平城宮跡資料館を訪ねて









             平城宮跡資料館を訪ねて

                 ( Visiting Nara Palace Site National Museum )

1. はじめに

    2016年11月、奈良国立博物館での「第68回 正倉院展」に展示された「アンチモン塊」を鑑賞し、奈良
   中央郵便局臨時出張所記念カバーを作成、今回の寧楽(なら)への旅の目的は半分以上達成した。

    午後は予定通り、平城京跡跡から出土したペルシャ人役人の名前を書いた木簡を鑑賞すべく「平城宮
   跡資料館」で開催されている「地下の正倉院展」を訪れた。
    ( 2016年11月 見学 )

2. 「平城宮跡資料館」へ

    奈良市街はかつての都だけあって、東西南北の条里制に則(のっと)って道路が作られていて、大宮通りを
   西に行けば、右手に朱雀(すざく)門、その奥(北)には平城京で最も重要な大極殿(だいごくでん)が見え
   てくる。ただ、何もない原っぱのような場所に真新しい朱塗りの建物がポツ、ポツと建っているのはある意味で
   異様な風景だ。

         
                 奈良時代                         現在(2016年)
                               平城京今昔

    朱雀門の先で右折し、1キロも直進すると右側に「平城宮跡資料館」がある。入口がわかりずらくてウロウ
   ロした。東西に走る道路まで出て、ロータリーを”外廻り”で右折し、100mも走ると入り口だ。

         
               ロータリーの標識                      「平城宮跡資料館」
        【自動車学校の教習本で見て以来!?】

3. 「平城宮跡資料館」鑑賞

    平城宮跡は奈良文化財研究所が昭和34年(1959年)から毎年計画的に発掘を行っており、その成果を
   解りやすく展示する施設が2010年にリニューアル・オープンした「平城宮跡資料館」だ。その展示内容は、

    ・ 平城宮跡の歴史と発掘調査のプロセス
      ガイダンスコーナー
    ・ 役所と宮殿の内部を実物大で再現
      官衙(かんが)復元展示コーナー、宮殿復元展示コーナー
    ・ 発掘調査の出土品展示
      遺物展示コーナー
    ・ 文化財の科学的な研究紹介
      考古科学コーナー、模型展示コーナー
    ・ 企画展示
      企画展示室

    年に数回企画展が開催されるが、「正倉院展」と時を同じくして秋に行われる特別展は「地下の正倉院
   展」と銘打っている。

    順路に従って展示を観ていく。ここはフラッシュを使わなければ撮影オーケーだ。

      
                               館内案内
                       【「平城宮跡資料館」パンフより引用】

3.1 平城宮跡の歴史と発掘調査のプロセス
    中学生に戻って、もう一度歴史のお勉強だ。平城京に都が移された710年から長岡京に都が移る784年
   までの75年間が「奈良時代」だ。聖武天皇が740年から745年まで恭仁京(くにきょう)や難波京(なにわきょ
   う)に都を移す。この前後で平城京の宮殿や役所は場所が替わり、建物も造りかえられた。

         
                         平城京の変遷

    現在復元されている大極殿は奈良時代前半のものだ。内裏(だいり)や多くの役所でも奈良時代の間に
   何度も造り替えが行われている。建物が老朽化したからではなく、他に理由があったと考えられる。

     平城宮跡の発掘調査は1959年に始まり、その調査のプロセスがジオラマを用いて説明している。永年
    考古学発掘調査に携わってきた妻にとっては懐かしい展示コーナーだったようだ。

         
               ガイダンスコーナー                         「発掘」
                                            表土を剥がした後、人力で
                                            慎重に遺物や建物穴などを
                                            掘り出す。

         
                  「実測」                            「整備」
          遺物や遺構の平面・断面図を作成        通常は埋め戻されるが、ここでは建物等を
          図面をもとに調査報告書を作成          復元して遺跡公園として整備

3.2 官衙(かんが)復元展示コーナー
     ここには、平城京内にあった役所の様子を再現している。律令制では二官八省(にかんはっしょ)と呼ば
    れる役所が置かれていた。
     二官とは政治全般を統括する太政官と宮中の祭りや全国の神社を統括する神祇官(じんぎかん)であ
    る。太政官の下には、式部(しきぶ)省、大蔵省など8つの省があり、それぞれの下には職(しき)・寮(りょう)・
    司(し)という名の部局が置かれていた。平城宮にはこれらの役所の建物が配置され、約7,000人が勤務し
    ていた。

