一ノ瀬銭







              一ノ瀬銭

1. はじめに

    趣味の鉱物が昂(こう)じて、「鉱物切手」、「鉱山絵葉書」そして「水晶細工」と際限なく
   収集ジャンルが広がっているようで、我ながら、”ゾ〜ッ”、としている。

    その一分野に、鉱山で発行された「鉱山札」や「貨幣」がある。たとえば、足尾銅山の銅
   で鋳造され、裏面(背面)に『足』の字を鋳出した寛永通宝足字銭などがその代表だ。

    足尾鉱山の鉱物
    (Minerals of Ashio mine ,Gunma Pref.)

    都内の古書店でコイン関係の古い雑誌をめくっていると、倉本氏による『紀伊一ノ瀬銭
   てんまつ記』の中に、「奥熊野鉱山」の名を認め、購入した。

    寛永通宝は、寛永3年(1626年)に鋳造されたのが始まりとされている。明治初年まで、
   240余年間、全国に銭座をもうけて鋳造され、庶民の銭貨として親しまれた。
    寛永通宝の一種に、背面(裏面)に『一』の字を鋳出し、今日『紀伊一ノ瀬銭』と呼ばれる
   ものがある。
    戦後間もなくのころ、この銭が「紀伊」のどこで鋳造されたか、斯界の権威者が調査され
   たが確定できず、長崎鋳造説が有力になり、『紀伊一ノ瀬銭』の愛称も忘れられつつあっ
   たらしい。

    昭和44年(1969年)、倉本氏が和歌山県で偶然「市ノ瀬」の地名に遭遇し、この地がか
   つては「一ノ瀬」と呼ばれていたことを明らかにした。「奥熊野鉱山」で産出した銅をこの地
   で精錬し、和歌山の中の島で寛永通宝として鋳造する際、「一ノ瀬」の銅を使った証(あか
   し)として、裏面(背面)に『一』を鋳出した、と推測していた。

    しかし、科学の進歩は、このようなロマンチックな仮説に対して、ある意味では情け容赦
   なく、疑問を投げかけてくる。日本銀行で所蔵している日本各地にあった鋳銭地の寛永通
   宝に含まれる鉛の同位体の比率を調査した結果、『一ノ瀬銭』は、長崎のものではなく、
   さりとて紀伊で鋳造したものでもなさそうで、生野銀山など西日本の銅で鋳造された可能
   性が高いらしい。

    「(奥)熊野鉱山」、とは、(奥)熊野にあった鉱山という意味のようで、「紀州鉱山」あたりを
   指しているようだ。
    この一帯は、奈良・三重・和歌山の3県が複雑に入り組んだ土地らしい。未だ一度も訪
   れたことがなく、是非とも訪れてみたいと考えている。
    ( 2012年9月 調査 )

2. 『一ノ瀬銭』

    文献で情報を入手すると、その現物・「一ノ瀬銭」を入手せずには気が済まない、困った
   性質(たち)だ。
    東京の骨董市をのぞくと、「一ノ瀬銭」があった。背面(裏面)に、漢字の『一』を鋳出した
   一番分かりやすい手(種類)だ。迷った挙句、思い切って買うことにした。

       
               表                        裏
                       『一ノ瀬銭(背一)』

    「一ノ瀬銭」は、元文5年(1740年)から鋳造が始められた、と文献にある。同時期から
   表面の輪の部分に、○の中に、『一』を鋳込んだり、刻印したものも製造された。

3. 『一ノ瀬銭』紀伊鋳造説

    倉本氏は、次のような点を根拠に「一ノ瀬銭」が紀伊(和歌山県)で鋳造されたと推論
   している。

    ・ 「一ノ瀬」の地名
    「一ノ瀬銭」が紀伊で鋳造されたという説があったが立証できなかった大きな理由が、
   紀伊には、「一ノ瀬」の地名がない、とされたことだ。
    倉本氏が、和歌山県上富田町の「市ノ瀬」を偶然通りかかり、地元のお寺・興禅寺の住
   職に同寺の古い棟札を見せてもらい、そこに「一ノ瀬村」の名を発見したからだ。

