北陸新幹線開業記念     北陸の古典的産地でミネラル・ウオッチング初め        石川県宝達山の蛍石
















                           北陸新幹線開業記念
                  北陸の古典的産地でミネラル・ウオッチング初め

                 石川県宝達山の蛍石

1. はじめに

    2015年1月から2月にかけて念願だった南極でのミネラル・ウオッチングを楽しみ、帰国してからは南極で
   知り合った友人たちとの連絡やホームページの作成で忙しかった。それらが一段落する前に、課外授業でフィー
   ルドを案内したこどもたちの発表会や卒業式に招待され、こどもたちの成長した姿に驚かされた。
    そうこうする間もなく、「MH農園」に行くと、チンゲンサイや白菜の場所は菜の花畑に一変していて、春の農作
   業が待っていた。延べ10日ほどかけて、きれいに耕し、ジャガイモなどの種や夏野菜の苗を植える準備がすっ
   かり整ったのは4月の中旬だった。

    考えてみれば、2015年になって4ケ月も経つのに『2015年採集初め』をしていないのだ。この春北陸新幹線が
   開業したこともあり、両者の中間地点の北陸でのミネラル・ウオッチングに『2014年採集納め』をご一緒した兵庫
   県の石友・N夫妻をお誘いした。

    初日は「宝達山の蛍石」、2日目は「小松市周辺の鉱山跡」という古典的産地を巡る2日間のミネラル・ウオッチ
   ングを計画した。宿の手配は、N夫妻にお願いしたところ、北陸新幹線が開業したこともあって金沢への旅行客
   が80%増えたとテレビで報じていたとおりで、小松駅周辺でも宿が取れず、初めて聞く名前の温泉宿を予約し
   ていただいた。

    初日に訪れた宝達山の蛍石鉱山跡は、ホームページには載せていないが、10年以上前の2004年12月に地
   元の”○三郎さん”に案内していただいたことがあった。

    当時の日記には、この日の模様が次のように記されている。

    『 2004年12月25日(土曜日) 晴れ
      N夫妻、”○三郎さん”と合流。宝達山へ行く。
      雪をかき分けて、露天掘跡へ行き採集。結晶の見えるものはなし。
      恋路海岸へ行く。ピンクのアラレ石多数採集する。・・・・・・・・・・・・ 』

    この時は、「恋路海岸でピンクの霰石」や「子ぶり石」産地も巡るため、1時間ほどの採集時間しかなく、結晶面
   がついた蛍石を採集できていなかったし、坑道にも入らなかったので産状も確認できず、心残りになっていた産
   地だった。

    ナビがついていない二世代前の車で、雪景色の中を走ったので産地入り口の記憶がアヤフヤで、”○三郎さ
   ん”に地図を描いて送っていただくありさまだった。そのお蔭で、たいして迷うことなく見覚えのある場所に到着
   できた。

    まずは坑道入り口のズリを掘り返し、結晶面のある蛍石やきれいな水晶を採集して大満足。その後、坑道に入
   り、「蛍石」脈を追いかけて、私は脈を叩き、女性陣は坑道内のズリで「母岩付き」を採集した。気がつけば13時
   近くで、昼食を食べて、思い残すことなく産地を後にした。
    妻は、「エンレイソウ」などの山野草や「タラの芽」などの山菜を採集し、これまた大満足だ。

       
            「エンレイソウ」                     「タラの芽」

    戻り道、道路の拡幅工事でできた崖と転石を確認すると目聡いN夫人が母岩付き「緑色の蛍石」発見し、そ
   の周辺で私が母岩付き「無色透明な蛍石」を採集し、この辺り一帯に蛍石脈があることを確認できたのも、大き
   な収穫だった。