         
               役所の勤務風景                         机の上

     当時の役所は大陸(中国・唐)の影響を受けて現在と同じように机を前にして椅子に座って勤務してい
    た。机の上には貴重な紙の代用をした「木簡」が置かれ、間違い箇所や不要となった木簡の文字を削り
    とって再利用するため刀子(とうす:ナイフ)が置かれ、削りくずが散らばっていた。硯(すずり)ですった墨を
    筆に含ませて木簡に文字を書いた。

         
                   記録                            再利用
                                木簡の使われ方

     木簡に書かれた記録は、紙に書き写されて「上申書」などとして上級役所に提出されるものもあった。

      
              紙の文書に書き写す

3.3 宮殿復元展示コーナー
     天皇や皇族が暮らしていた宮殿を再現している。現在わたしたちは、当時の天皇や皇族よりも物質的
    には恵まれた生活をしていると言えそうだ。

      
                  宮殿での執務・生活復元

3.4 遺物展示コーナー
     ここには発掘調査で出土した遺物が展示してある。その主なものは「木簡」「木器・金属器」である。

         
                  「木簡」                        「木器・金属器」
                              遺物展示コーナー

     「木簡」は企画展で展示されているので、ここで興味を惹かれたのは鉱物から造られる「金属」製品、とり
    わけ奈良時代の貨幣だ。
     銅などの金属を坩堝(るつぼ)に入れて、鞴(ふいご)と呼ばれる送風器で風を送りながら炭火を熾(おこ)
    すと比較的容易に溶かすことが出来る。鉛やアンチモンなどを加えることによってより低い温度で溶かすこと
    ができる。
     平城宮跡からは鞴の羽口(はぐち)、坩堝、そして高温になった物体をつかむ火挟み(ひばさみ)、そして
    鉱滓(スラグ)が出土している。鉱滓は金属を溶解・製錬する際などに不純物が溶融したもので、この場
    所で金属精錬も行っていた可能性がある。
     ここには「正倉院展」にも出品されていた「ベルト金具」などの金属加工を行う工房のようなものと、溶か
    した金属を型に流し込んで貨幣を鋳造する「鋳銭司」のようなものがあった。型、そして「鋳棹(いざお)」と
    呼ぶ溶けた金属の通り道、そして未完成(不良品)の貨幣などが出土している。

         
                  「坩堝」                     貨幣の型・鋳棹・未完成品

     完成した「和同開珎」と「萬年通宝」が展示してある。萬年通宝は天平宝字4年(760年)、和同開珎
    の後に造られた貨幣だ。和同開珎が発行され流通しはじめるとすぐに私鋳銭(偽造銭)が横行し、発行
    翌年の和銅2年1月に「私鋳銭取り締まりの詔(みことのり)」が出されるほどだった。
     私鋳銭横行に手を焼いた時の政府は新しい萬年通宝を発行して対抗した。萬年通宝は和同開珎より
    一回り大きいが新銭1枚に対し和同開珎10枚の交換比率だったことから見ると改鋳による利益を狙ったも
    のとみなされる。
     貨幣の価値が落ち、物価が上がるインフレになるだけでなく、国家の威信を傷つけ、奈良朝の終焉を招
    く一因になる。

         
                「和同開珎」                         「萬年通宝」

3.5 企画展示室
     平成28年度 秋期特別展「地下の正倉院展」は、『式部省木簡の世界 −役人の勤務評価と昇進−』
    が開催されていた。

     式部省は当時の役人の勤務評定と人事を主に担当していた。奈良時代の初めは文官・武官の人事を
    一手に引き受けていて、当時の長官は長屋王だった。後に左大臣として政権を担う長屋王がトップだった
    ことと式部省の権限が強かったことは無関係ではないだろう。

     平城宮跡で最初の木簡が見つかってから5年後の1966年、平城宮跡東南隅にある区画から13,000点と
    いう膨大な量の木簡(95%が削りくず)が発掘された。近鉄奈良線のすぐ南側の区画で、当時周りには
    水田が広がっている湿地帯で、この環境が1,200年以上木簡を保存するのに大いに役立ったようだ。