    『 上棟  大日本国 紀州牟婁郡
           檪原庄 一ノ瀬村
                元禄三歳     』

    ・ 「鉛山」の旧坑
    「市ノ瀬」には、『鉛山』 の地名があり、そこに古い坑道があるらしい。ここでは、銅は
   わずかで、銀を含む鉛の鉱脈があったらしい。倉本氏の推測では、熊野鉱山で採掘・精
   錬された粗銅は、中辺路を通り、ここに運ばれ、銀と銅に吹き分けられ、鋳銭用の銅がで
   き、これが鋳銭地の和歌山・中の島に送られた。

    ・ 鋳銭の原料銅
    鋳銭の原料銅は、『熊野銅』でなければならない、と幕府に厳しく定められており、熊野
   銅を吹き分けて得た銅で鋳銭したことを明らかにする証(あかし)として、裏(背)面に『一』
   を鋳込んだ、と考えられる。

    倉本氏の推論が妥当なのか、現在の「市ノ瀬」の地図を国土地理院のページから引用
   させてもらい、調べてみた。

    
                     市ノ瀬地図【2012年現在】

    市ノ瀬は、和歌山県田辺市の西、上富田町に属し、地域には、「鉛山」、「鉛山口」、「銭
   岩」など、鉛などの金属鉱物の産出、製錬そして「鋳銭」に関係するような地名がいくつか
   残されている。

4. 『一ノ瀬銭』への科学的なアプローチ

    「一ノ瀬銭」について科学的なアプローチをした文献をインターネットで発見した。『近世
   銭貨に関する理化学的研究』、と題する論文には、−寛永通宝と長崎貿易銭の鉛同位体
   比分析−、の副題がついていることからもお分かりのように、鉛同位体比を測定し、原料
   の産地を推定しようというものだ。
    あわせて、法量(=寸法)を計測し、銭製作面における法量規格の厳格性の度合いや
   原料の1つの鉛の産地と銭座との関係を考察している。

    寛永通宝は、長期間鋳造された銭貨で、法量(寸法)規格の特徴をみると、17世紀前半
   の古寛永鋳造期(第一段階)から、17世紀後半の裏(背)面に、『文(もん)』の字を鋳出し
   た文銭鋳造期(第ニ段階)には概ね一定値を示している。
    18世紀前半の「新寛永通宝」鋳造期(第三段階)には、銭座ごとのバラツキが見られ、
   18世紀後半の鉄銭・真鍮銭鋳造期(第四段階)には、再び統一された。「一ノ瀬銭」は、
   第三段階に当っている。

    一方、鉛同位体比測定から推測される原料鉛の産地は、古寛永通宝鋳造期には主に
   西日本や岐阜県・神岡鉱山などから供給を受けたと考えられる。文銭鋳造期には、対馬
   藩管理下の対州鉱山から一元的に供給された可能性がある。
    新寛永鋳造期以降の原料鉛は、東日本から供給されたとみられるが、これは18世紀以
   降、東日本の鉱山操業が活発化したという記録とも合致する。
    

    ウラン(U)やトリウム(Th)などの放射性元素は、アルファ(α)線やベーター(β)線を
   出しながら崩壊し、最終的には安定な鉛(Pb)になる。
    生まれた鉛は、質量数(=陽子数+中性子数)の違いから、鉛の同位体と呼んでいる。
    安定な鉛には、宇宙が誕生したときからあった質量数が204の鉛204、ウラン238が崩壊
   して生まれる鉛206【ウラン系列】、ウラン235から生まれる鉛207【アクチノウラン系列】、
   そしてトリウム232から生まれる鉛208【トリウム系列】の4つがある。

