群馬県萩平鉱山の鉱物

1. 初めに

   群馬県東村の萩平鉱山は、「マンガン重石」をはじめとする各種のマンガン鉱物や
  自然金などが産出する、との情報で、大勢が押しかけた産地の1つである。1990年6月
  には、「鉱物同志会」の採集会も行われた。
   私が、ここを初めて訪れたのは、1999年9月で、このとき、5mmほどの「パイロ
  ファン石」を採集しただけであった。
   さらに5年後の2004年9月、兵庫県の石友・Nさん夫妻と訪れ、Nさんが「ホセ鉱?」を
  採集したのが2回目であった。それぞれの様子は、HPに記載したとおりである。
   東京の石友・Mさんから「萩平鉱山で”コサラ鉱”の良品を採集した」とのメールをいた
  だき、いつか案内していただこうと考えていた。Mさんと一緒に、北関東の「水鉛鉛鉱
  (モリブデン鉛鉱)」の産地を突き止め、念願の標本を採集し、2日目の予定をどうしようか
  となった。以前Mさんから頂いたメールを思い出し、「萩平鉱山」を案内していただくことに
  した。
   この日、案内してくれた、Mさんが採集した「コサラ鉱」の良品を恵与いただき、この産地の
  産状を飲み込むことができた。順番が逆になったが、その後「日本のマンガン鉱床」や
  「日本のマンガン鉱床補遺」などを読み、萩平鉱山について体系的な知識を得ることが
  できた。

     コサラ鉱【Mさんからの恵与品】

   2006年5月、GWの一日、「鉛沢」の帰りに妻と2人で再び訪れた。「コサラ鉱」や「ホセ鉱」
  など、この産地の”目玉標本”は、この日も採集できなかったが、各種「菱マンガン鉱」や
  「日本のマンガン鉱床補遺(前編)」に記述のある、「マンガン白雲母」などを採集する
  ことができた。
   産地を案内していただいた石友・Mさんに、厚く御礼申し上げます。
  ( 1999年9月採集 2004年9月再訪 2006年4月3回目採集 2006年5月4回目採集 )

2. 産地

   足尾に向かって122号線を走り、小中駅前から袖丸に入って行く。以前訪れたときには
  工事中で通れなかったが、現在は真っ直ぐ、通行できる。
   袖丸から約2.3kmで右手に鉱山の出鉱場の石垣が見えてくる。ここから、正面の斜面
  一帯が、産地である。
   「日本のマンガン鉱床」には、桐生市北方、東村、黒保根村一帯を「渡良瀬地域鉱床」と
  して、いくつかの鉱床、鉱山が記載されている。その1つが、萩平鉱床で、この本が書か
  れた昭和27年(1952年)頃は、利東鉱山の一部として開発されていたらしい。

    
             「渡良瀬地域鉱床」
         【「日本のマンガン鉱床」から引用】

     
   「日本のマンガン鉱床」には
  その当時開発されていた、「萩平
  一号坑」と「萩平二号坑」が書き
  込まれている。
   2つの坑は、字小中山を挟んで
  約500m離れていた。









            「萩平鉱山鉱体」
   【「日本のマンガン鉱床」から引用】

    昭和44年(1969年)に、「日本のマンガン鉱床」を補足・改訂するために発行された
   「日本のマンガン鉱床補遺(後編)」には、萩平マンガン鉱床とそれを採掘するために
   開けられた「通洞坑」と「一号坑」の図面が掲載してある。
    鉱床は、7m×20mの水平断面を持ち、直立する大鉱体であった。