         
               木簡の出土位置                         発掘状況

     発掘された木簡のほとんどが役所に勤務する文官でしかも六位以下の下級役人(五位以上は貴族)の
    勤務評定に関するもので、大半が天平神護年間から宝亀元年まで(765年〜770年)までのものだった。

     これらの木簡の中で興味深いものをいくつか紹介する。

 (1) ペルシャ人役人
      第一番目はこれを見たさに奈良まで行った木簡だ。式部省に属する役所の一つ大学寮(役人の養成
     機関)から宿直担当者を報告する木簡だ。この木簡が発見された場所から北東に70mのところから、鼻が
     高いペルシャ人を思わせる顔が描かれた木簡が出土している。

         
           ペルシャ人役人が書いた木簡          ペルシャ人を思わせる似顔絵のある木簡

      大学寮の員外大属(いんがいだいさかん:定員外の特任の第四等官)である破斯(はし)清道が上級
     官司の式部省に宛てて書いた宿直担当者を報告(予告?)した木簡だ。天平神護元年(765年)
     [正]月24日とある。一人で宿直したとは考えにくいから、担当責任者としてだろうか。

      ”破斯”は”波斯”と同じで、ペルシャ(今のイランを中心とする地域にあった古代西アジアの国)を意味
     する。官職名の後にある破斯は氏(うじ)名だから出身国を氏(うじ)名にしていたと思われる。若いころ、
     埼玉出身の高麗(こま)さんという人と仕事でご一緒したことがあるが、御先祖は渡来系だと聞いた。それ
     と同じなのだろう。
      木簡に書かれた漢字は昨日今日渡来した人の手とは思われず、渡来したペルシャ人の子孫なのかも
     知れない。平城京にやってきたペルシャ人としては、天平8年(736年)に帰国した天平の遣唐使とともに
     来日した李密翳(りみつえい)がいるがその子どもの世代だ。李との関係は定かではないが、外国人が
     8世紀後半の古代日本の役人社会に定着して活躍している様子がうかがえる。

      遣唐留学生として唐に渡り、科挙に合格し、その地で役人になり諸官を歴任して高官に登った日本
     人の阿倍仲麻呂(あべの なかまろ、698年〜770年)も国は違っても同じ頃に活躍した人だ。

 (2) 難しかった昇進
      式部省木簡の多くは下級役人の勤務評定で、しかも削りくずが多かったことは先に述べた。下級役人
     の勤務評定には2種類あった。
      1つは、毎年の評価で、考課、略して「考」と呼ぶ。常勤か非常勤か、京官(きょうかん:さしずめ本省
     採用)か外官(げかん/がいかん:地方採用)によって、4種類に区分されていて、評価の対象になるには
     年間の出勤日数が一定以上なければならなかった。評価もこの4つの区分によって、3段階(上中下)と
     9段階(上上〜下下)のものとがあった。
      もう1つは、毎年の評価を一定年数分総合して位階の昇進を決めるもので、選叙(せんじょ)、略して
     「選」と呼ぶ。
      これらの勤務評価をあわせて「考選」、そのための木簡を「考選木簡」と呼ぶ。

      何年分を通算して評価するかは役人も身分で決まっていたが、下級役人の場合、少なくても6年は
     必要だった。6年間大過なく勤め、「中」か「中中」の評価をもらい続けて初めて位階が昇進する。
      当時の位階は最下位の「少初位下(しょうそいげ)」から最上位の「正一位」まで、30階だったが、「無
     位」からスタートするので、30年大過なく勤めても5階上がった「従八位下」に到達するのがやっとだった。
     多くの下級役人にとって、 「五位」以上など、まさに”雲の上”だった。

      
           位階昇進のしくみ

      しかし、世の中のしくみは不公平だ。誰もが「無位」からスタートするのではなく、高位高官の子や孫
     には「蔭位(おんい)の制」による特典があった。皇族でない臣下でも一位の嫡子は従五位下、以下
     逓減して・・・・・・・従五位の嫡子は従八位上からスタートになる。腹違いの庶子は一階下、孫は
     さらに一階下、というルールだが、無位からスタートした下級役人が生涯かけて届くかどうかという階から
     貴族の子や孫はスタートするのだ。