    北陸道美川ICでおり、今夜の宿「赤穂谷温泉」についたのはまだ日も高い17時だった。この辺りは、銅山跡の
   紫水晶を求めて10回以上来ているはずだが初めて知る”隠れ家”的な宿だ。このような本格的な和風旅館に
   泊まるのは何年ぶりだろう。しかも、この日の客はわれわれだけで、貸切だ。お湯の入れ替えが済むのを待って
   Nさんと風呂に入る。熱めの源泉かけ流しで、今日の疲れを洗い流す。外の露天風呂で記念に”パチリ”。

    
              露天風呂

    風呂の後、18時からお待ちかねの夕食だ。まずは、乾杯!!。宝達山から下山する(実際は急な斜面を登り
   切った)とき、Nさんの携帯が鳴り、「シシ鍋と鴨鍋、どちらにします」と宿から問い合わせがあり、「ひとつずつ」を
   注文しておいた。地元産の食材を生かした料理が次々と出てくる。「鮒(ふな)の洗い」など初めて口にする品は、
   川魚特有の臭みもなくコリコリして美味だった。
    〆は、朝採りタケノコの釜飯と白味噌仕立てのアラ汁をいただき、満腹だ。

       
             「乾杯!!」                      「鮒の洗い」

    私たちの部屋にN夫妻に来ていただき、持参してくれたワインを飲みながら、パソコンや写真を使った「南極探
   検報告会」だ。こうして、楽しい時間を過ごしていたが、久しぶりのミネラル・ウオッチングの疲れもあり、お開きだ。

    気になっていた産地の情報をいただいた”○三郎さん”と、同行いただいたN夫妻に感謝している。
     ( 2015年4月 採集 )

2. 産地

   石川県宝達山の蛍石がいつごろから知られるようになったのか、古い文献を調べてみた。
   (  )は、私の注記。

 文 献 名 著  者 出版年
 (西暦)
  記 述 内 容  備  考
日本鉱物誌(初版)和田 維四郎明治37年
(1904年)
 能登産は淡緑色にして内部は
殆ど透明なるも外面粗鬆なる為め
玲瓏(れいろう:)なり。
 その多くは岩代(大沼郡小松川)産の
如く結晶群生、 O (111)を主體として
∞O∞ (100)の為めに其角を缺(欠)か
れたるものなり。
 然れとも稀に該石の空隙に於て單獨なる
小晶にして透明なるものを産し ∞O2(210)
∞O∞ (100)の聚形を現はすものあり。
 
本邦鉱物標本和田 維四郎明治40年
(1907年)
 第825号及第826号
 第825号は大なる結晶の数個集合せる者
にして、 O の結晶をなし、稜の長さ凡40「ミリ」
に達す。
 O の隅角は ∞O∞ に由て缺けり。色は
淡緑なり。

 第826号は岩石の上に附着せるものにして、
小結晶をなし ∞O2、∞O∞ の面を現し
淡緑色を呈す。
大なる結晶の数個集合せる者
にして、 O の結晶をなし、稜の長さ
凡(およそ)40「ミリ」に達す。

 
日本鉱物誌(第2版)福地 信世大正5年
(1916年)
 能登國宝達山の蛍石は花崗岩中に脈を
なして産す。石英、黄鉄鉱を伴ふ。
 色は淡緑なり。
 普通集合體なれども?(しばしば)良好なる
結晶を産す。其大なるものは径5センチに
達す。
 結晶面は、a 、o、 d 、n、 e にして、2つの
晶相あり。  第一の晶相は、 o を主面とするもの
[第二図、第三図]にして、其形大なり。
o面は普通小個體の集合より成る。
 第二の晶相は、 a を主面とするものにして
[第五図]、形小なり。


            蛍石結晶図

 
地質学雑誌佐藤 伝蔵明治42年
(1909年)

 「能登國宝達山産蛍石」

 ・ 産出の状態
 蛍石は宝達山を構成する角閃花崗岩の
裂罅を充填せるものにして、・・・・・・・・・
 其共生鉱物には石英、黄鉄鉱及錫石
あるも熟(いず)れも甚た少量なりとす。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以下、次のような項目について
詳しく記述してある。

