『 星石 』

1. 初めに

    2012年暮れに、『 「山家鳥虫歌」にみる石と鉱物 』 のページをまとめ、この中で山梨
   県八代(やつしろ)町に『星石』があるらしいが場所がわからない、と書いた。

    ・      「山家鳥虫歌」にみる石と鉱物
     ( Minerals & Stones on " Sankatyoutyuka " , Yamanashi Pref. )

    このページを読んだ石友・Mさんから、『 星石 』 の地図と関連するインターネット情報
   を教えていただいた。

    2013年の正月休みは、16連休で、山梨に帰省しても、帰えってくる子どもたち一家の
   寝場所を確保するため、布団をアチコチ移動する力仕事があるくらいで、手持ち無沙汰な
   日があった。

    そんなある日、『 星石 』 をたずねてみる気になった。地図を見ると「竹居(たけい)」
   地区の近くらしいので、カーナビで出てきた「竹居」地区に行って聞けばわかるだろうと
   安易に考えていた。
    八代町は御坂町、石和町と合併し、今は笛吹市になっている。「竹居」地区に着いて、
   居合わせた人に聞くと「竹居」地区は、旧八代町と旧御坂町にあり、今いるのは旧八代町
   の「竹居」だと言う。

    『 星石 』 の場所を聞いたがわからなかった。旧御坂町の「竹居」地区に行ってみた。
   居合わせた夫婦に聞くと、「ここから道なりに2、300m行って左側にある」、と教えてくれた。

    そこは、「室部(むろべ)公民館」で、屋根の付いた透明ケースの中に『 星石 』が納ま
   っている。
    40〜50cm角、長さ1m弱の自然石の表面に、「北斗七星」や「ハレー彗星」とされる大き
   な流れ星2つ、そして太陽、三日月を始めいくつかの星々が彫り込まれている。

    この石がどのような想いをもった人々によって造られたのか、今となっては知る由もない
   が、不吉なことが起こる前兆とされた「流れ星」の出現、そして消滅を記念して建てられた
   とする説にも納得させられる。

    2013年にも、「流れ星」が到来するらしい、とテレビで報じていた。今年も皆さんにとって
   より良い年にしたいものだ。
情報を寄せていただいた石友・Mさんに厚く御礼申し上げる。
    ( 2012年12月 訪問 )

2. 場所

    「竹居」、という地名をカーナビに入れて探した。現地に着いて聞きこむと、「竹居」という
   地名は旧八代町と旧御坂町の両方にあると知った。後で下に示す地図を見ると、確かに
   2か所ある。隣接しているならまだしも、直線距離でゆうに1kmは離れている。

     
                     「竹居」地図

    あちこちで尋ねた挙句、たどり着いたのは「室部(むろべ)公民館」だった。最初からこの
   場所をたずねれば、苦労せずにたどり着けただろう。
    入口の左側に「竹居地区コミュニティセンター」なる洒落た標識があるが、これが間違い
   のもとで、右側の消えかけた木製の看板にある「室部公民館」を尋ねればよいのだ。

     
                  「室部(むろべ)公民館」

3. 『星石』とは

    室部公民館の入口に、屋根の付いた透明ケースの中に『 星石 』が納まっている。
   右側には1984年に建立された、星石の由来を記した石碑がある。

     
              『 星石 』と由来の碑

    40〜50cm角、長さ1m弱の自然石だ。石質は花崗岩で表面が酸化鉄で薄らと黄褐色
   に色づいていて、甲府盆地東部で産出する「鞍馬石」、と呼ぶものに似ている。

    石の表面に、太陽、三日月と27ケの星が彫り込まれている。尾を引いたように直線状
   に彫られている2つは、「ハレー彗星」でその出現時期と消滅時期を示しているとされる。
    

    石碑の撰文者である中村 良一氏が、「甲斐路」誌に『竹居の星石を考察して』と題する
   論文を発表され、その中に星石の拓本が掲載されているので引用させていただく。

