南巨摩郡早川町保川の砂金
南巨摩郡早川町保川の砂金
1. はじめに
戦国時代に甲斐甲州軍団を支えた主力金山は、
@塩山北方の黒川金山
A南巨摩郡(当時は河内郡)下部町の湯之奥金山と早川町の保(大金)金山
だったようです。
『金山あるところに砂金あり』、の諺に違わず、早川町では明治時代に職業として
砂金を採掘していたようで、そのあり様が、明治31年の「南巨摩郡地誌」に
描かれていますので、以下に抜粋してみます。
『 金鉱を見んものと保河内川に沿いて上り行く行く。
里人の砂金を採集するを見つつ、大金山に着す。
大金山はもと保の金山と云い鉱慶鉱山。
生木割山、奥黒桂(おくつづら)山はもと
鷹森山と云いて、三百余年前、武田氏の頃より
金をほり取り、近年に至りて盛に工場をおこし
一時其産出すこぶる多かりしが今は中止せりと云う。
吾等は工場の跡を一覧し、山を下りて三里村に入る。 』
大金山の北を流れる保川で砂金が採集できましたので報告します。
( 2002年10月採集 )
2. 産地
「南巨摩郡地誌」によれば、大金山から流れる保河内川で里人が砂金を採集していた
ことになりますが、現在の地図には、”保河内川”は見当たりません。
もう一つのヒントが”山を下りて三里村に入る”があります。
早川町役場で確認すると、三里村は白石集落から北の早川、塩島、新倉、茂倉を含む
地域だったとのこと。
大金山の北を流れ、白石集落で早川に注ぐ支流”保川”があり、これを”保河内川”に
比定し、ここで砂金さがしをした。
保川は、南アルプスの笊(ざる)ケ岳に源を発し、早川に注ぐ川で、川沿いに車が
走れる林道がないため、川沿いの道なき道を上流に向かい、砂金が堆積していそうな
場所を探します。
橋げたの上流側 コンクリート橋上流側
3. 産状と採集方法
砂金は重いので、基盤岩の窪みや障害物の上流側にたまりやすく、ここに溜まった
土砂を篩でフルイ、細かい土砂をパンニング皿に入れ、川の水の中で静かにゆり動かすと
軽い土砂は流れ去り、重たい砂鉄・黄鉄鉱などに混じって砂金が残ります。
最後に、磁石で、砂鉄を取り除くと、砂金だけが残ります。慣れてくると、磁石がなくても
砂金だけを選り分けられます。
( この産地は、磁鉄鉱は全くなく、赤銅色に錆びた黄鉄鉱、硫砒鉄鉱、磁硫鉄鉱などが
多い。)
4. 採集鉱物
(1) 砂金【Placer Gold:Au】
砂金は川床を流動してその姿を変えるため、鱗片状、苔状、板状で産出します。
この産地の砂金は、微細なものがほとんどで、何とか標本になりそうなものは1ケしか
採集できなかった。
保川産砂金【0.3mm】
5. おわりに
(1) 早川町には、保金山のほかに、静岡県との県境に近い、雨畑川上流の雨畑金山など
たくさんの金山があった。
これらも訪れて、別途報告します。
(2) この夏から「砂金採り」を始めましたが、10月に入ると、渓谷の水は冷たくなり
これは夏向きの採集だと、つくずく思います。
帰りに下部川の砂金産地でパンニングし、短時間で最大3mmはじめ、20粒ほど採集できた。
秋の台風で、流れてきたようです。
下部川産砂金【最大3mm】
(3) 今年は、例年より紅葉が早いようで、渓谷の紅葉を見ながら至福の時を過ごすことが
できました。
6. 参考文献
1) 南巨摩郡教育会編:南巨摩郡地誌,南巨摩郡教育会,明治31年