 ・ 母岩
 ・ 蛍石の結晶
 ・ 光学上の性質
 ・ 比重
 ・ 成因
 ・ 応用

 宝達山の蛍石について
総合的に調査・研究した
文献

    明治37年(1904年)の「日本鉱物誌(初版)」に記述があるところから、これ以前に産出が知られていたことは
   確かだ。

    「日本鉱産誌 U」には、『明治年間僅かに稼行 其後放置』、とあるように、産地を見ても、大規模に開発さ
   れた形跡はみられない。

    昭和12年(1937年)、支那事変が勃発し、鉄やアルミニュームの精錬に不可欠な蛍石の需要が急増し、朝鮮
   や中華民国からの輸入だけでは足りず、国内各地の探鉱開発が急速に行われるようになったが、宝達山は、
   対象外だったようだ。

    N夫妻と「免田(めんでん)交差点の北にあるトイレなどもついた駐車場で待ち合わせた。東のほうに、頂上
   付近にアンテナが林立する宝達山(標高637m)が見える。宝達山は能登地方の最高峰で、宝達郵便局の風景
   印のデザインにも取り入れられている。
    10年前に訪れたときには、羽咋郡押水町(おしみずまち)だったはずだが、その3ケ月後の平成17年(2005年)
   3月1日、平成の大合併で志雄町(しおまち)と合併し、宝達志水町(ほうだつしみずちょう)が誕生した。

     
         宝達山を描く「宝達」局風景印
        【特産のイチジクが外形の変形印】

    
                    「宝達山」周辺地図

    ここから、”○三郎さん”に書いてもらった地図にしたがって進む。しかし、一向に見覚えのある場所が見つから
   ない。やがて、「ここまではこなかった」とN夫人が言うように、私も記憶のない場所まで行ってしまった。しかたな
   く、少し戻っては車を降りて確認することを数回繰り返していると、『ここだ!!』、という場所があった。
    10年の月日の経過は恐ろしい。あったはずの目印がなくなり、逆にまわりの木々は大きくなり、雑草にも覆わ
   れ、すっかり見間違ってしまう。
    採集支度をして進むと、何となく見覚えのある場所だ。やがて、『目印』が見えて一安心だ。先行する私の目に
   試掘穴と思われる小さな坑道が見えると産地はもうすぐだ。産地には入ることができる坑道とその前にズリが
   確認できる。

       
                試掘穴                         坑道とズリ

3. 産状と採集方法

    多くの文献には、宝達山の蛍石の産状は、『花崗岩の裂罅を充填する』とある。佐藤の「能登國宝達山産蛍石」
   には、次のようにある。

      『 母岩は、中粒の角閃石花崗岩で、角閃石、黒雲母、石英、正長石及び斜長石よりなり、副成分として
       燐灰石及び磁鉄鉱を含む。角閃石と黒雲母は分解して緑泥質物となり、長石は多少高陵土(カオリナイト)
       化している。肉紅色の長石を有する「ペグマタイト」脈が縦横に花崗岩を貫通する。』

    肉紅色の長石を含む「ペグマタイト」塊は、道路脇の転石でも容易に観察でき、南極でしか見られないものと
   思い込んでいた私には、意外だった。

     
     肉紅色の長石を含む「ペグマタイト」

    また、佐藤は、『・・・・其(石英)の成生の時期は、常に蛍石に先立つものと言わざるべからず。裂罅は不規則
   にして、その走向・傾斜一定せざるのみならず、其幅5mmより10cmの間に変ず』
、とも記している。

    坑道の中の壁には、ヒビ割れを充填する形で、無色〜淡い緑色で、最大幅10cmの蛍石脈が縦に走っている
   のが観察できる。ただ、その母岩には「花崗岩」だけでなく、細かい砂が堆積した「砂岩」もあるのだ。

