@幻の鉱物
A有名産地
『雲見の剥沸石』『三倉鉱山の”灰白色”の緑鉛鉱』
『大洞林道の湯河原沸石』『河津(蓮台寺)鉱山のテルル石』
伊豆採集の定宿となっている白浜の「部屋荘」さんでは、新鮮な地魚をはじめとする食べ
きれないほどの料理を満喫した後、恒例となった『オークション』と『標本玉手箱』で22時過ぎ
まで盛り上がった。
今回の採集会で伊豆の産地の奥深さを改めて認識し、今後の産地開拓が楽しみです。
(2005年3月採集)
甲府の自宅を早朝4時半に出て、河口湖、山中湖を経て御殿場に着いたのは6時であった。
国道246線で、沼津に向い、7時前に集合場所の「東名御殿場IC」に到着。集合時間の8時まで
近くのファミレスで朝食を済ませ、もう一度集合場所に戻ると第1日目の参加者の千葉・Yさん
Kさん、東京・Mさん、Tさん、愛知・Kさんが到着していた。やがて、滋賀・Oさん、そして
地元沼津・Mさん一家4名が集合した。
(Mさん一家は集合10分前に家を出たとのことで、伊豆は”庭先”のようなもの。)
簡単に自己紹介の後、早速出発!!
国道1号線を東京方面に戻るような形で進み、「下田→」の標識で国道136号線を南下し
伊豆路に入る。
【上船原の明礬石】
加藤・松原両先生の「鉱物採集の旅-東海地方をたずねて-」に記載されている、湯ヶ島町の
上船原(かみふなばら)を目指す。
「上船原詰所」バス停の手前から、船原川の対岸に見える赤茶けた露頭を目指す。お断りして
「TOSEI」社の敷地を横切らせていただき、河原に出る。
下見では、対岸の露頭に「石膏」脈があることは判っていたが肝心の「明礬石」を含む母岩が
特定できず、『六角板状結晶』を探す”大勢の眼”が頼りであった。やがて、東京・Mさんが
「中川さん、これ違いますか?」と持ってきたのは、紛れもない「ソーダ明礬石」である。
黄鉄鉱を含む母岩の晶洞部分に、六角板状、透明〜薄紅色の結晶が集合している。
全員、その場所に移動し、皆さん採集できた。石膏はYさんが採集したものを希望者で分配。
【大洞(大法螺!?)林道の湯河原沸石】
清越鉱山から東に1kmも進むと林道の分岐があり、左側が「大洞林道」になっている。
悪路を進むと、500mほどで左手に採石場跡がある。さらに林道を500mも進むと
行き止まりになる。
下見のときに発見した沸石を含む大きな転石に取り付き、ハンマーとタガネで割るが、母岩の
堅いの何の。掻き採った晶洞をルーペで覗きながら、『湯河原かも?』とか『太っちょだから
輝沸石だ』と賑やか。
結局、Kさん、Yさんが「湯河原沸石」を射止めたとのメールをいただいた。
【土肥金山で昼ごはん】
大洞林道から国道136号線に戻ろうとしたした時、右(湯ヶ島方面)から見慣れた車が近づいて
きた。兵庫・Nさん一家であった。Nさんの仕事の都合で、早朝5時に出発し、600kmを走って
来られたとのこと。挨拶もそこそこに、一緒に「土肥金山」に向かい、ここで昼食を摂る事に
した。
ここでのお奨めは、土肥町にあった金山の位置の詳細地図がついた土肥町教育委員会発行
「新編 土肥の金山」なる本(1,000円)で、瞬く間に10冊近くが売れてしまった。
また、夕食のボリュームがすごい事から、”昼食は軽め”にと、麺類をお奨めした。
【仁科海岸の瑪瑙と赤玉石】
草下先生の「鉱物採集フィールドガイド」で紹介されている仁科海岸を目指し、西海岸を
南下する。
「富士見海岸」近くから、その名の通り駿河湾を挟んで、富士山が見え、記念写真を撮る。
この頃から、風速30m以上かと思われる強い風が吹き、仁科海岸に到着すると波打ち際には
潮しぶきが飛び、体感温度も下がり、最悪の採集条件で、短時間で、瑪瑙や赤玉石を拾って
いそいそと車に戻る。
