茨城県笠間市稲田石資料館 石の百年館

     茨城県笠間市稲田石資料館 石の百年館

1. 初めに

   2006年、年が明けても暮れからの例年にない寒さが続き、フィールドでのミネラル
  ウオッチングは2の足を踏む。そこで、以前訪れ、HPにも掲載したことがある
  茨城県笠間市にある稲田石資料館 「石の100年館」を4年ぶりで訪れた。
   ここは、地元石材会社(株)タカタの付属施設である。この地域の通称「石切
  山脈」と呼ばれる広大な地域に眠っている白い花崗岩、登録商標「稲田石」
  「稲田みかげ石」を本格的に採掘、加工を始めた明治22年(1889年)頃から
  現在まで100年以上も採掘・加工が続いている。
   一世紀を越える歴史を記念するため、歴史資料や採石・加工道具そして
  花崗岩のマグマに伴ってもたらされた各種の岩石・鉱物を展示してある。
   4年前、初めて訪れた時には(気付か?)なかった、明治36年(1903年)第5回内国
  勧業博覧会で「常陸産稲田花崗岩」が3等賞を受賞した賞状が飾られていた。
   審査総長・大鳥圭介、審査部長・和田維四郎、審査官として神保小虎、巨智部
  忠承など、そうそうたる面々が名を連ねている。同じ施設であっても、訪れる時に
  よって、自分の経験が積み重なるにつれ違った姿が見えてくるから面白いもので
  ある。
   採石場での採集は許可していないが、稲田をはじめ茨城県や日本各地で
  産出する鉱物の展示・販売もしており、近くに行かれたら訪れると良いでしょう。

   開館時間:AM10時〜PM4時
   休館日  :月曜日(月曜祝日は翌日)、お盆、年末年始
   入場料  :大人300円、中高生200円、小学生以下無料
   連絡先  :0269-74-2901

   ( 2001年10月訪問、2006年1月再訪 )

2. 場所

   東京方面からだと北関東自動車道「友部IC」で下り、国道50号線に出て、下館
  方面に向かって走ると、JR水戸線稲田駅入口手前右側に、「石切山脈」の大きな
  石作りの標識があるので右折する。約500m行くと「石の100年館→」の看板が見える。
   資料館は、稲田石を外壁全面に使い、杉綾模様に石を配列した壁面は、デザイン
  的にも素敵な建物です。

    稲田石資料館 「石の100年館」

3. 稲田石について

   稲田石は、正式には「稲田白御影石(いなだしろみかげいし)」と呼ばれる。”みかげ”
  とは、六甲山のふもと、神戸市西方の御影町(現東灘区御影)付近で見られた岩石の
  和名で、花崗岩(Granite)のことである。

  (1)稲田石のおいたち

      稲田花崗岩の生い立ち

      笠間から栃木県にかけて八溝層群と呼ばれる主に砂岩、頁岩からなる地層が
     古生代〜中生代にかけて堆積した。この中には、チャートや石灰岩(珊瑚礁起因?)も
     点在していた。約6000万年前、この地層に花崗岩が貫入した。これが、稲田花崗岩で
     ある。このマグマは500万年という永い時間をかけて冷え固まった。その結果、次の
     ような優秀な石材の条件を満たす結果となった。

     @ 色調がきれい
     A 質が均一
     B 硬くて新鮮(風化していない)
     C 耐久性がある
     D 大量に産出する
     E 消費地(東京など京浜地区)に近く、搬出が容易

  (2)稲田周辺の地質
      マグマが貫入してくると、次のような現象が起り、その痕跡が今でも観察される
     ことがある。
     @ 捕獲岩(ゼノリス)
        もともとあった基盤岩の一部が花崗岩に獲り込まれたものを(捕獲岩)と
       呼ぶ。
        堆積岩の割れ目を花崗岩が上昇する際に巻き込まれたものや、天井に
       なっていたものが落ち込んで溶けきれずに固まったもの(ルーフペンダントと
       呼ぶ)など、いくつかの形態がある。

           
          巻き込まれたもの             ルーフペンダント
            捕獲岩の形態【「石の百年館」パンフレットより「引用】

     A 巨晶花崗岩(ペグマタイト)
        堆積岩の割れ目を上昇したマグマの熱水やガスの成分がゆっくりと冷やされ
       石英、長石、雲母の結晶が大きく成長した。それぞれの自形結晶が見られる
       ほか、各種の鉱物の結晶が見られることもある。

