相馬御風と糸魚川翡翠







          相馬御風と糸魚川翡翠

1. はじめに

    2012年の冬は例年にない厳しい寒さだった。孫娘の3回目の雛祭りをお嫁さんの御両親と
   祝ったが、この日も寒い1日だった。
    一日も早い春の訪れを願って、孫娘と一緒に童謡の一節を口ずさんでいた。

    『 春よこい、早くこい
      歩きはじめた、・・・・・・・・・・・・・   』

    都内の切手店を回っていると、新潟県をテーマに発行した郵便切手に「ヒスイの里と相馬
   御風」なる一枚があり入手した。そのデザインは、翡翠の勾玉、「春よこい」の歌詞の一部、
   赤い鼻緒(はなお)のじょじょ【ぞうりの幼児語】、そして御風の肖像を配したものだ。

    
         ヒスイの里と相馬御風

    この切手を見て、『 春よこい 』の作詞者が新潟県糸魚川市出身の相馬御風だと知った。
    それと同時に、御風について、糸魚川(=本邦)翡翠発見のキッカケを作った人、として次
   のページで紹介したことも思いだした。

    ・「本邦に於ける翡翠の新産出」
     ( New Discovery of Jadeite from Kotakigawa River , Itoigawa City , Niigata Pref. )

    2012年4月、都内の骨董市をのぞくと、古い封筒やはがきの中に、御風差しだしの年賀状、
   というより年賀状の返礼はがきがあったので入手した。葉書の消印は、昭和11年(1936年)
   1月12日で、故郷・糸魚川に大正5年(1916年)に移住してから20年が経っていた。
    昭和13年(1938年)8月12日に、伊藤氏が小滝川の支流、土倉澤の出合の滝壷附近で、
   ”見たことのない青いきれいな石”を発見する2年前だった。

    糸魚川翡翠発見の表舞台に決して立つことがなかった御風の思いは何だったのだろうか。
   御風の作品を全く読んでいないことに思い至り、何冊かの古書をインターネットで注文した
   次第だ。
    ( 2012年4月 情報 )

3. 相馬御風の略年譜

   早稲田大学校歌「都の西北」、日本初の流行歌「カチューシャの唄」、童謡「春よこい」・・・、
   今も日本中で愛されている名曲の作詞者が相馬御風だ。

    御風(本名相馬昌治)は、明治16年7月10日、新潟県糸魚川町(現糸魚川市)で、糸魚川町
   長も務めた父・徳治郎の一人息子として生まれた。
    明治39年、早稲田大学を卒業し、早稲田文学社に入り「早稲田文学」の編集を担当。当時、
   全盛をきわめた自然主義文芸運動の先鋒として、文芸評論の面で活躍していた。その一方
   で、三木露風、野口雨情らとともに早稲田詩社を結成し、「口語自由詩」を提唱し、自由な言
   葉とリズムによる新しい詩のメロディーを主張した。
    また、明治40年には早稲田大学創立25周年に際し、作詞した校歌「都の西北」は不朽の
   名作として今も歌い継がれている。
    大正初年にはトルストイの人道主義に傾倒し、多数のロシア文学作品の翻訳本を出版して
   いる。
    大正5年年3月、故郷・糸魚川に移住を決意した告白の書といわれている『還元録』を出版
   し、友人・知人に配っている。

    糸魚川に移住した御風は、ライフワークとなった良寛研究、執筆読書の生活を続け、現在
   も親しまれている童謡「春よ来い」など、たくさんの名曲の作詞も手がけている。
    生涯で七千首以上といわれる自らの作歌活動のほか、短歌結社「木蔭会」を結成して郷土
   の歌人の育成にも努めたほか、文芸雑誌「野を歩む者」を通じて、ふるさとの自然を讃え愛し
   んでいる。
    昭和25年5月7日、脳いっ血で倒れ、翌8日逝去。享年67歳(満66歳)だった。

3. 御風のハガキ

    2012年4月、都内の骨董市をのぞくと、古い封筒やはがきの中に、御風差しだしの年賀状、
   というより年賀状の返礼はがきがあったので入手した。

         
            表                 裏
               御風差しだしのはがき

    葉書の宛名は、御風が自ら墨書したものだ。御風の字がうまいのかどうか、「金釘流」家元
   の私には判断できない。
    切手に押された消印は、新潟・糸魚川局のもので、差しだしたのは昭和11年(1936年)
   1月12日で、正月もだいぶ過ぎてからのものだ。
    故郷・糸魚川に大正5年(1916年)に移住してから昭和11年で20年目を迎えていたころだ。
    昭和13年(1938年)8月12日に、伊藤氏が小滝川の支流、土倉澤の出合の滝壷附近で、
   ”見たことのない青いきれいな石”を発見する2年前だった。

    裏には、年賀状の礼状と新年の祝意の文面が綴ってある。『 新春のおめでたきおたより
   ありがたく・・・』
、とやさしい言葉で、句読点なしに一気に読ませる「口語自由詩」を思わせる
   リズムで書いてある。

4. おわりに 

 (1) 御風と糸魚川翡翠
      相馬 御風が文学者としての鋭い直感で、糸魚川市周辺に翡翠の原産地があるので
     はないかとの指摘を行い、これがキッカケで伊藤 栄蔵氏が当時、人跡も希だった小滝川
     の上流、支流を踏破し、氏自身は見たこともなかった”青いきれいな石”を”翡翠”ではな
     いかとの”直感”で探し当てた。