    そうなると、宝達山の蛍石の成因は、次のように考えるべきではないだろうか。古い時代(第三紀?)の堆積
   岩に宝達山火山の花崗岩が貫入した。貫入時の圧力や性質の違う2種類の岩石は温度変化による伸び・縮み
   の量が違い、その境界付近にヒビ割れ(裂罅)が生まれた。
    その割れ目に珪素塩(SiO2)イオンを含む鉱液が浸入し、石英脈や水晶を作った。この後も新たにできる割れ
   目もあった。その後に、フッ素(F)イオンを含む鉱液が上昇し蛍石が生まれた。
    これらを示す標本として、左の写真の蛍石脈は石英脈を介さず直接母岩に接しているし、石英脈は蛍石を伴っ
   ていない。右の写真の蛍石は水晶の上に成長していて、石英(水晶)の後に蛍石が生まれたことを示している。

        
              「蛍石」と「石英」脈             「水晶」の上の「蛍石」

    ここでの採集は、まず坑道前での『ズリ採集』でスタートだ。熊手を使ってズリ石を掘り出して、四周をチェックし、
   結晶のついているものを取りあえずキープしておく。

     
                 ズリ採集
               【撮影:Nさん】

     2時間近くかけて、ズリ石が少なくなったら、坑道内に入って採集だ。私は、ハンマーとタガネで蛍石脈を
    叩き、母岩付きを狙う。蛍石脈が走っている下には、母岩つきや分離した蛍石が落ちているので、女性陣は
    これを掘り出して採集する。

         
                 蛍石脈を叩く                     坑道内のズリ採集
                         坑道内採集の模様 【撮影:Nさん】

    気がつけばとうにお昼の時間を過ぎている。外に出て暖かな陽射しの中で、昼食をいただく。周りには山野草
   が色とりどりの花をつけ、近くの茂みからは鶯の鳴き声も聞こえてくる長閑(のどか)さだ。

      
                 昼食

    昼食が終わると撤収の準備だ。持ち帰る標本と置いていくものを選別するが、どうしても持って行きたい標本
   が増える。車に戻り、下山する前に、道路の拡幅工事でできた崖と転石を確認すると、目聡いN夫人が母岩付き
   「緑色の蛍石」発見し、その周辺で私も母岩付き「無色透明な蛍石」を採集し、この辺り一帯に蛍石脈があるこ
   とを確認できた。

      
               新産地での採集風景

    佐藤の「能登國宝達山産蛍石」に、『・・・・・宝達山に於て現に露出する蛍石脈は其深さ幾何に達するや知る
   べからざると共に其付近に尚蛍石脈の存在を探求すべき価値あり。然
(しか)れども、其母岩は堅硬なる角閃花
   崗岩にして之を採掘するに困難なるべく随
(したが)って、多くの収益を望むべからざるがごとし。』、とある。

    蛍石脈はアチコチにある可能性が高いが、採掘の困難さや、資源量が多くないことなどが、『明治年間僅かに
   稼行 其後放置』
された理由だろう。

4. 産出鉱物

    佐藤の「能登國宝達山産蛍石」に、産出鉱物について、次のような解説がある。

     『 成因は、弗化錫のガスの噴気作用(Pneumatolysisi)に由りて生じた蛍石は、錫鉱床の特有鉱物として
      電気石、「レピドライト」
(鱗雲母のこと)、黄玉、燐灰石などのフッ素(F)を含有する鉱物と共に産出するを
      常とす。
       宝達山産蛍石は、少量の石英、黄鉄鉱、及び極めて少量の錫石のほか、ほとんど他の鉱物を随伴せず。
      この事実より、宝達山産蛍石の多数は、弗化石灰を溶解した鉱泉の沈殿により生じたものと知ることが
      できる。                                                        』