(強風で、私のカメラのケースを飛ばされてしまい、今もって行方不明)
【”雲見の剥沸石”を求めて】
加藤先生の「沸石読本」には、”雲見の剥沸石”が記載されている。下見で探索した産地に
皆さんを案内した。このころから、風上に向かって20度くらい前傾しても倒れにほどの猛烈な風で
最悪のコンディションとなった。
それでも、皆さん堅い母岩を叩き割り、透明感のある”和封筒”と形容される標本を採集できた。
帰宅後、東京・Tさんから、「最大5mmのものがあった」との写真付きメールをいただいた。
一旦松崎の町まで戻り、千葉・Kさんとはここでお別れし、われわれは、下田市街を抜け
今夜の宿のある白浜に向かい、18時前に宿に到着した。
【白浜温泉の夜はふけて】
東京・Tさんが、以前泊まったことがある白浜の天然温泉「部屋荘」が2年前から伊豆採集の定宿に
なっている。
男性陣は、順番に入浴、その間、オークション担当のNさん一家と玉手箱担当の愛知・Kさんが
参加者から提供された標本を品定めし、オークション品24点が選び出された。
@「懇親会」
皆さんお待ちかねの懇親会が、兵庫・Nさんの乾杯の音頭でスタートした。眼の前には
地元の金目鯛、カサゴ、黒ムツなどの生き造りをはじめ、食べきれないほど料理が並ぶ。
乾杯の後も、次々と料理が運ばれてきて、「グラタン」そして「ハンバーグ」でお仕舞いかと
思いきや、「金目鯛の煮付け」が3皿あるとのこと。下見の時、食べきれなかった様子をご存じの
宿のご主人が「明日の朝出しましょうか」と助け舟を出してくれ、救われる。
結局、大食漢の私ですら「鍋物」と「ハンバーグ」には、全く箸を付けられなかった。
(Nさんの娘さん・Nさんは、翌日も『あのハンバーグどうなったのでしょう』と気になっていた
様子でした)
宴たけなわとなり、参加者の自己紹介・近況報告で盛り上がる。滋賀・Oさんが新産鉱物である
”布賀の逸見石(へんみせき)”の発見者である事を私の補足説明で初めて知った方が殆どだった
ようです。
(Oさんは至って控え目な方で、ご自身からおっしゃらないので、私も文献を読んで、最近知った
次第です)
A「オークション」
懇親会の後、お待ちかねの「オークション」と「標本玉手箱」がスタートした。
2004年GWの採集会から導入した「オークション」は、私の所属する「鉱物同志会」で
採用されている「逆ブービー方式」と呼ばれる、”2番目”に高い値段を付けた人が落札する
ルールです。
これは、悪戯に、価格を引き上げないための配慮です。
「標本玉手箱」に提供された標本の中から、24点をオークション向けに宴会の前に選んで
頂いており、点数が多いので、2番目に高い値段を付けた人が自動的に落札する”即決”方式
とした。(ただし、同じものを既に落札している場合、”辞退あり”というルールにした。)
No | 鉱物(出品)名 | 産地ほか | 出品者 | 落札価格 | 1 | 松茸水晶(5セット) | 三重県 | 滋賀・Nさん | 800〜500円 | 2 | 磁鉄鉱 | 長野県栗生 | 滋賀・Nさん | 320円 | 3 | 方解石(2セット) | 岐阜県金生山 | 滋賀・Nさん | 580〜500円 | 4 | 微斜長石 | 山梨県黒平 | 東京・Mさん | 580円 | 5 | 満バン柘榴石(2セット) | 長野県和田峠 | 山梨・Mineralhunters | 760〜380円 | 6 | 紫水晶 | 栃木県鉛沢 | 山梨・Mineralhunters奥さん | 370円 | 7 | ペグマタイト | 岐阜県蛭川村 | 愛知・Kさん | 800円 | 8 | 紫水晶 | 栃木県銀山平 | 東京・Tさん | 1,200円 | 9 | 湯沼鉱泉記念写真3点 | 滋賀・Oさん撮影 | 滋賀・Oさん | 900円 | 10 | 重晶石(5セット) | 河津鉱山 | 東京・Mさん | 700〜100円 | 11 | トパーズ | 岐阜県蛭川村 | 愛知県・Kさん | 470円 | 12 | 磁鉄鉱 | 長崎県西彼杵 | 東京・Tさん | 100円 | 13 | 長石、煙水晶(2セット) | 岐阜県蛭川村 | 愛知県・Kさん | 900〜300円 |