     B 接触変成
         花崗岩マグマの熱と厚い地層の重さ(圧力)とで、周囲の岩石が変質し
        た。これを、接触変成という。堆積岩中の石灰岩は、溶けて粒が大きい
        方解石として再結晶し、結晶質石灰岩(大理石と呼ばれる)となる。
         花崗岩と堆積岩の間で元素のやり取りがあり、各種の鉱物が造られ
        このようにしてできた規模の大きなものはスカルン鉱床として稼行の対象に
        なる場合もある。

         大理石【「石の百年館」パンフレットより「引用】

       このように地下のドラマを秘めたまま永い時間が過ぎ、数千万年の間に隆起し
      海底だったところが陸になり、地上の雨、風などで風化しやすい部分や軟らかい
      ところが削られ(逆に、硬いところが残り)、山や谷ができ、稲田一帯の地下は
      次の図のようになっていると考えられる。
       花崗岩は広い範囲で基盤岩をなしており、量的には、無尽蔵とも言え、石材と
      しての条件、Dを満足している。

        
         稲田地下模式図【「石の百年館」パンフレットより「引用】

  (3)稲田石の性質
      稲田石は白御影石といわれるように、主に石英、長石、黒雲母の3つの鉱物が
     主成分で、副成分として燐灰石、ジルコン、磁鉄鉱などを含んでいる。
      石英(灰色)、長石(白)、雲母(黒)の作り出す色調は落ち着いた中にも豪華な
     感じで、色調が綺麗という石材の条件、@をも満たしている。
      稲田石の性質を特徴付けているものとして、酸や雨風に強い珪酸(SiO2)が70%
     以上含まれていることである。

堀場(採石所)稲田日陰山大広山
珪酸(SiO2)含有率(%) 73.80 74.38 72.10

      さらに、インド産の花崗岩では、鉱物の粒界や長石の中に方解石など、石英、長石
     雲母以外の鉱物が見られるのに、稲田産のものには何もない。
      これらが相まって、石材の条件、A B Cを満たすことになる。

         
           稲田産                 インド産
          花崗岩組織【「石の百年館」パンフレットより「引用】

  (4)稲田石の開拓者
      このように、石材として優れた特質をもっている稲田石であるが、この性質が認められ
     広く使われるようになったのは、それほど古いことではない。その蔭には、先人たちの
     大いなる苦心と努力があったればこそである。稲田石の開拓者、とされる人々の
     足跡を追ってみたい。

     【藤原 与太郎】
      水戸・小山間に鉄道敷設工事が始まったのは明治20年(1887年)8月で、このとき
     藤原与太郎は、稲田で石材業を営み、膨大な石材を鉄道工事に提供した。
      藤原与太郎がいつごろここに入山したかは定かではないが、香川県小豆島の
     出身で、数名の石工と共に来て、農家に仮住まいしながら生活した。
      石切場から鉄道建設現場までは、4km以上あり、石材の運搬が最大の課題で
     あったが、農家の人々の協力で、人力、牛馬の力をかりて運び、明治22年(1889年)
     2月21日、水戸線は開通をみた。
      この、藤原与太郎が、稲田石を開発した草分けと考えられる。

     【石山三名組】
       明治21年(1888年)、宮司・塙某、酒造業・武藤某、笹目某の3名が、共同出資で
      畑違いの石材業に乗り出した。明治22年(1889年)笠間石材会社を設立し、営業を
      開始した。
       しかし、水戸線は開通したものの、当時稲田駅はなく、笠間駅まで人力の大八車で
      石材を運搬したが、石の大きさも制限されていた。

