『 こんなにたくさんの古書と標本をどうするの? 』
言外に、息子達は鉱物や古書に全く興味を示さないし、嫁さんたちも紫水晶の
ように綺麗なものには食指を動かすが、それ以外は、ただの”石ころ”の認識し
かないのだから、私が死んだら、古書は良くてBookoff、悪ければちり紙交換
鉱物にいたっては瓦礫として捨てられる、と言いたいらしい。
五無斎こと、保科百助は信濃教育会図書館(現長野図書館)設立委員の一人と
して率先して、自分の蔵書を寄贈したことが知られている。生涯独身、子供もな
かった五無斎として感じるところがあったらしく、その想いは、寄贈書の1つ
神保教授からいただいた「MANUAL OF MINERALOGY AND PETROGRAPHY」のとびらに
『 此書の由来 』として墨書・押印されている。
五無斎が縁で知り合った、千葉県の石友・Mさんが、この本を追跡してくれ
以前は所在不明とされたものが、現在長野図書館に保存されていることを突き止
めてくれた。
『 此書の由来 』 を読みながら、私の古書(鉱物関係だけで約1,500冊)
鉱物標本約5,000点 をこれから先どうするか、考えさせられている。
( 2007年2月調査 )
No | 品名(書籍名) | 著者・編集 | 出版年 | 備考 | 1 | 保科五無斎筆売日記 | 町田修三 | 昭和11年 | 2 | 人間保科五無斎 | 荒木茂平 | 昭和31年 | 3 | 再版増訂・人間保科五無斎 | 荒木茂平 | 昭和37年 | 4 | よいかゝを志な百首け | 保科百助 | 明治39年 | 5 | 五無斎保科百助全集 全 | 佐久教育会 | 昭和39年 | 6 | 百助生誕百年 詩伝・保科五無斎 | 三石勝五郎 | 昭和42年 | 7 | 岩石鉱物標本説明書 | 保科百助 | 大正2年 | 8 | 北佐久教育報 五無斎先生記念特集号 | 北佐久教育会 | 昭和36年 | 9 | 五無斎保科百助評伝 | 佐久教育会 | 昭和44年 | 10 | 復刻 五無斎保科百助全集 全 | 佐久教育会 | 昭和61年 | 11 | 復刻 五無斎保科百助評伝 | 佐久教育会 | 昭和61年 | 12 | Text Book of Geology | Archibals Geikie | 明治26年 |
しかし、五無斎が長野図書館に寄贈した本の1つ、神保教授からいただいた
「MANUAL OF MINERALOGY AND PETROGRAPHY」が記載されていない。
五無斎が「とびら」に書いた由来書きを、千葉県の石友・Mさんが電子データに
入力してくれたので、以下引用させてもらう。
『 此書は五無斎保科百助が明治三十六年中長野県地学標本を東京帝国
五無斎保科百助謹識
(大学)へ寄贈した折、理学博士神保小虎先生よりお移りとして拝受したるなり。
此書とゲーキ氏の大地質学のみは信濃教育会なりとも差出したくハ無けれども
独身者の悲しさには之を秘蔵すべき子孫もなし。
よし子孫あればとて馬鹿息子ならば二束 三文にて之を古本屋に売却するに
至らん。
諺に売家と唐様に書く三代目といふことあり。世人の多くは無闇に宝物を
集めるの悪癖あり。若し暫くせば一万年の後には宝物のみにて遂には処せま
き迄に至らん。 是五無斎が此書を信濃教育会図書館に寄贈する所以なり。
斎 図 書
献 納 章
明治四十年四月十日 』
@ よし子孫あればとて、馬鹿息子ならば二束 三文にて之を古本屋に売却す
るに至らん。
”馬鹿”を単純に”知識がない””興味がない”と置き換えれば、私の息子たちも
同じ状況である。
A 世人の多くは無闇に宝物を集めるの悪癖あり。
”宝物”を”鉱物”と置き換えれば、まさしく、私のことである。
五無斎のこの一行を読んで、私の古書と鉱物標本をどうするか、考えさせ
られている。
(2) 五無斎が縁で知り合った、千葉県の石友・Mさんが「MANUAL OF MINERALOGY
AND PETROGRAPHY」の所在を追跡してくれた。それまで、所在不明とされた
ものが、現在長野図書館に保存されていることを突き止めてくれた。
いつか、現物を拝見するのを楽しみにしている。