatelist)を大きく”アキュームレーター(Accumulator)”と
”コレクター(Collector)”の2つに分けている。
前者は、ただ集めることを楽しむ人、後者は『戦略的に集めて整理・出展する人』を
指すようだ。
( 2008年4月訪問 )
開館時間: 9:00〜17:00 (入館は16:30まで)
9:00〜20:00 (入館は19:30まで)【毎週金曜日】
9:00〜18:00 (入館は17:30まで)【4/26〜5/6】
【8/9〜17】
休館日 : 毎週月曜日と月曜が祝日の場合、火曜日
(年末年始 12/28〜1/1)
(臨時休館 7/1〜2【平成20年の場合】)
入館料 : 一般・大学生 600円
65歳以上・小中高生 無料
名称 | 期間 | 所在地 | 館の性格 | 地学(鉱物)関連のイベント | 備 考 | 東京博物館 | 明治8年 (1875年) | 湯島聖堂構内 | 小石川植物園を公開 博物館は公開せず | - | (東京)教育博物館 | 明治10年 (1877年) 〜明治22年 (1889年) | 上野公園内 |
教育上必要な 内外の物品 | 鉱物標本も展示 栃木県足尾鉱山産 「紫水晶」も展示 | 科博開設の年 |
(東京) 高等師範学校付属 教育博物館 | 明治22年(1889年) 〜大正3年(1914年) | 湯島聖堂構内 | 普通教育に必要な 資料を一般公開 明治末期における通俗教育 (社会教育)の普及で明治45年 「通俗教育館」を設置 | 東京教育博物館 | 大正3年(1914年) 〜大正10年(1921年) | 湯島聖堂構内 | 文部省の管轄となり 通俗教育(社会教育)のための 施設との色彩が濃くなる |
「鉱物文明展」開催 大正10年3月21日〜5月22日 | 東京博物館 | 大正10年(1921年) 〜昭和6年(1931年) | 御茶ノ水に本館 上野別館 震災後 湯島に仮建物 |
初めて、「自然科学博物館」の 性格が示された。 |
震災後 「東京帝室博物館 天産部」所蔵の 鉱物標本などを 順次移管 |
大正12年(1923年) 関東大震災で 建物、所蔵品の 全てを失う |
東京科学博物館 | 昭和6年(1931年) 〜昭和24年(1949年) | 上野公園 |
戦時体制がすすみ 青少年に対する科学知識の普及 発明工夫改良の施設との 方針を打ち出す。 |
戦後、社会教育施設としての 役割を果たす | 国立科学博物館 | 昭和24年(1949年)〜 | 上野公園 新宿分館(昭和47年〜) |
科学技術振興を図る 教育普及の場 |
昭和52年(1977年) 開館100年
|
4.1 桜井 博士の足跡
桜井博士をご存知の方も多いと思われるが、簡単に紹介する。
大正元年(1912年)、東京に生まれる。
小学生の時、担任の先生が「黄鉄鉱」を持ってくるよう指示したのに誰一人
持ってこなかったので、雷を落とした。次の理科の時間、反抗心の強い桜井
少年は、数多くの珍しい鉱物標本を持ち込んで、担任の先生を閉口させた。
これがキッカケで鉱物に興味を持つようになった。当時、鉱物同好会を主宰
していた長島乙吉氏や浦和高校教員粟津秀幸氏はこの少年の天賦の才を
見抜き、自分の息子以上に可愛がった。
長島乙吉氏は、中学生になっていた少年を若林彌一郎氏に紹介、若林氏は
時の東京帝国大学鉱物学教室主任の伊藤貞市博士に引き合わせ、勉学の
便宜を図るように依頼してくれた。
後年、伊藤博士を扶け「日本鉱物誌(上)」を戦後間もない昭和22年(1947年)
世に送りだした。
昭和30年、桜井博士が神奈川県湯川温泉で発見した沸石「湯河原沸石」の
研究で東京大学から理学博士号を授与された。
平成5年(1993年)、5万点を超える鉱物標本を遺して永眠された。博士が主宰
するアマチュア鉱物採集家の会「無名会」の創立60年を目前に控えていた。
4.2 桜井 鉱物コレクション
平成6年(1994年)、遺族から博士が収集した鉱物標本の一部が国立科学