    宝達山では、蛍石以外には「黄鉄鉱」と稀に「錫石」が採集できるとあるが、今回、次のような鉱物の産出を
   確認できた。

 (1) 蛍石【FLUORITE:CaF2
      白色(透明)と淡い緑色の蛍石が裂罅を充填する形で産出する。脈の太い部分の晶洞や小さい水晶と共
     生する箇所には自形結晶が見られる。
      右の写真の晶洞中央は、 ”a面(100)” が発達した”サイコロ状”、上は 錐面 ”o面(111)” を示す自形結
     晶だ。

         
            砂岩のスキマを充填する脈                晶洞の中の自形結晶
               【脈の厚さ 10mm】
                                 蛍石

      蛍石の特性で興味があるのは、『紫外線での蛍光』ではないだろうか。蛍石には、紫色や黄色などに美し
     く蛍光するものが珍しくないのだが、残念ながら、宝達山の蛍石はミネラ・ライトを照射しても、蛍光しない。

      【訂正】
      「蛍光しない」、としたのは、「短波長の紫外線では」と書くべきだった。このページをアップしてから2週間ほ
     どして、念のため長波長の紫外線で確かめてみると、ピンク色に蛍光することが判明した。
      「蛍」という字をもつ「蛍石」が「蛍光」するのは、当然でしょう、と言われればそれまでだ。

         
               自然光(太陽光)                    長波長紫外線
               【白〜緑〜青色】                     【ピンク石】

      今まで、「蛍光」の確認には、短波長のミネラ・ライトだけを使っていたが、今後はLED方式の長波長ミネラ・
     ライトも併用すべきと深く悔悟している。

         
                  短波長                         長波長
                            2種類のミネラ・ライト

 (2) 石英/水晶【QUARTZ:SiO2
      産地では、長さ数mmの”米水晶”が集合した標本はあるのだが、”水晶”と呼べるものはなかなかお目に
     かかれなかった。ズリで拾い上げた長さ9cmほどの菱形をした石英の塊をみると、最大幅1cmほどの頭付き
     水晶が20本以上一面に成長している標本があった。5cmほどの狭い隙間を充填した石英脈の隙間に
     水晶が成長したもののようだ。この産地としては、満足すべき逸品だろう。

      益富先生が御覧になったら、『共生している水晶のr面、m面がすべて同一の向きなのに疑問をもちたい』
     とおっしゃるだろう。

       
                水晶群晶
       【柱面、錐面からの反射光の向きがすべて同一】

 (3) 黄鉄鉱/武石【PYRITE:FeS2
      引き上げる寸前にN夫人が「MH、この鉱物は何でしょう」、と1つの標本を差し出した。ルーペでみて、真っ
     黒で頭の角度と縦に条線があるところから、「電気石」でしょうと鑑定した。ただ、共生しているサイコロ状の
     鉱物は、「黄鉄鉱」が錆びた「武石」だ。念のため、写真を撮らせてもらった。。
      このページをまとめるにあたり、写真をもう一度良く見直してみたら、頭の所にサイコロ状の「武石」が見え
     これは「武石」だと鑑定し直した。
      黄鉄鉱は、新鮮なもので、花崗岩の中に”金の砂”をまいた様な産状のものを採集した。

          
               「武石」                           「黄鉄鉱」
            【採集:N夫人】

 (4) 白雲母【MUSCOVITE:KAl2(AlSi3)O10(OH)2
      肉紅色長石を伴うペグマタイト部分や粗粒の花崗岩に産出する。面が平坦でなく、湾曲しているのがいわ
     ゆる「ペグマタイト」産地のものとの違いだ。

       
                  「白雲母」

5. おわりに

 (1) 『北陸新幹線開業』
      私たち夫婦にとって2015年初めてとなる今回のミネラル・ウオッチングは、北陸新幹線開業にちなんで、
     『北陸の古典的産地を巡るたび』を計画した。