     萩平抗道図

    現在、これらの抗道のいくつかは閉鎖され、いくつかは開口されたまま残って
   いる。通洞坑から選鉱場までのトロッコのレールも一部に残っている。

         
         通洞坑跡(?)            露天掘り竪坑跡
              萩平鉱山の現況【2006年5月】

3. 産状と採集方法

   「日本のマンガン鉱床補遺」には、萩平鉱床の概要とそれぞれの坑から産出する
  鉱物が記述されているので、以下、引用してみたい。

   『 萩平鉱床は、黒雲母ホルンフェルス(Biotite Hornfels)中に挟在する千枚珪岩の
    湾曲部に胚胎した鉱床で、7m×20mの水平断面を持ち、直立する大鉱体で
    あった。』
     ここで産出したマンガン鉱と、それに随伴する鉱物を抜き出してまとめたのが
    次の表である。

マンガン鉱物随伴鉱物備  考
 緑マンガン鉱(Manganosite)を
を含む、縞炭マンガン鉱
 ・アレガニー石(Alleghanyite)
 ・テフロ石(Tephroite)
 ・閃マンガン鉱(Alabandite)
    
 テフロ石(Tephroite)を
主とする炭マンガン鉱
 ・閃マンガン鉱(Alabandite)    
 バラ輝石(Rhodenite)を
を主とする鉱石で
閃マンガン鉱(Alabandite)
を伴う
 閃マンガン鉱にには
 ・磁硫鉄鉱(Pyrrhotite)
 ・黄鉄鉱(Pyrite)
 ・閃亜鉛鉱(Sphalerite)
 磁硫鉄鉱は
閃マンガン鉱に
点滴構造をなして
含有される
ことがある
 バラ輝石(Rhodenite)
・満バンザクロ石(Spessartine)
・石英
 よりなる珪マンガン鉱石
 ・磁硫鉄鉱(Pyrrhotite)
 ・黄鉄鉱(Pyrite)
 ・黄銅鉱(Chalcopyrite)
    
 第2坑の石英脈  ・コサラ鉱(Cosalite)
 ・ゲルスドルフ鉱(Gersdorffite)
 ・紅砒ニッケル鉱(Nickeline)
  (旧名 紅ニッケル鉱(Niccolite))
 ・灰重石(Scheelite)
 ・マンガン重石(Hubnerite)
 

    ここでの採集方法は、他のマンガン鉱山と同じように、ズリのあちこちに,落ちて
   いる、表面が真っ黒い二酸化マンガン鉱で覆われた鉱石を大き目のハンマで割って
   バラ輝石、菱マンガン鉱そして石英の破断面を観察し、見慣れぬ結晶や鉱物が
   付いていたらルーペで確認する。
    ひたすら、この作業(?)を繰り返す。

4. 産出鉱物

 (1) コサラ鉱【 Cosalite:(Cu,Ag)Pb7.5Bi8S20
     鉛黒色〜鋼灰色の針状結晶で、金属光沢を示す。柱面には条線が見られ
    錐面は、斜めに切れ、庇面を示す。
     この標本は、菱マンガン鉱【Rhodochrosite:MnCO3】の晶洞部分に成長して
    おり、柱面に付着している皮膜、木の葉状の鉱物は、コサラ鉱が分解した泡蒼鉛
    【Bismtite:Bi2(CO3)O2】と考えられる。

      コサラ鉱

     コサラ鉱は、メキシコのCosala鉱山で発見されたことに因んで命名された。
    少量の鉄(Fe)を含むものがあるとされ、コサラ鉱山のものは、銅(Cu)よりも
    銀(Ag)の比率が多いとある。
     銀鉱物が共存することは稀とされ、上の標本には、銀鉱物も銅鉱物も見当た
    らず、小さな「ホセ鉱」を伴っているだけである。

 (2) 菱マンガン鉱【 Rhodochrosite:MnCO3
      以前、Mさんが、ズリから掘り出し、大割りしたという石英塊があり、それを、小割
     してみたところ、石英の晶洞の壁面に各種の菱マンガン鉱が見られた。1つ1つは
     小さなものだが、それらは、形状、共生鉱物の組み合わせが面白いので、ついつい
     標本に加えた。