      この後、糸魚川で発見された翡翠について、御風は沈黙を守っている。御風の思いは
     何だったのだろうか。

      御風が亡くなった歳を超え、御風の作品を全く読んでいないことに思い至り、何冊かの
     古書をインターネットで注文した次第だ。

 (2) 東日本大震災1周年
      東日本大震災と原発事故が発生してから1年余りが過ぎた。最近では、首都圏直下の
     大地震が近いうちに発生する確率が発表され、センセーションを巻き起こしている。
      身近なところでは、2012年の冬は例年になく寒さが厳しく、地球が温暖化していると言
     うのは本当だろうか、と疑ってしまう。

      こんなとき、竹内・都城共著の「地球の歴史」を読んだ。今から50年近く前の昭和40年に
     執筆されたもので、最新の科学では、新たな知見が得られているのかも知れない。それ
     でも、私のように科学の一分野にいるものでも納得できる筆の進め方で、45億年の地球
     の歴史を理解できた。

      地球が暑くなっているのか、寒くなっているのかは地球の歴史にとって大きなテーマで
     この本でもページ数を割いている。
      結論からいえば、今は寒い氷期と氷期の間にある「間氷期(かんぴょうき)」、と呼ばれる
     期間だとすると、1,000年以内に、今よりも暖かく(暑く)なる可能性が高いらしい。
      このような、氷期と間氷期の繰り返しは、過去30万年の間でも知られているだけで4回
     実際にはもっと多かったらしい。

     
                   寒暖の繰り返し
                【「地球の歴史」から引用】

      もう一冊、だいぶ前に読んだ本に、藤原相之助が今から80年前の昭和7年(1932年)に
     著した「奥羽古史考證」がある。氏が言いたいのは、日本海をはさんだ反対側のユーラシ
     ア大陸にいたツングース族が紀元150年ごろ、北ルートは樺太、北海道を南下、南ルート
     は朝鮮半島に沿って海を渡り北陸地方に上陸し北上したという説だ。

     
                ツングース族の動向
              【「奥羽古史考證」から引用】

      糸魚川翡翠と切っても切れないのが、越(こし)の国の沼河姫(ぬなかわひめ)で、出雲
     の大國主命(おおくにぬしのみこと)が求婚した話が古事記にもある。
      沼河姫は、大国主命の妃となって出雲の美穂郡に住み、御穂須々(みほすす)命を生
     んだ、とある。
      越の国は、ツングース→クス→コシになり、大国主命の「国主」もクス、という説だ。

      これは、前振りに近く、この本には、東日本大震災で知られるようになった『貞観の地震』
     が記載されている。この本によれば、地震の模様は次の通りだ。

      『 貞観11年(869年)5月26日の大地震、大海嘯(大津波)の報告に、城郭倉庫門櫓
       墻壁が頽落顛覆し海口咆哮、驚濤湧潮、泝漲長、忽ち城下に至る云々、とある。
        これは、国府所在地の被害の模様を叙したものと見えるが、岩沼のことだか市川の
       ことだかわからない。
        ・・・・・・・・・・・地震学の権威・中村博士によれば、東北表日本の地震帯は福島県
       から東にそれて太平洋に入り、金崋山沖にかけて東北方に走っている。・・・・
        ・・・・・・・・・・・・
        この大海嘯後、740余年後の慶長16年(1611年)10月28日にも大地震、大海嘯が
       あって、・・・・・・伊達政宗が在国中で、家来2人に対し漁舟で出漁を命じたのは海嘯
       の前日だった。然るにその1人は、潮色が悪いからと出漁しなかったけれど、他の1人
       は主命だからと出漁した。
        然るに此の大海嘯が突発したので出漁しなかった家来は溺死したが、出漁した家来
       は、舟が松の梢に止まったので助かったという。
        政宗はこのことを駿府に出た時、徳川家康に話したので、家康は之を「駿府記」に書
       きとめさせた。所謂千貫松の奇談である。・・・・・・・・・・                   』

        貞観地震、大津波の模様は、恐ろしげな漢字が並んでいるだけで、被害の大きさが
       伝わってくる。
        政宗のケースでは、封建制度を守るためにも、主命に従ったものだけが助かった、
       という結末でなければ具合が悪いだろう。
        中村博士がどのような人か知らないが、今回の東日本大震災と大津波は博士の
       説にある東北方向の線上で発生したことを考えると、『想定外』などとは言えないはず
       だ。
        貞観、慶長の大地震、大津波もたかだか500年から1,300年前の話で、地球の歴史
       からみれば、ついさっきのことだ。

5. 参考文献 

 1) 藤原相之助:奥羽古史考證,友文堂書房,昭和7年
 2) 河野 義禮:本邦に於ける翡翠の新産出及び化學性質 岩石鉱物鉱床学会誌
            同学会,昭和14年
 3) 大森 啓一:本邦産翡翠の光学性質 岩石鉱物鉱床学会誌
            同学会,昭和14年
 4) 岩石鉱物鉱床学会編:岩石鉱物鉱床学会誌総目録
                 第1巻(昭和4年)〜第42巻(昭和33年),同学会,昭和34年
 5) 原田 準平:日本産鉱物文献集 1872〜1956,日本産鉱物文献集編集委員会
            1959年
 6) 竹内 均、都城 秋穂:地球の歴史,ニッポン放送出版協会,昭和40年
 7) 宮島 宏:とっておきのヒスイのはなし 増補改訂版
            フォッサマグナミュージアム,2004年
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