鉱物同志会員・岩川幸子さんを偲ぶ

鉱物同志会員・岩川幸子さんを偲ぶ

1.初めに

 今日(2003年3月11日)届いた「鉱物同志会会報No44」を読んでいて
同会元役員の岩川幸子さんが昨年7月に急逝されていたことを知った。
 直接お話したことはなかったが、同志会の新年会で、ノートを配って頂いた
ことを思い出した。
 岩川さんの鉱物以外の趣味は、私と同じ郵便切手などを収集することで
そのご縁で、東京都三鷹市にある切手収集の会・JPS三鷹支部の例会で
1度だけ、お目にかかった事があった。
 それは、彼女が会誌「フィラ・スリー・ホーク」2000年7月号に
『忘れられた鉱山町の消印』という記事を発表されたのを私が別な雑誌で読み
鉱山町の消印や郵便物を集めている、三鷹市のNさんを知った。
 Nさんの家を訪れ、引き続きJPS三鷹支部の例会に出席させていただいた折
郵趣会員の岩川さんにお会いした次第です。
 ここに『忘れられた鉱山町の消印』の全文をご紹介し、60歳になるか
ならないかの若さで亡くなられた、岩川さんを偲ぶとともに、ご冥福を
お祈りしたいと思います。
(2003年3月情報)

2.『忘れられた鉱山町の消印』

 これは、JPS三鷹支部の会誌「フィラ・スリー・ホーク」
2000年7月号から転載させて頂きました事を、お断りしておきます。

 イギリス,アメリカにては.かつての植民地のアフリカ,アジア,中南米などの
産業界の歴史を,失われた歴史の中から,改めて掘り起こしている。イギリスに
おいては,国の誇りとして,鉱山地帯の郵便物が,鉱山博物館にて,資料として
驚くほどきちんと遺されている。
明治の国民は,世界とともに,孤立することなく,こころざし高く,誇りにみち
けだかくて,礼を重んじる国家を作り,それが今日の近代化,平和で豊かな文化に
つながっている。しかし,明治の歴史とともに,日本の鉱山の歴史はあっても
郵便物はなにひとつ遺されず,鉱山町の郵便局の黒活印は,忘れられた鉱山とともに
忘れ去られてしまった。大正時代の山形県の銅鉱山の,産業界の歴史的痕跡である町の
郵便局の消印すら,今日,だれ一人,大切にして,残っていないとなれば,日本の恥で
ある。日本は郵便局の黒活印の歴史的価値を,見落としていることとなる.
 今日では,蜃気楼のごとく,消え去った鉱山町。今では考えられないような
きわめてきびしい郵便局の歴史はあっても,学校教育の上では,郵便のネット
ワークなど,大切にされず,忘れ去られているのは無理もない。人々の生活
消印の押されたカバーと郵便史を大切にするイギリスにては世界のイギリスの産業の
歴史を伝えるべく,単なる産業だけの鉱山博物舘としてではなく,鉱山の歴史を伝える
鉱山博物館にて,切手コレタターの手によって,大切に郵便物が遺されている。
日本では,東京上野の国立科学博物館にて,基礎的な科学研究の再認識の手投として
博物学的視点にたった,失われた鉱物の標本を見ることができるが,郵便物の黒活印は
博物館には遺されていない。こういう郵便物は,「鉱山の日本の100年史テーマ特別展」
にてその事情をよく理解された,松原先生の手によって,日本で初めて展示された。
ここで展示された郵便物はごくわずかであったが,今日でも,その思い出は消える
ことがない。こういう郵便物が珍しいことを理解してもらうために.松原先生は大層
苦労したことと思う。
しかし,今日の日本の産業界を,考えるとき,人々の生活の歴史を今日に伝える力づ
よいメッセージとしての郵便局の消印が押されたカバーは,理解されることもなく
鉱物の標本と同様には,残っていない。
当支部のNさんが、コレクションされている郵便物においてのみ,日本の産業界の
重大な歴史を物語る,鉱山町郵便局の消印が,遺されている.この郵便物がどう遺され
ていくか,私は,重大なる関心と,感動をもって見ている。これは,日本のだれ一人
気付かないで,見落としているものである。
 昔鉱山があった現地は,探すにしても,ヘビは出る.けもの道にて,困難を伴う。
今日,日本の鉱山地帯はあっても,消え失せた蜃気楼,幻の町のごとく,なにひとつ
人々の生活の痕跡すら.残っていない。郵便物に遺された,借金の証文,友人からの
思い出,時代とともに,男たちの汗と涙の人生,思い出の建物すら,残っていない。
何があったかを,思い出させるものは,ただ郵便物のみである。
 日本の国立科学博物館にては,鉱物の標本ラベルの破損,紛失の防止と,標本管理
は,きちんとされると,思われるが,郵便物が失われていれば,鉱山の歴史は確かめよ
うもなく,世界の中の,日本の近代化の過程も,忘れ去られてしまう。
 21世紀を迎える今日,鉱山の跡は,公園博物舘として残っても,鉱物資源は、100年後
には,地球外にて、すべて作り出される日も来るたろう。その時も,遺さわた過去の、鉱
山町の黒活印が押された郵便物によってのみ,鉱山町の人々の生活の歴史を,知ることが
できる。日本の忘れられた歴史的郵便印である黒活印を見直したとき,21世紀にあたり
歴史的郵便物の失われた時間を取りもどすことができる。今日,日本の鉱山地帯はあっても
鉱山町の歴史は返り見られることなく,当支部のNさんのみ,郵便印コレクターとして
鉱山町の現地の黒活印,そしてその消印が押された郵便物を,集めている。
その郵便物の歴史的重みを,どう考えられ,日本の郵便局の歴史的価値を,これから
どのように紹介されるのだろうか。イギリスに負けない,コレクション作りを,日本でも
将来どのような形で作り,同好の士を増やしていくのだろうか。
鉱山町の黒活印を集める,友の会,和の会が広がって,大きな広がりが出来,成果の上がる
こと念じ,そのためにも,三鷹支部の魅力が大きな力となることを,願ってやみません。

用語の解説
黒活印:発信した局名・発信年月日・時間帯などを”黒い活字”で押印したもの。
カバー:Coverの日本訳で、封筒、ハガキのこと。

5.おわりに 

(1)岩川さんが気に掛けておられた、鉱山町の人々の息遣いを遺す郵便物を少しでも
   まとまった形で後世に残すことが、岩川さんの遺志に報いる私にできる事かと
   考えています。
(2)最後に、岩川さんのご冥福を心からお祈り致します。

6.参考文献 

1)岩川 幸子:忘れられた鉱山町の消印,JPS三鷹支部会誌「フィラ・スリー・ホーク」
          2000年7月号
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