博物館に寄贈された。平成7年(1995年)これらの標本は科学博物館で特別展
『桜井コレクション−鉱物−』として公開された。
現在、国立科学博物館の一室にこれらの標本を中心にして、日本の代表的な
鉱物386標本が都道府県別に展示されている。
( ラベルが『寄贈者 桜井欽一』、となっていないものはもともとの桜井鉱物
コレクションになかったものなので注意が必要 )
4.3 コレクションのみどころ
今回、386の標本全てをジックリ見たわけではない。自分に関係のある都道
府県産、好きな鉱物種、そして有名産地の標本などを見ただけだが、それらの
一部を紹介したい。
(1) 千葉県の鉱物
私の単身赴任先・千葉県産の標本は2種が展示してある。もともと桜井
コレクションにあったのは、「トベルモリー石」だけのようだ。
No | 鉱 物 名 | 産 地 | 標 本 写 真 | 備 考 | @ | トベルモリー石 | 南房総市平久里 | 桜井標本 | A | ゾノトラ石 | 南房総市平久里 | 勝氏寄贈 |
(2) 地元山梨県の鉱物
私の地元・山梨県の鉱物8標本が展示してある。乙女鉱山、黒平(くろべ
ら)、小尾八幡(おびはちまん)、京ノ沢、増富鉱山そして上佐野の6産地の
ものである。産地の名前を目にすれば、「あれだな」、と思い当たる標本が
展示してある。
それらの中で、小尾八幡の「弗素燐灰石」は、現在では『幻の鉱物』的な
存在である。
No | 鉱 物 名 | 産 地 | 標 本 写 真 | 備 考 | @ | 弗素燐灰石 | 北杜(ほくと)市 小尾八幡 | 桜井標本 |
(3) 気になる産地・標本
私が気になっている古典的産地の標本も多数展示してある。そのいくつ
かをご紹介する。
No | 鉱 物 名 | 産 地 | 標 本 写 真 | 備 考 | @ | 紫水晶 | 鳥取県藤屋 | 桜井標本 | A | 霰石(球状) | 島根県松代鉱山 | 桜井標本 |
(1) マイ・コレクション「小尾八幡産日本式双晶」の姉妹探し
人にお見せできる私の数少ない標本の1つに、「小尾八幡産日本式双晶」
がある。これは、山梨県に転勤した記念に、と平成2年(1990年)ごろ、
これを採集した地元の方から譲っていただいたものである。
その方の話では、『 昭和30年ごろ、これを採掘したとき、大きな晶洞
から3つ日本式双晶が出て、内2つは「科学博物館」に売った』、と聞いた。
今回、姉妹探しをしてみた。
「桜井コレクション」の入口左手に大きな日本式双晶が展示してあり
「山梨県甲府市産」とある。ディスカバー・トークでの松原先生の説明で
『 昭和30年ごろ、山梨県甲府で採集された 』、とあり一番可能性が
高い。(小尾八幡の南側は甲府市)
2つを見比べると、透明感、双晶の厚み、共生する単晶の形状などが
違い、同じ産地のものではない気がする。
姉妹探しには、決着がつかなかった。
(2) 「鉛沢産紫水晶」
明治37年(1904年) に出版された和田維四郎の「日本鉱物誌」に、
『 下野足尾町庚申山の産は六角柱にして自然に尖り柱面と錐面の
区別をなさず最大なるものは径40ミリ以上なるもの少なからず。且つ
其長さ150ミリ以上に達するものあり。色は紫色なるも淡にして且つ
美ならず。 』
とある。
「日本鉱物誌」に記載された径4cm、長さ15cmの紫水晶が「科学博物館」
にあるのではないだろうか、と思って探してみた。
桜井コレクションの室に、足尾産の紫水晶がある。
先端が折れているが直径、長さは和田氏の「日本鉱物誌」の記述を
満たしている。
ディスカバー・トークでの松原先生の説明に、『 標本番号739で、明治
12年ごろ(「教育博物館」時代)の標本だろう 』、とあった。
しかし、関東大震災で「教育博物館」時代の標本は全て灰燼に帰した
はずである。その後、「東京帝室博物館天産部」所蔵の鉱物標本を
順次移管された、とあり、その1つなのだろうか。
この謎も解けず仕舞いだった。