     
                         『 星石 』 

     
                        『 星石 』拓本
                      【「甲斐路」第43号から引用】

    中村氏は、右上の”ひしゃく(斗)の形をしたのは、なじみの深い北斗七星(大熊座の一
   部)、U字形をしたのは、かんむり座、などと比定している。

4. 『星石』のいわれ

    『星石』のいわれを彫った右隣に立つ碑文の内容を石友・Mさんが書いてくれたので引
   用させていただく。

    『             星石のいわれ
      この石碑は日本に一つしかない珍しいも
     ので ハレー彗星物語 甲斐路 四三号 に
     研究発表されている
      文化の発達していない昔は 人々の日常生活も
     農作業も 天体の運行に基づいて行われており
     一道禅道 八百萬神と刻まれた石碑の前に立
     つと 神仏に助けを求めて生きて来た先人達
     の心にふれることができる
      碑面に見える二箇の彗星は 1607年の
     ハレー彗星といわれ その出現と消滅をあら
     わし  悪星退散を祝ってこの星石を作り 山
     伏が立ち会って一種の星祭りをしたらしい
      彗星の詩に「あな恐ろしの極みかな」と詠
     われるなど 昔の人々は天変地妖をことごと
     く 神仏の祟りと信じていたから 星祭りは八
     代郡竹居村土俗の修法がとられたと思われる
     が 明らかでない
      この石碑は高度の天文学・暦学・宗教学に
     よって刻まれ二七〇メートル上手の分水地
     点に祀られていたという
      花鳥山遺跡の麓にひろがる室部組の文化遺
     産として 日本の星石として いまでも後
     世に伝えていきたい

                      撰文  中村良一
                  御坂町 竹居
     一九八四年三月            室 部 組     』

    洋の東西を問わず、星の出現で吉凶を占ったり、農民は種の蒔き時を知ったり、農作物
   の豊作・不作を占ったりした。特に、「彗星」は、不気味なもの、不吉なものの前触れとして
   恐れられた。
    中村氏の論文によれば、彗星の為に元号を改めたのが、989年(寛和:かんな→永祚:
   えいそ)、1106年(長治:ちょうじ→嘉承:かしょう)、1145年(保延:ほうえん→久安:きゅう
   あん)、と3回ある。
    その後、承元4年(1210年)9月、へびつかい座に出現した彗星によって、同年11月、
   土御門天皇が順徳天皇に位を譲っている。

    前回、「ハレー彗星」が出現した1986年2月には、混乱はなかったが、前々回、1910年
   (明治43年)5月19日に彗星が出す毒のシアン(青酸カリ)のガスの尾の中を地球が通り
   抜ける、という予測が発表され、悲喜劇が生まれたらしい。

    さて、『星石』に描かれた彗星を「ハレー彗星」だとすると、いつのころのものを描いたもの
   だろうか。彫刻年代などを特定する手がかりが残されていない上に、地元での言い伝え
   (口碑)も少なく特定するのは困難だ、と中村氏は記している。
    ただ、「むすび」の中で、朝鮮の文献によれば、1607年のハレー彗星は大熊座、牛飼座
   へび座を通って、へびつかい座で消滅した、とあるらしい。そうすると、『星石』の碑面の
   星座と一致しているところから、1607年のものとも考えられるようだ。

    「鉱物採集フィールド」でおなじみの草下 英明氏が執筆した「星座の楽しみ」という本を
   古書店で入手したのを思いだし、検証してみた。
    1607年の「ハレー彗星」は、10月27日に出現したらしい。季節で言えば秋だ。秋の星座
   を草下 氏の本から引用させていただく。

     
                      秋の星座
                 【「星座の楽しみ」から引用】

    これで見ると、天頂近くに「北斗七星(大熊座)」があり、右下に「かんむり」、さらに下に
   「へび」、「へびつかい」、と続く。
    1607年の「ハレー彗星」の出現位置、消滅位置と合致しているように見える。

5. おわりに

 5.1 野暮用その1
     この冬は例年になく寒さが厳しい気がする。正月休みが明け、1月14日には、関東地
    方で大雪になった。当然、自宅のある山梨も大雪だ。
     雪が止んだ翌日、妻からメールが入った。庭の枇杷(びわ)の木が折れて、隣の家の
    物置に被さりそうだという。
     週末を待って山梨に帰り、枇杷の木の枝を伐り払い、畑に運んで枯れるのを待つこと
    にした。
     用事がすみ、翌日、単身赴任先で用事があるため、そそくさと甲府駅に向かった。駅
    前から北方を見ると景色が数年前と一変している。駅の北口にガラス張りの「山梨県立
    図書館」が移転してきたのだ。

      山梨県立図書館

     石友・Mさんからの情報で、山梨郷土研究会の会誌・「甲斐路 第43号」に「星石」に
    関する論文が掲載してあると知り、探してみるため、初めて新しい県立図書館を訪れた。

     「甲斐路」のバックナンバーを見たい、と伝えると、ベテランらしい職員が、「2階の郷土
    資料のコーナーにある」、と教えてくれた。
     そこには、「甲斐路」のほとんどが揃っていた。No43の必要部分を複写依頼し、この
    ページをまとめるのに使わせていただいた。