     【鍋島 彦七郎】
       このように、採石は始まったが、駅もなく、道路は悪路で、運び出せる大きさも
      限られ、需要を満たすまで至らなかった。
       東京の石材問屋・鍋島彦七郎は、原石を求めて筑波山北方の加波山付近を
      調査したが、駅までの輸送コストが高く断念した。次いで、明治29年(1896年)
      稲田に調査に来て、各所に露出している花崗岩の巨岩を見て驚いた。
       無尽蔵にあり、石質も優れ、何より最大消費地・東京まで100km余りと好条件に
      恵まれている。
       しかし、問題は運搬手段であった。そこで、採石場から鉄道沿線まで2km余りに
      トロッコ軌道を敷設した。鉄道沿線の土地を買収し、日本鉄道株式会社に寄附し
      明治30年(1897年)6月5日、貨物駅として稲田駅が誕生した。
       それまで、東京の花崗岩は中国地方から船便で輸送されていたが、東京に近い
      稲田から、安価で品質の優れた花崗岩が供給されるようになると各方面から
      大歓迎を受け、稲田花崗岩の名は全国に広まった。
       それによって、それまで関東の石材の代表であった安山岩に代わって、稲田
      花崗岩がトップの座を占めるようになった。
       鍋島彦七郎は、文久3年(1863年)備後国御調郡(現広島県尾道市)吉田家の
      2男に生まれ、明治19年(1886年)上京し、東京九段下の石材問屋・志石園に
      奉公した。
       明治22年(1889年)、鍋島家の養子となり、その後、石材問屋・鍋島商店として
      独立した。
       大正3年(1914年)、鍋島彦七郎は、鍋島商店稲田事業所の業務一切を、代理人
      として経営に携わってきた支配人・高田愿一に譲り、自身は石材問屋組合長や
      区会議員として活躍し、昭和3年(1928年)亡くなった。

     【高田 愿一】
       広島県御調郡に明治元年(1868年)に生まれ、農業の傍ら、役場に勤務していた。
      日頃から親しい間柄であった、隣村出身の鍋島彦七郎から稲田石の開発の相談を受け
      明治30年(1897年)2月、単身稲田に移住し、鍋島商店の代理人として事業運営に
      当たった。
       明治37年(1904年)、東京市街電車の建設にあたり、軌道舗装敷石の大量受注があり
      稲田は活気に溢れ、鍋島商店も業容を拡大した。
       大正3年(1914年)、鍋島彦七郎から鍋島商店稲田事業所を継承し、高田商店とし
      スタートした。これが「石の百年館」を運営する、潟^カタの始まりであった。
       大正9年(1920年)、初代高田 愿一は、病を得て53歳で亡くなり、2代目愿一が跡を
      継いだ。

       このほか、枚挙に暇がないが、中央線はじめ鉄道工事や東京市電の軌道敷石
      工事などに心血をそそいだ小豆島出身の中野 喜三郎、石材業土屋商店を開業し
      後に衆議院議員もつとめた神奈川県真鶴出身の土屋 大次郎なども忘れてはなら
      ない人々である。

 (5) 稲田石による主な築造物
      記録に残されているだけでも、何かと話題になる靖国神社に明治26年(1893年)に造られた
     大村益次郎の銅像台座に始まり、日本、韓国まで、稲田石を使って数えきれない建造物が
     造られた。
      それらのうち、私の趣味でもある郵便切手に描かれたものも、昭和49年(1974年)の最高
     裁判所などいくつかあるが、その1つ、国会議事堂(当時は、帝国議事堂と呼んだ)を
     紹介したい。

     
   帝国議事堂完成記念切手【昭和11年(1936年)11月7日発行】

4. 資料館の展示内容

   資料館の内部は、次のようなコーナがあり、稲田石についての知識を系統的に
  理解できるようになっています。
   また、屋外には、稲田石の搬出用のトロッコやそり(確か、「修羅(しゅら)」と呼ぶもの)
  などの大型道具が展示してあります。
   順路に従って、次のようなコーナがあります。

  (1)資料コーナ
      明治20年代の採掘や売買に関する書類や写真が展示してある。15分ほどの
     ビデオで、最新の採掘、加工の模様と稲田石を使った全国各地の建物やモニュ
     メントを見ることができる。
      明治36年(1903年)第5回内国勧業博覧会で「常陸産稲田花崗岩」が3等賞を
     受賞した賞状はここに飾られている。
      審査総長の大鳥圭介は、新選組・土方歳三らとともに最後まで官軍に抵抗し
     函館の五稜郭に立てこもった人物である。審査部長の和田維四郎や審査官の
     神保小虎、巨智部忠承については、言わずもがなであろう。

           
         資料展示              内国勧業博覧会表彰状
                  資料コーナー

  (2)採掘・加工具展示室
      100年を越える採掘・加工の歴史の中で使われた各種の道具が実物展示・解説
     してある。
      また、壁には、世界30ケ以上の国で産出する石材のサンプルが展示してある。

