山梨県甲州市門井沢の鉱物

            山梨県甲州市門井沢の鉱物

1. 初めに

    古い話で恐縮だが、2006年4月、息子たちとその伴侶たちが、私の還暦祝いを静岡県熱海
   で開催してくれた。そのお礼に記念になるものと思い、「山梨の鉱物誌」なる小冊子を作成して
   配布した。
    山梨県で産出する鉱物をアルファベット順に並べ、自分で採集した標本を中心に、それらの
   写真をつけ、それぞれの鉱物にまつわる話や自分自身の思い出話を綴ってみた。

               
                      表紙
               【早川町保金山の自然金】

    これをまとめてみて、意外なことに気がついた。J, U,V, W,Yの5文字で始る山梨県産の鉱物を
   持っていなかったのだ。当面の目標の1つを、これらの5文字で始る鉱物の完全採集におき、
   「山梨の鉱物誌」の区切りとしたいと考えていた。
    しかし、その後すぐに茨城県への単身赴任、それから戻ってしばらくして千葉県への単身赴
   任などでこのテーマを追い掛けるのを忘れかけていた。
    それでも、長野県の石友・小Yさんに、「乙女鉱山のホセ鉱【JOSENITE-A/B:Bi4TeS2/Bi4
   Te2S】」を恵与いただき、何とか”J”だけはクリアーできた。

    長期になるかも知れない千葉県への単身赴任を1週間後に控え、『U,V, W,Yの4文字で始まる
   山梨県産の鉱物』を思い出し、VESUVIANITE(ベスブ石)とWOLLASTONITE(珪灰石)が産出する、
   と文献にある大和村(現甲州市)のスカルン帯を訪れた。

    文献が書かれて40年近くが経ち砂防ダムがあちこちにでき、その上前夜降った雪で産地は
   ところどころ白く、スカルン鉱物を探すのは、”雪の上のウサギ”を探すようなものだったが、
   「ベスブ石」と「珪灰石」など、この産地の代表的な標本を採集できた。

    残りの『U,Yの2文字で始る山梨県産の鉱物』は、帰任後の楽しみにしようと思っている。
   ( 2010年3月 採集)

2. 産地

    武田家終焉の地・景徳院のある甲州市田野集落の南にある門井沢(かどいさわ)が産地だ。
   桜井、加藤両先生の「鉱物採集の旅 関東地方とその周辺」には、この産地が記載されている
   が、出版されて40年近くが経ち、状況が変わっているようだ。

    東京方面から来て国道20号線の『笹子トンネル」を抜けると右手に道の駅・甲斐大和がある。
   甲府方向に進み、日川にかかる「丸林橋」を渡ると「景徳院→」の標識があり、信号で右折する。
   道なりに1kmも進むと左手に市営・景徳院駐車場(きれいなトイレ付)があり、ここに駐車する。
    100mも戻ると「鳥居畑古戦場」の石碑があり、この右手の緩やかな坂道を100mも行くと「車
   両通行止」の半開きゲートがあり、ここから先が林道になっている。

       
                  門井沢地図                     古戦場石碑

    門井沢の右岸に沿った林道は、車が十分すれ違える幅があり、途中には、地図に”崖”マー
   クで表示された採石場跡らしきものがある。
    1km弱も進むと道幅が急に狭くなり、”踏みわけ道”程度になり、最初の砂防ダムがある。
   砂防ダムの右岸上には大きな露頭があり、花崗岩だった地質がこの辺りから粘板岩質に変
   化し、白いスカルン塊が散見できる。
    砂防ダムの上は、灌木が生えた河原のようになっていて、白いスカルン塊が点々と見られる。
   200mも上流に向かうと、沢は2つに分れ、右手(南向き)の沢には、砂防ダムが3つほど見られ、
   左右岸には、スカルンの露頭や巨大な転石が見られる。
    桜井、加藤先生の著書にある採集風景の写真は、このような場所だったのではないだろうか。

       
             右岸                     左岸
                       門井沢露頭

3. 産状と採集方法

    この産地は、石灰分に富む堆積岩が、後から貫入した花崗岩類の熱によって、もとの堆積岩
   の層状構造を残したまま、細粒の珪灰石岩ともいうべき岩石に変化した『再結晶型スカルン』で
   関東地方では例が少ないとされる。(「鉱物採集の旅」に記載される訳だ)

    ここでの採集は、”白い”露頭や転石があれば、ハンマで叩き、割れた面をルーペで観察す
   る事を繰り返す。
    スカルン塊は堅い(割りにくい)し、破片が飛び散るので、大きめのハンマとゴーグルがあった
   方が安全だ。

4. 産出鉱物

 (1) 珪灰石【WOLLASTONITE:Ca3Si3O9
      白色の柱状〜放射状結晶で見られる。日本では数少ない例外を除き、珪灰石があれば
     そこはスカルン帯と考えてよいくらい、産状が限定できる鉱物とされる。