     折しも、山梨県では、「第28回国民文化祭」(略称:国文祭)が開催されている。「国民
    体育大会」(略称:国体)は、短期間、各都道府県持ち回りで開催されることは皆さま御
    承知だと思う。
     国民文化祭は、”全国各地から、様々な文化活動に親しんでいる個人や団体が集まり
    発表、競演、交流する『日本最大級の文化の祭典』”、と位置づけられているらしい。
     昭和61年から、毎年各都道府県持ち回りで開催され、2013年は、全国初の通年開催
    として、1月12日から11月10日まで、会期303日で開催されているらしい。
     季節、季節で、「冬」、「春」、「夏」そして「秋」それぞれのステージで各種の催しがある
    ようで眼が離せない。

 5.2 野暮用その2
      2012年暮れ、甲府税務署から呼び出しがあった。「あなたの所得は、給与所得でな
     く、事業所得だ」、というのだ。税金には全くの素人のこちらとして何の事かわからない。
      インターネットで調べてみると、給与所得だと所得税は10%だが、事業所得だと20%の
     税率になる。
      税務署からの通達には、「平成○○年から△△年までの所得について」、とある。
     暗算で計算するに、□年間の所得×10%の税金が追徴されることになる。その額は
     ☆☆☆万円だ。
      追い打ちをかけるように、「年金積み立ての利子所得分も納税されていない」、とある。
      「ちゃんと確定申告しているのに」、などとボヤきたくもなるが、”泣く子と地頭には勝
     てない”。

      どう対応すべきか、悩んでいると、”ふと”以前HPにアップしたページを思いだした。

       ・         2011年月遅れGWミネラルウオッチング
        ( Mineral Watching , Jun. 2011 , Nagano Pref. )

      このページの「おわりに」の中で、兵庫県の石友・Nさんの奥さんから頂いた生野鉱山
     の「ハヤシライス」を食べて、単身赴任先のライン移転先の”はつり作業”を行ったこと
     を書いた。

      ”Before”、”After”の写真を見比べた奥さんから、『折れたハンマーは、必要経費で
     計上せなあきまへんな』、というようなメールを頂いたことを思いだした。
      さすが、”関西のオバハン”だ。(失礼!!)

      そうだ、事業所得者には、”必要経費”が認められているのだ。インターネットで”必
     要経費”を検索し、どのような費目が計上できるのを調べてみた。
      当然、働くために必要な山梨と千葉の間の交通費は必要経費だ。それ以外にも、社
     員の教育に必要な書籍代、そして「技術士」として研鑽するため費用なども計上できそ
     うだと知った。
      これらを費目別にエクセルでまとめてみた。合計するとかなりの金額になる。これを
     携えて税務署を訪れた。
      対応した税務官に説明すると、項目によって100%から0%まで査定された。必要経
     費がある程度認められ、追加徴税は☆☆☆万円にはならなかったが、それでも★★
     にはなった。

      収入がなければ、納税もないのだから、当然という思いと、なぜ私のような高齢者に
     まで厳しく課税するのか、という葛藤があったが、健康で働けるから納税しなければ、
     と達観した。ただ、問題なのは、税の使い途(みち)だ。

      税金をまるで自分のお金であるかのように、”大盤振る舞い”して人気を得ようとする
     政治家や官僚に良いように使われたのでは、たまったものではない。

      2012年暮、再び自民党政権が復活した。「建設国債」などと言うが所詮(しょせん)は
     国の借金だ。
      2013年1月、関東の骨董市を巡ると、太平洋戦争真っただ中の昭和18年12月に発行
     した「報国債券」が目に入ったので購入した。他の品と一緒だったので、タダ同然だっ
     た。

      「報国債券」【昭和18年12月発行】

      前年6月、ミッドウェー海戦で手痛い敗北を喫し、この年の4月には山本五十六が
     戦死し、この債券がでた月には「学徒動員」が発令され、多くの大学生が戦場に赴く事
     になった。

      昭和20年(1945年)の敗戦で、これらの債券は”紙くず”になったのだろう。その愚を
     ふたたび国民に押しつけている気がしてならない。

6.参考文献

 1) 浅野 建二校注:山家鳥虫歌 −近世諸国民謡集−,岩波書店,1984年
 2) 浅野 建二校注:人国記・新人国記,岩波書店,1987年
 3) 草下 英明:星座の楽しみ,社会思想社,昭和52年
 4) 中村 良一:甲斐路 第43号 −竹居の星石を考察して- ,山梨郷土研究会,昭和56年


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