No1「三重県の松茸水晶」は、狭い範囲にかたまって落ちていたそうで、今回、6本組を
5セット提供していただいた。
No8「銀山平の紫水晶」は人気が高く、一番高額で落札しました。それでも、市場の価格に
比べれば、数分の1〜十分の一の金額でしょう。
「オークション」の売上は、13,000円近くになり、この分、単純平均で1人あたり
約1,000円宿泊費が安くなった。
B「標本玉手箱」
標本玉手箱には、「河津鉱山のテルル石・自然テルル」「鉛沢の紫水晶セット」など
オークションに入れてもおかしくない逸品が並びました。
特に、「テルル石」は、翌日の河津鉱山で採集できる保証もなく、”保険”あるいは
”眼慣らし”用として人気が高かった。
(兵庫・Nさんの奥さんは、2〜3mmの結晶が付いたものをゲットし、満足そうでした。)
今回のルールは、愛知・Kさんが鉛筆を使った”クジ棒”を作成、持参してくれ、これを
引き1〜14番の順番を決め、最初は1番→14番の順で1点選び、次は14→1番の順で、これを
繰り返した。
残った標本は、お化粧直しをして、次回採集会に回す予定です。
三倉鉱山は、東京・Mさんが最近再発見した産地で、「灰白色の緑鉛鉱」と「重晶石」を求め
Mさんに案内していただいた。
最近入手した櫻井欽一先生の「軍需鉱物資源肉眼鑑定法」を読むと、『静岡縣三倉鉱山など
では、灰白色乃至褐紫色を呈する。之等は緑鉛鉱の名にそぐはぬが、鑛物は動物や植物に比して
遥かに変りものが多いので・・・・・・』と述べている。
ズリを見渡すと「重晶石」はいくらでもある。ただし、普段駄洒落など言わない滋賀・Oさんが
『バラバラになるから、バーライト【Barite:BaSO4】と言うほど脆い』。「緑鉛鉱」は、結晶
そのものが微細な上に褐鉄鉱の上に辛うじて張り付いているだけで、量的にも少なく、皆さん
苦戦されたようで、「持ち帰ったサンプルを調べたら褐鉄鉱の上に立派な(?)緑鉛鉱があった」
とのメールを東京・Tさんからいただいた。
【河津鉱山のテルル石】
河津鉱山桧沢に移動し、「テルル石」を探すことにしたが、母岩の”陶器質石英”がめっきり
少なく、テルル石鑑定役として同行した眼の(も!)良いNさんの娘・Nさんの出番がほとんど
ない。
辛うじて、愛知・Kさんが微細なテルル石を発見したに止まった。
結局、前の晩の「標本玉手箱」で、Mさんが提供してくれた以上の良品は採集できなかったようで
私の妻もその一人でした。
【水晶産地の探索】
お昼ご飯を食べたあと、天気予報では名神道の関が原付近が雪とのことで、兵庫、滋賀組が
一足先に引き上げることになった。
残った愛知、関東、山梨組は「日本鉱物誌」にある水晶産地を求めて、山の中を2時間ほど
駆け巡ったが、手がかりすら掴めず、タイム・アップとなった。
【いざ、帰りなん】
いつもながら、後ろ髪を引かれる思いで、4時前に採集を切り上げる。沼津ICまで直行し
皆さんとお別れした。
関西組は「関が原」で速度規制があった程度で、皆さん21時〜23時ごろには無事帰宅された
とのメールをいただいた。
(2)櫻井欽一先生の「軍需鉱物資源肉眼鑑定法」には、『緑鉛鉱のみの産地としては、・・・・・
静岡縣三倉鉱山その他で、何れも金鑛床である』とあるように、多量に緑鉛鉱があったと
考えられ、違った坑がある可能性も高く、今後の探査が楽しみです。