      さらに、『地獄の沙汰も金次第』、といわれるように役人の世界にも出勤日数をお金で買う「続労銭
     (しょくろうせん)」、別名「資銭(しせん)」と呼ばれる抜け道があった。
      勤務評定の対象になるには一定の出勤日数が必要だったが、500文(和同開珎500枚)の銭を収める
     ことでこれに代えることができた。銭に付けた「付札(つけふだ)」がまとまって出土していて、対象者が少な
     くなかったことを示している。労働者1日分の日当が1文だったから相当な額だが、資力のある者にはこう
     した抜け道も用意されていた。

      下級役人とは言ってもその身は必ずしも安泰ではなかった。天平宝字8年(764年)9月の藤原仲麻呂
     (恵美押勝:えみのおしかつ)の乱後の措置として、仲麻呂に与(くみ)したかど(理由)で、除名(じょみ
     ょう:役人の名簿から削除するの意味で、罪を犯した役人の位階や勲位を6年間全てはく奪する刑)に
     処されたことを示す削りくずが出土している。

             
            「続労銭伍百文」                「仲万(麻)呂支党除名」

3.6 文化財の科学的な研究紹介
     ”石器のねつ造事件”の反省もあってあだろうか、考古学の世界にも科学的な手法が取り入れられ始め
    ているようだ。
     木簡に書かれた不鮮明な文字も赤外線で撮影することで読み取ることができるようになった。蛍光X線
    分析で出土品の化学組成を分析手法を説明するコーナーに、いろいろな鉱物に紫外線を照射して蛍光
    の色に違いがあることを示す例の仕掛けがあった。

      
                       自然光
      
                       紫外線

4. 「飛鳥資料館」を訪ねて

    平城宮跡資料館の見学を終え時計を見ると14時だった。昔奈良にきたときに「富本銭」のレプリカを買った
   ことを思い出し、ミュージアムショップで尋ねると売っていなかった。そのかわり、「車で1時間くらいのところにある
   飛鳥資料館で売っています」、との情報を得たので明日香村まで行ってみることにした。
    奈良市中心部に戻るように走り、奈和道路の試供区間に入るとビュンビュン飛ばしている。すると、どこか
   らともなく1台のパトカーが現れ、先導してくれる形になった。おかげで順調に走り、1時間どころか30分ほどで
   飛鳥資料館に到着だ。
   ( 石友・Yさんがパトカーの手配までしてくれたとは思えないが・・・・・)

         
               パトカーの先導                        「飛鳥資料館」

    久しぶりなので資料館の見学もしたかったが、この日は岐阜県恵那のホテルのチェックイン時間に間に合せ
   なければならず、次回ということにしてミュージアムショップで「富本銭」のレプリカを買って奈良を後にした。

      
               出土品風             伝世品風
                      「富本銭」のレプリカ

5. おわりに

(1) 和紙と墨はエライ!!
     「正倉院展」でみた文書、「平城京跡資料館」で見た木簡、いずれも和紙や木片に墨で書いてあった。
    書かれてから1,200年前後経っているとは思えないほど”墨痕鮮やか”で、和紙と墨は人類が発明した品々
    の中でも、特筆すべきものだろう。

     文字の発明と相まって、当時の社会の出来事を国家レベルから個人レベルまで文字記録として後世に
    伝えてくれている。
     ペルシャ人を思わせる外国人風の人物像を”落書き”した人は、1,200年後に再び陽の目を見るとは思
    っていなかったはずだが、これによって当時の日本に外国人が定住・活躍していたことを知ることができる。

     由なしごとを書き連ねている私のHPだが、これからも書き続けていくつもりだ。

6.参考文献

 1) 奈良文化財研究所編:地下の正倉院展 造酒司木簡の世界,同研究所,2015年
 2) 松原 et al :鉱物の博物学,秀和システム,2016年
 3) 奈良国立博物館編:第68回 正倉院展図録,天理時報社,2016年
 4) 奈良文化財研究所編:地下の正倉院展 式部省木簡の世界,同研究所,2016年
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