    
                               鉛の同位体

    鉛同位体の比率には、鉛の原料となった方鉛鉱の産地によってある傾向が見られる
   事を利用し、縦軸に208Pb/206Pb、横軸に207Pb/206Pbをプロットする「A式図」と、縦軸
   に207Pb/204Pb、横軸に206Pb/204Pbをプロットする「B式図」を用いている。これらをつか
   い、弥生時代以降の青銅器の鉛同位体比の変遷を、次のように定義している。

    K:弥生時代に持ちこまれた銅鏡や銅剣などの範囲(朝鮮半島産の鉛)
    W:前漢(BC200年ごろ)時代に中国から持ちこまれた鏡(中国華北の鉛)
    E:後漢(BC25年ごろ)・三国時代(AD250年ごろ)に持ちこまれた鏡(中国華中〜華南の鉛)
    J:日本の方鉛鉱

    「一ノ瀬銭」のA式図とB式図を下に引用する。

       
              A式図                           B式図
                          「一ノ瀬銭」の鉛同位体比

    「一ノ瀬銭」の鉛同位体比は、日本産方鉛鉱”J”であることは間違いないのだが、その
   値は、兵庫県の生野鉱山や明延などの値に近似しており、九州だとすると大分の尾平鉱
   山や宮崎の土呂久鉱山に近いらしい。長崎で鋳造された「長崎銭」とは明らかに分析値が
   違うようだ。
    「一ノ瀬銭」は、紀州鋳造の説があるが、熊野(紀州)銅山産の鉛と比較してみると、近
   似した値とは言えないらしい。紀伊の鋳銭であっても鉛は別の鉱山産を使った可能性も
   にとは言えないが、紀伊鋳造には疑いがもたれるようだ。

    この論文では、同位体の値から、「一ノ瀬銭」の原料は西日本産とするのが妥当と結論
   付けている。

5 .おわりに

 (1) 元素
      たしか、3年ほど前(2009年)の12月、当時はやった新型インフルエンザに息子が罹り
     身重の嫁さんからのSOSで、夫婦して、”執事”と”家政婦”として、一ケ月ほど横浜に
     行っていたことがあった。
      私の役目は、朝夕の犬の散歩と買いもの時の運転手くらいなもので、読書とHPの更
     新が日課になっていた。
      どういうわけか、『元素』について改めて勉強してみようと思い、参考文献 3)にある
     高木先生の本を古本屋で買って読んでみた。

      高木先生は、2011年3月、東日本大震災の地震と津波に伴う福島の原発事故が発
     生するはるか以前の1995年、『核施設と非常事態 ― 地震対策の検証を中心に ―』を
     「日本物理学会誌」に寄稿していた。

      ・「地震」とともに、「津波」に襲われた際の「原子力災害」
      ・「地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合
       には、大事故に発展」するとして、早急な対策を訴える。

      など、今回の福島原発の事故をあたかも予見していたかのようだ。

      この本の中に、次のような「元素」の記述が断片的に頭の片隅にあり、今回読み直し
     てみた。

      Zr(ジルコニウム):原子炉燃料の被覆管として用いられるが、1979年3月のアメリカ
                  スリーマイル島の原発事故では次のような反応が起こり、水素が
                  発生し爆発の恐れがあるとして、付近に住む幼児や妊婦に避難
                  命令がでた。

                  原子炉の冷却水が少なくなり、燃料棒が過熱状態になり、およそ
                  900℃くらいの高温で、水蒸気とジルコニウムが次のような反応を
                  起こした。

                  Zr+2H2O → ZrO2+2H2

                  この反応で大量に発生した水素が大爆発を起こし、放射性物質を
                  福島県内のみならず、東北、関東、甲信越にまき散らしたことは
                  読者の皆様も御承知だろう。

                  『水素の発生・爆発は予見できなかった』、などと寝ぼけたことを
                  東電や御用学者が言っているが、事故の10年以上も前に予測
                  されていたことだ。

