岐阜県白川村平瀬鉱山の輝水鉛鉱

         岐阜県白川村平瀬鉱山の輝水鉛鉱

1. 初めに

   「加賀・能登の鉱物を訪ねて 第2弾」の採集が終わり、遊泉寺で解散した後
  妻が「何年か前に五箇山で食べた固い豆腐を食べたい」と言うので、五箇山を
  回って、高山、安房峠を抜けて甲府に帰ることにした。
   富山県から岐阜県に向かう国道156号線沿いに、輝水鉛鉱で有名な平瀬鉱山が
  あることを思い出し、立ち寄ってみた。
   車の中から旧坑口が見え、ズリまで歩いて1分もかからない”産地横付け”の
  場所である。しかし、暑い上に、ズリは夏草やつるに覆われ採集意欲が低下し
  短時間に母岩付き2ケ、分離品1ケを採集して引き上げた。
   帰宅後、石川県のYさんに今回の採集案内のお礼とともに平瀬、六厩に立ち
  寄ったことをメールで知らせると、平瀬鉱山では希元素鉱物も採集できる筈だとの
  教えていただいた。早速「日本希元素l鉱物」をひもとくと、閃ウラン鉱などが
  採集できるとある。
   ここは、ズリの草が枯れた秋か春先なら、女性や子どもでも簡単に輝水鉛鉱を
  採集でき、次回採集会の候補の1つと考えています。
  (2005年7月採集)

2. 産地

   白川村平瀬小学校の北側の庄川にかかる橋を渡って左に曲ると、すぐ右側に
  玉石とコンクリートで塞がれた「旧坑口」があり、2本のパイプから冷たい(冬は
  暖かい?)水がコンコンと湧き出しています。
   この前の草が繁った一帯が産地です。
   詳細は「東海 鉱物採集ガイドブック」に記載されています。

         
           旧坑口                ズリ
                   平瀬鉱山跡

3. 産状と採集方法

   「日本鉱産誌」によれば、平瀬鉱山の輝水鉛鉱は、花崗岩に貫入した石英脈に伴い
  石英脈の一部はペグマタイト質に移行している。鉱石品位は平均0.2〜0.5%MoS2と
  低いが、しばしば1〜10%に達し、古くよりわが国有数のモリブデン鉱床として知られて
  きた。
   1941年(昭和16年)に開発され、1942年(昭和17年)より、150トン/日採鉱した。
   浮選場があったとされますが、その跡は確認できません。もしかしたら、現在平坦部
  になっている場所だったかも知れません。その一段高い場所に、貯鉱場があったと
  考えられ、そこがズリになっているようです。
   ズリを掘って、石英脈を含む花崗岩を探せば母岩付きが得られ、土砂に混じって
  分離した結晶が落ちています。

4. 産出鉱物

 (1)輝水鉛鉱【Molybdenite:MoS2】
     銀黒色、アルミノが積み重なったような形で石英脈の中に産出する。「日本の鉱物」に
   掲載されているように、自形結晶は六角厚板状であるが、ズリにあるものは、それらが
   ”ズニャグニャ”に折れ曲がって周辺部がカールしているものがほとんどである。
    母岩付きには、花崗岩に挟まれた石英脈に胚胎する模式標本も得られる。
    

           
          母岩付き                分離結晶
                    輝水鉛鉱

 (2)このほか、少量の黄鉄鉱、まれに閃亜鉛鉱や自然蒼鉛、さらに閃ウラン鉱などが
    産するとの文献情報もありますが、短時間では採集できなかった。
    ペグマタイトに伴う水晶(まれに紫水晶)も産するとの情報もあります。

5.おわりに 

 (1)白川村には、同じように輝水鉛鉱を採掘した「馬狩(まかり)鉱山」があった、と「日本
    希元素鉱物」にあります。今回は時間の都合で訪れることができなかったが、次回は
    訪れてみたいと考えています。
     ここは、ズリの草が枯れた秋か春先なら、女性や子どもでも簡単に輝水鉛鉱を
    採集でき、次回採集会の候補の1つと考えています。

 (2)五箇山を通ったのは朝早い時間だったのですが、朝が早い豆腐屋さんは店を開いており
    「固い豆腐」を試食することができた。
    固い豆腐は、クーラーで持ち帰ることもでき、日持ちのする豆腐の燻製はビールや
    ワインのつまみに最適です。

6.参考文献

1)日本鉱産誌編纂委員会:日本鉱産誌 T−C  鉄・鉄合金および軽金属
                 東京地学協会,昭和29年
2)長島 乙吉・弘三:日本希元素鉱物,長島乙吉先生祝賀記念事業会,昭和35年
3)益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂出版,1994年
4)名古屋鉱物同好会編:東海 鉱物採集ガイドブック,七賢出版,1996年
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