河津鉱山桧沢坑のテルル鉱物

河津鉱山桧沢坑のテルル鉱物

1.初めに

2003年新春鉱物巡検の旅で河津鉱山を訪れたが、私は子ども達を中心とする
グループと一緒に、大沢バス停周辺の安全な場所で行動したので、テルル鉱物の
本格的な産地である”桧沢坑”と”大沢坑”は訪れることができなかった。
 今回、河津鉱山に詳しい石友のMさんに、”桧沢坑”と”大沢坑”を
案内してもらい、念願の「自然テルル」と「テルル石」を自力で採集できた。
 前日の山梨県地方は、この冬一番の降雪で、伊豆へ行けるか心配でしたが
富士川沿いの国道52号線は積雪・凍結もなく、無事行くことができた。
 河津鉱山では、千葉県の石友、Yさん一家とも合流でき、春のうららかな陽気の中
楽しいミニ採集会となった。
 案内していただいたMさんに、厚く御礼申し上げます。
(2003年3月採集)

2.産地

「日本鉱産誌」によれば、河津鉱山は、蓮台寺地区にあることから、蓮台寺
鉱山とも呼ばれ、伊豆半島の古い金銀山が16世紀末〜17世紀初頭の慶長年間に
稼行されたことから、河津鉱山もその頃から始まったものと思われる。
 大正初期から、(株)日本鉱業の手で、金銀鉱(銅を含む)のほかマンガン鉱を
採掘したが太平洋戦争中は、銅鉱(金銀鉱を伴う)に主力を移し、かつ浮遊選鉱場
(能力2,000t/月)では中国産の蛍石や伊豆仁科産明礬石の浮選処理が行われた。
 戦後、再び金銀山として復活し、採掘〜浮選が行われたが、やがて規模が縮小され
浮遊選鉱場は1952年に解体・撤去された。
河津鉱山には、桧沢(ひのきさわ)、猿喰(さるくい)、掛橋(かけはし)大方
(おおかた)の主力鉱脈があり、それぞれ幅30cm〜2m、長さ600mに及ぶ
含金銀粗鬆質石英脈からなりそれに相当量のマンガンを随伴した。
日立鉱山の分析結果では、各主要鉱脈の分析結果は、次のようになっています。
            単位:%
鉱脈CuFeAl2O3MnBiTe
桧沢0.032.636.760.060.111.18
猿喰0.332.8810.730.05nd0
掛橋0.071.804.087.52nd0


           河津鉱山鉱脈分布図

 昔、選鉱場があったとされる「大沢口バス停」から更に300mも行くと、小さな橋が
あり、この手前の空きスペースに駐車する。
 橋を渡ると左に入る「桧沢線」があり、ここを50mも行くと右手に入口を塞いだ
坑口跡があり、コンコンと水が湧き出している。
 この山の急斜面一帯に、坑口跡、露頭、ズリが広がっており、ここが産地です。
桧沢坑口跡

3.産状と採集方法

 桧沢鉱脈は比較的細い脈であったが、脈質が陶器に似た外観が滑らかで極めて
緻密な独特の白色石英脈にテルル金を伴っている。
 上記の分析結果からも分かるように、テルルが採集できるのは、桧沢周辺に限られます。
 加藤武夫や渡辺万次郎の研究では、陶器様に見える脈石は、微細な石英粒と
ルベリーライト【Leverrierite:Al2O3・3SiO2・3H2O】の鱗片の密に混じった物で
それが一度破砕されたところに、テルル金を含んだ鉱液が上昇し、金を含んでいない
粉々になった石英塊片の縁を溶かして、これを取り囲むようにテルル金銀鉱の被殻を
形成した。
*:カオリナイトと少量のイライトの混合物

     模式的テルル鉱
【石英をテルルが取囲む・黄色は微細なテルル石】

 テルルの酸化物であるテルル石の微細なものが脈石を黄色に染めているので
これが1つの目印になる。
 採集方法は、ズリや露頭で陶器様脈石を探し、表面が黄色になっていたり
銀白色〜黒色のテルル鉱物が”シミ”のように付いているものを探して、表面
特に晶洞部を時にはルーペでジックリ観察し、小さくなるまで割りながら探します。
桧沢でのYさん一家

4.産出鉱物

(1)自然テルル【Tellurium:Te】
銀白色をした粒、あるいは冊子状の集合体でテルル蒼鉛鉱と自然テルルからなり
稀に自然金がこれに伴う。
 分析する手段がないので断定できませんが、平坦な劈開面をもつ部分は
テルル蒼鉛鉱ではないかと思っています。
自然テルル
(2)テルル石【Tellurite:TeO2】
 テルル鉱床の酸化帯に産する斜方晶系の2次鉱物で、石英の晶洞の中に
輝きの強いオレンジ色の薄板状結晶で産する。晶洞部分に”キラリ”と光るのが
特徴です。
 色が透明に近いものもありますので、注意が必要です。
テルル石
(3)パラテルル石【Paratellurite:TeO2】
 テルル石と同じ組成で結晶系が正方晶系というる点が違う、いわゆる同質異像の
関係にあります。
パラテルル石は、真珠のような光沢があるのがテルル石との大きな違いです。
パラテルル石

5.おわりに 

(1)Yさんの奥さんと息子の”博士君”は、晶洞部に”テルル石”が付いたなかなか
  良い標本を、いとも簡単にズリで採集しました。
  色々な産地で、そこの目玉標本が置き忘れられている(?)ことがあり、何故なのか
  推理してみました。
  @確信的
   あることは分かっているが、自分の探しているサイズに満たない、あるは既にそれを
  凌ぐ良品を採集したので、次に来る人(特に初心者)のために取り残しておいてくれた。
  A不可抗力
   よく経験する事ですが、硬い母岩を割った拍子に飛んで行方知れずになってしまった
  片割れに良品がついていた。
  B不作為(無知・無欲?)
   貴重な標本であることを知らない、あるいは知っていても自分の収集対象外なので
  割って一瞥しただけで、そのままにした。

   早く、@のレベルに到達したいものです。

(2)桧沢の産地の下には道路があり、落石は道路まで達することがあります。
   また、斜面の上の方には、安全金網の張っていない深さ10m以上の竪坑がポッカリ
   口を開けています。万一、子どもなどが落ちたら大事になりますので採集に当たっては
   充分注意しましょう。

6.参考文献 

1)日本鉱産誌編纂委員会編:日本鉱産誌T-a,東京地学協会,昭和30年
2)加藤昭:二次鉱物読本,関東鉱物同好会,2000年
3)地団研地学事典編集委員会編:地学事典,同会,昭和45年
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