       珪灰石

 (2) ベスブ石【VESUVIANITE:Ca19(Fe,Mn)(Al,Mg,Fe)8Al4(F,OH)2(OH,F,O)8(SiO410(Si2O7)4
      ベスブ石は黄褐色、透明、ガラス光沢の細長い柱状結晶が時に平行連晶をなし、珪灰石
     岩の割れ目に「金雲母」を伴って産出した。

       ベスブ石

 (3) 金雲母【PHLOGOPITE:KMgAlSi3O10(F,OH)2

      金雲母は、淡い褐色で、真珠光沢のある鱗片状で産出する、とあるが、今回採集したの
     は、『半球状』結晶で、「白雲母」のようにも見えるが、灰緑色をしていてベスブ石と共生する
     ので「金雲母」としてある。

         
              球状結晶                   破面
                          金雲母

 (4) 灰礬ザクロ石【GROSSULAR:Ca3Al2(SiO4)3
      灰褐色、微細結晶の集合で堆積岩の中に層をなして産する。方解石(珪灰石?)部分に
     は、微細だが美しい自形結晶が見られる。

       灰礬ザクロ石

 (5) 磁硫鉄鉱【PYRRHOTITE:Fe1-xS】
      黄銅(しんちゅう)色、粒状結晶やその集合で堆積岩の中に産する。周囲が鉄錆でくまど
     りしたように、茶褐色なっているケースもある。
      この地域では他に黄鉄鉱起源の「武石」を見かけた程度で、数少ない金属鉱物の1つ。

       磁硫鉄鉱

5. おわりに

 (1) 『 不明鉱物 』
      甲府盆地の東端に位置する門井沢を訪れたのは2回目だった。東京都の石友・Kさんと
     最初に訪れたのは、7、8年も前になるだろうか。
      十分な産地情報も採集できる鉱物の知識もなく、今思えばポイントのはるか手前の花崗
     岩ばかりの辺りをウロウロして、何も採らず(採れず)に引き返してきた。

      その後、「珪灰石」や「ベスブ石」は、同じスカルン鉱床の長野県・川上村の甲武信鉱山で
     何回か採集、HPにも掲載し、その”顔”を見知った積りでいた。

・     2009年月遅れGWミネラルウオッチング
      ( Mineral Watching , Jun.2009 in Nagano and Yamanashi Pref. )

      その上、参考文献に載せた案内書を読み、コピーをとり、国土地理院の25,000分の1地図
     をダウンロードし印刷し、ポイントは特定できた。
      こうして、満を持してのミネラル・ウオッチングになり、「珪灰石」は簡単に採集できたのだ
     が、「ベスブ石」は苦戦した。
      甲武信鉱山なら肉眼サイズが簡単に見つかり、1cmを越える美しい結晶もまれではない
     のだが、門井沢では容易に見つからなかった。
      決め手となったのは、「鉱物採集の旅」に、『金雲母やベスブ石は「透輝石」とともにマグネ
     シウム(Mg)を主成分のひとつとして含有する珪酸塩鉱物なので、こうした共通の主成分を
     もつ鉱物種は、よくいっしょに出ます』
、とある通りだった。

      こうして未採集だった『U,V, W,Yの4文字で始まる山梨県産の鉱物』の内、”V”、”W”の2つ
     を確認・採集することができた。

      ところが、1つの目標を達成すると、新たな課題が見えてくる。今回採集した標本の中に、
     2種類の『不明鉱物』があるのだ。
      この鉱物種の鑑定・同定が次の課題になりそうだ。

         
             不明鉱物A                 不明鉱物B
          「白色〜半透明                「白色〜半透明
           ガラス光沢の針状              ガラス光沢の粒状
           珪灰石岩の晶洞 」             珪灰石岩の晶洞 」

 (2) 428年前
      今回訪れた門井沢がある甲州市大和町田野は、『武田家終焉の地』になっている。
     天正10年3月10日、敗走続ける武田勝頼一行が笹子峠麓についたとき、籠城を決めて
     いた岩殿城主・小山田信茂の謀反を知り、やむなく天目山に籠るべく田野の里に入った。
      一行は、主従43名だった。翌11日の払暁、織田信長軍の先鋒・滝川一益率いる4,000の
     軍勢が攻めてきた。秋山、阿部、小宮山、土屋等100人に満たぬ小勢で織田軍を撃退する
     も、勝頼はもはやこれまでと、従容として切腹した。ちょうど、428年前のことだった。

6. 参考文献

 1) 桜井 欽一、加藤 昭:鉱物採集の旅 -関東地方とその周辺-,築地書館,1972年
 2) 西宮 克彦編著:山梨の自然をめぐって 日曜の地学16,築地書館,1984年
 3) 田中 収編:山梨県 地学のガイド,コロナ社,昭和62年
 4) 益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
 5) 加藤 昭:スカルン鉱物読本,関東鉱物同好会,1999年
 6) 松原聡、宮脇 律郎:日本産鉱物型録,東海大学出版会,2006年


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