       世界の石材と採掘・加工具

  (3)岩石・鉱物展示室
      鉱物愛好家にとって最も魅力的なコーナで、この地域の地質や花崗岩に捕獲
     された各種の岩石とこの地域と茨城県近県で採集された鉱物標本が展示してある。
      堆積岩の一部には、石灰岩もあり、それらと花崗岩マグマが接触した部分では、
     「加賀田鉱山の灰重石」や「柊山の珪灰石」に代表されるスカルン鉱物も見られる
     など、バラエティに富んだ産地です。
      鉱物展示室には、稲田周辺の採石場で産出した鉱物や錫高野、山の尾など
     茨城県産の鉱物をはじめ、日本各地や外国の鉱物も展示してある。
      今回眼を引かれたのは、高取鉱山産の錫石で水晶の上に数ミリ大の結晶がついた
     もので、この後すぐ、高取(大正)鉱山に行く気になってしまった。

       高取鉱山産錫石

  (4)調査・研究コーナ
      稲田石や各種石材、鉱物に関する書籍が自由に閲覧できます。また、ここの
     館員の方が採集した稲田をはじめ茨城県や他都道府県そして外国産の鉱物を販売
     している。
      この近くのものでは、柊山の珪灰石、錫高野のトパーズ、鉄マンガン重石
     山の尾の緑柱石、柘榴石などがあります。
      また、係員の方が居れば、この付近の産地の情報を聞くことができます。

     産地情報

 産  地採集鉱物           現   況 備  考
柊山珪灰石 上の図にもあるように
柊山は公園になっていて
採集は難しい
 転石があっても、堅くて・・・
 ここで100円〜200円で買った
方が無難
「鉱物採集の旅
東京周辺をたずねて」に
ある古典的産地
加賀田鉱山灰重石 15年ほど前に愛知県の石友
KDさんと訪れた。ズリ(?)には石英塊が
あったが、その当時ミネラライトを使うことなど
思いもよらず、何も採集できなかった
「鉱物採集の旅
関東地方とその周辺」に
ある古典的産地
錫高野トパーズ
錫石など
 林道の入口にチェーンが張ってあるので
歩いて、2、30分行けばズリがあり
採集できるだろう
 ここは、採集禁止になっていない模様
「鉱物採集フィールドガイド」に
ある古典的産地

     購入標本・無料配布標本

      山ノ尾のように採集禁止や”絶産”と思われる産地の標本があったので
     2006年最初の ”現金採集” と相成った。

  鉱  物   産  地    標 本 写 真価格 備  考
珪灰石笠間市柊山200円 
満バン柘榴石岩間町長沢100円 
硫砒鉄鉱岩間町長沢100円 
燐灰石岩間町長沢
   白色(太陽)光

   紫外(ミネラライト)光
200円 黄色く蛍光する
部分が燐灰石
蛍石旧桂村錫高野200円 
コルンブ石真壁町山ノ尾100円 
稲田石潟^カタ無料 

5. おわりに 

 (1) 民間の会社がこれだけ立派な施設を作り、参観料(300円)と参観者の数から
    見て決して儲かってはいないだろう(失礼!)と思われるのに、維持されている
    努力には敬意を表します。
     私のHPを見て、一人でも多くの人が訪れてくれれば、と願っています。

 (2) 2005年末に訪れた中津川市鉱物博物館を訪れた時にも感じたのだが、同じ施設であっても
    訪れる時によって、特別展や新しい収蔵品が増えるなど展示内容が替わったり、自分の
    知識や経験が積み重なるにつれ、違った姿が見えてくるから面白いものである。

7. 参考文献 

 1)稲田石材組合編:稲田石材百年史
 2)(株)タカタ;稲田石
 3)(株)タカタ;稲田石資料館「石の百年館」パンフレット
 4)小林 三郎:稲田御影石材史,稲田石材商工業協同組合,昭和60年
 5)関口ひろ子:稲田石,筑波書林,1981年
 6)加藤 昭、松原 聰:鉱物採集の旅 東京周辺をたずねて,築地書館,1982年
 7)桜井 欽一、加藤 昭:鉱物採集の旅 関東地方とその周辺,築地書館,1972年
 8)草下 英明:鉱物採集フィールドガイド,草思社,1982年
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