       I(ヨウ素)     :ウランやプルトニウムの核分裂によって生じる放射性ヨウ素の
                   一つ、ヨウ素131は、人間の甲状腺に集まる性質があり、内部
                   被曝によって甲状腺がんを発症したり、成長を妨げる原因にも
                   なり、その影響は子どもたちが一番受けやすい。
                   それだけに、影響は深刻だ。

       Cs(セシウム)  :セシウムは私たちの人体にとって欠くことがことができない「人体
                   必須元素」であるカリウム(K)やナトリウム(Na)と同じ、周期律
                   表の1族に属し、性質が似ているところから人体に取り込まれ
                   やすいらしい。
                   半減期30年のセシウム137は、人体に入ると消化器や筋肉に
                   永い間、放射線を浴びせ、ガンや遺伝障害の原因になる。
                   1986年4月に起きたチェルノブイリ原発事故では、高温の炉心
                   から蒸発したセシウムが数千キロも運ばれ、世界規模の汚染を
                   引き起こした。

                   セシウムは、ミルク、チーズ、肉類、果実類、きのこなどに集まり
                   やすい。
                   福島原発事故の後、露地栽培のシイタケから高濃度の放射能
                   が検出された、というニュースをみて、「やっぱり」、と思った。

                   セシウムの厄介なところは、チェルノブイリのセシウムは土壌の
                   表面に残り、なかなか拡散してくれない。そのため、汚染や被
                   曝がそれまで予想された以上に持続し、小児白血病などの増
                   加の原因になっているらしい。

 (2) 鉛について
      今回の「一ノ瀬銭」の主役は、鉛(Pb)だった。すでに紹介したように、ウラン238、ウラ
     ン235、そしてトリウム232といった放射性核種は、次々と放射性核種を経て、最終的
     には安定な鉛に落ち着く。
      鉛のように原子量の大きな元素が安定でいるのは、不思議らしい。ウランやトリウム
     を多く含む鉛と純粋な鉛の同位体比の違いは、今までどれだけウランやトリウムが崩
     壊したかを示す、いわば時計の役割を示すもので、鉛の原料の方鉛鉱がいつ頃でき
     たかを示すことになり、同じ時期にできたものは同じ場所でできたして、産地を絞り込
     んでいこくものらしい。

      私の好きな鉱物の1つに、「天河石(アマゾナイト)」がある。天河石の緑色の発色の
     原因は、鉛とされている。
      私が知っている長野県田立、岐阜県山口村、そして山梨県黒平などの「天河石」産
     地では申し合わせたように放射能鉱物を含む希元素鉱物が採集できる。

     ・長野県南木曽町田立―伝説の天河石―
      (Amazonite of Legend , Tadachi , Nagiso Town , Nagano Pref.)

     ・山梨県甲府市黒平のアマゾナイト(天河石) その2
     ( Amazonite from Kurobera - Part 2 - , Kofu City , Yamanashi Pref. )

     ・岐阜県中津川市のアマゾナイト(天河石)
     ( Amazonite (MICROCLINE) from Nakatsugawa , Gifu Pref. )

      いずれの産地の天河石も外国産のものに比べれば、薄い青緑色だが、放射能鉱物
     が鉛に変化し、鉛の濃度が高くなるに従って濃くなっていくのだろうか。
      半減期が数万年なことを考えると、少なくとも生きている間に確認できないことだけ
     は確かだ。

6. 参考文献

 1) 倉本 修武:紀伊一ノ瀬銭のてんまつ記 収集,書信館出版,1979年
 2) 高木 仁三郎著:元素の小事典,岩波書店,1999年
 3) 斎藤 et al:近世銭貨に関する理化学的研究 -寛永通宝と長崎銭の鉛同位体比分析-
             2000年
 4) 山本 喜一監修:最新図解 元素のすべてがわかる本,ナツメ社,2011年
 5) 八川 シズエ著:元素でわかる鉱物のすべて,中央アート出版社,2011年
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