         
           自形結晶               針状

              
       黄鉄鉱に覆われている           帚状
                 菱マンガン鉱の各種形態

 (3) マンガン白雲母【 Manganese−Muscovite):KAlF2Si3O10(OH)2
      石英の中に、淡緑色〜ピンク色、真珠光沢で、細かい鱗片状結晶の集合で
     針先で突付くと、簡単に崩れるほど軟質である。ピンク色の菱マンガン鉱との
     コントラストが美しい。
      「日本のマンガン鉱床補遺(前編)」の「マンガン雲母」の章に、萩平鉱山の
     ”白色雲母”が記載されているが、その通りの産状である。
      一般に、白雲母がマンガンを含むとピンク色を示すとされていることから
     この標本のピンク色部分は、マンガン白雲母と判断した。

       マンガン白雲母

 (4) 満バンザクロ石【 Spessartine:Mn3Al2(SiO4)3
      偏菱24面体、橙(オレンジ)色〜褐色〜無色、半透明〜透明結晶として、石英の
     多い部分に見られる。結晶の大きさは、最大でも1mm程度である。

       満バンザクロ石

 (5) 水晶【 Rock Crystal:SiO2 】
      石英の晶洞に見られる水晶は、ほとんどが柱面だけで、”頭付き”はごくまれ
     である。頭付きのものは、透明感があったり、薄すらと二酸化マンガンに覆われ
     黒水晶を髣髴とさせたり、味わいのあるものがある。

       水晶

5. おわりに 

  (1) 「日本のマンガン鉱床補遺」を読むと、コサラ鉱は、第ニ抗の石英脈に産すると
     ある。しかし、今回Mさんから恵与いただいたものは、第一抗のズリにあった
     菱マンガン鉱の晶洞に伴うものであった。
      これらから、次のようなことが考えられる。

      @ 第ニ鉱は、別な場所で、そこの石英脈にはコサラ鉱がある。
      A コサラ鉱は、石英脈だけでなく、菱マンガン鉱にも伴う。
         事実、加藤先生の「硫化鉱物読本」に、石英だけでなく、方解石、苦灰石
        方解石などに伴うとある。

      これらを頭において、産地に臨めば、”自力採集”できそうな気がしてきた。
      今回の、肉体・精神両面のダメージが癒えたころ、もう一度訪れてみたい。

  (2) 石友・Mさんは、真っ黒いマンガン鉱石の”角張り具合”、”表面の凹凸”などを
     みて叩くか、叩かないかを瞬時に判断しているらしい。
      私は、黒くて重い石は、片っ端から叩いている。野球に喩えれば、『 明らかな
     ボール球に手を出して、”ボテボテ”の内野ゴロでダブルプレー 』
 で、疲れる
     こと甚だしく、還暦を越えた身には辛い。
      若いうちに、もっと叩いておけば良かった、と後悔している。

  (3) 1999年に初めて訪れた時、鉱山の手前にある民家に住み、鉱山が稼行していた
     ころ選鉱婦として働いた事があるという方の家によばれ、お茶をいただきながら
     昔話をお聞きしたことを思い出した。
      今回、車で通りかかったとき、現在も、元気で家の前におられたのを垣間見て
     ”ホッ”としている。

6. 参考文献

 1)吉村 豊文:日本のマンガン鉱床,マンガン研究会,昭和27年
 2)吉村 豊文教授事業会編著:日本のマンガン鉱床補遺(前編),同会,昭和42年
 3)吉村 豊文教授事業会編著:日本のマンガン鉱床補遺(後編),同会,昭和44年
 4)松原 聰:日本産鉱物種,鉱物情報,2002年
 5)柴田 秀賢・須藤 俊男:原色鉱物岩石検索図鑑,北隆館,昭和48年
 6)加藤 昭:マンガン鉱物読本,関東鉱物同好会,1998年
 7)加藤 昭:硫化鉱物読本,関東鉱物同好会,1999年
 8)地団研地学事典編集委員会編:地学事典,平凡社,昭和45年
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