      金曜日の夕方、甲府を経ち、松本→安房トンネル→神岡(現飛騨市)→富山 に抜けて、22時ごろ北陸道
     にのり、「矢部川SA」に入る。SAの売店には、「北陸新幹線開業」のコーナーが設けられ、ご当地の名産や
     お土産が並んでいる。
      翌朝、SAのレストランが7時に開くと同時に入ると、ここでも「北陸新幹線開業」を祝った特別メニューが並
     んでいる。

          
                   売店                           レストラン
                         「 北陸新幹線開業」コーナー
                              【北陸道矢部川SA】

      山はあっても海なし県から来たことだから、おすすめメニューの「富山の恵(めぐみ)定食」を妻が、私は「の
     ど黒の海鮮丼セット」をいただくことにした。

          
                 「富山の恵定食」                  「のど黒の海鮮丼セット」

      のど黒(アカムツ)が高級魚だ、とは知っていたが食べるのは初めてだった。白身でありながら、脂がのっ
     た一切れを噛むと濃厚な旨(うま)みが口中に広がる。”白身のトロ”とはよく言ったものだ。これだったら、
     ご飯を大盛り(無料)にしてもらえば良かった、と後悔するMHだった。

      こうして、シッカリ朝食を食べて、N夫妻との集合場所へと向った。

      さて、宝達山でのミネラル・ウオッチングに満足して、森本ICから北陸道に入り、今夜の宿を目指した。いつ
     も利用する小松IC近くか小松駅周辺のホテルをN夫妻が探してくれたのだが、「北陸新幹線開業」の影響で
     どこも一杯で、「ハニベ」近くの温泉旅館を予約してくれていた。

      北陸道を走るとき、休憩したり、ときには食事をして、お土産を買うのが恒例になっている「徳光ハイウェー・
     オアシス」に寄った。土曜日だが、以前に比べて客が特に増えた印象はない。お店の人に、「新幹線が通っ
     てお客は増えましたか」、と聞いてから、場違いな質問をしたことを恥しく思った。お店の方から、「それほど」、
     という答えが返ってきた。

      北陸も日本の縮図のようなもので、良いのは一部で、その恩恵が遍(あまね)く行き渡っていないようだ。

      北陸道を「美川IC」でおり、今夜の宿「赤穂谷温泉」についた。この辺りは、遊泉寺銅山跡の紫水晶を求め
     て10回以上来ているはずだが初めて知る”隠れ家”的な宿だった。ナビに出てくるのだが、その案内どおりに
     行くと行き着けない、という不思議な宿でもあった。
      長屋門をくぐって車を入れ、玄関に入ると敷地、建物共に広い。創業100余年というから、明治末、遊泉寺
     銅山の最盛期からの老舗旅館だ。
      「昔、このあたりに銅山がありましたね」、と仲居さんに尋ねると、「谷一つ向こうです」、という。温泉は源泉
     かけ流しの「単純泉」だがPHは8.2とアルカリ性だから、いわゆる”美人の湯”だ。

          
                  入り口                           源泉
                             「赤穂谷温泉旅館」

      ” 人よし、お湯よし、味もよし ” の一軒宿で、豊富なお湯で疲れを癒し、美味しい料理に舌鼓をうち、
     N夫妻と楽しく談笑しているうちに、北陸の夜は更けていった。

6. 参考文献

 1) 和田 維四郎:日本鉱物誌(初版),東京築地活版製造所,明治37年
 2) 和田 維四郎:本邦鉱物標本,東京築地活版製造所,明治40年
 3) 福地 信世:日本鉱物誌(第2版),丸善,大正5年
 4) 門田 重行:蛍石及蛍石鉱床,共立出版株式会社,昭和18年
 5) 伊藤 貞市、桜井 欽一:日本鉱物誌(第3版),中文館書店,昭和22年
 6) 日本鉱産誌編纂委員会編:日本鉱産誌 U,東京地学協会,昭和26年
 7) 益富 寿之助:鉱物 −やさしい鉱物学− ,保育社,昭和60年
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