「金 GOLD 黄金の国ジパングと甲斐金山展」

   「金 GOLD 黄金の国ジパングと甲斐金山展」

1. 初めに

   2007年5月のGW終盤、関東地方はじめ各地が雨に見舞われ、農園の手入れと
  ミネラル・ウオッチングの予定も中止になってしまった。
   そこで、前から観たい、と思っていた山梨県立博物館で開催されている特別展
  「 金 GOLD 黄金の国ジパングと甲斐金山 」展 を妻と2人で訪れた。連休の
  せいか予想以上に訪れる人が多く、”金” には人を惹き付ける何かがあるようだ。

   「金 GOLD 黄金の国ジパング」と「甲斐金山」を併設して展示している。

   開催期間:2009年4月25日〜6月15日

  展      示 内       容 備  考
黄金の国ジパング展第1部 金利用の歴史 
第2部 金の科学
第3部 現代の金利用
甲斐金山展第1章 山梨の金山 
第2章 金の精錬
第3章 甲州金

    ”Mineralhunters” としては、「第2部 金の科学」のコーナーに展示してある
   日本各地とオーストラリアの自然金や砂金の素晴らしさには目を見張った。

   15年ほど前の今頃訪れ、自然金を採集した「黒川金山」をもう一度訪れてみたい
  と思っている。
   ( 2009年5月訪問 )

2. 場所

   ○ JR中央線 石和温泉駅(最寄り駅)からバスで約10分
   ○ JR中央線・身延線 甲府駅からバスで約30分
   ○ 一宮御坂ICから車で約8分

     山梨県立博物館【2009年5月】

    開館時間: 9:00〜17:00 (入館は16:30まで)
    休館日  : 毎週火曜日(火曜日が祝日の場合、水曜日)
            祝日の翌日(土曜日が祝日の場合、日曜日は開館)
    入館料  : 一般          1,000円
            高校・大学生      500円
            小・中学生       260円
            県内在住65歳以上と土曜日のみ小中高生  無料

3. 黄金の国ジパング展

 3.1 金利用の歴史
     紀元前2600年古代オリエントシュメール文明のウル王墓から黄金製品が見つ
    かっている。
     日本で初めて産金が確認されたのは、奈良時代中期の749年であった。それ
    までは、中国や朝鮮などで作られた金製品が輸入されていた。
     古墳時代の金の装飾品は、地域の権力者が力を誇示し、富の象徴でもあった
    が、その人が亡くなると、古墳の中に一緒に埋葬されてしまっていた。

         
         金印【福岡県出土】    勾玉【和歌山県出土】

     仏教が伝来し、朝廷に保護される飛鳥時代からは、仏の三十二相の中の「金色
    (こんじき)相」の考えに基づき、仏像や仏具が金で飾られるようになった。

       金銅菩薩半迦像【法隆寺伝来】

     戦国時代までの金のほとんどは、東北地方で産出した砂金である。平安時代
    末期、奥州平泉の藤原3代による中尊寺金色堂(1124年建)に代表される黄金
    文化にもこの砂金が使われてた。

     戦国時代には、戦費の調達のため金山開発が行われ、江戸時代初期まで
    日本国内の金の生産量は1つのピークであった。
     江戸時代には、金屏風、蒔絵や仏具などにも金が使われているが、それまで
    蓄えられた金のほとんどが大判・小判として利用され、その総量は約200トンと
    されている。

       天正大判

     明治以降、金の利用は自由になったため、政府が発行する金貨以外に金箔を
    使った製品やガラス工芸などにも利用されるようになった。
     しかし、多くの金を政府が保有し、多量の金が戦費の調達に使われた。

     現代の日本の金の約70%は、工業用製品に使われている。多くの国では
    宝飾品として金が使われてきたが、日本では、その時代時代で異なった利用が
    されてきた。
     マルコ・ポーロが「東方見聞録」の中で、「黄金の国・ジパング」と日本を紹介
    したため、コロンブスをはじめとする大航海時代の冒険者たちに大きな影響を
    与えた、とされている。コロンブスの第1回航海日誌のなかに、幾度となく”ジパ
    ング”が登場するらしい。

     現在の日本の年間産金量は9トン弱で、世界総生産量・2,500トンの1%にも
    満たず「黄金の国」とは言いがたい。
     しかし、16〜17世紀、世界の産金量が年5〜10トンの時代、200トンを貨幣と
    して市中に流通させていた国は「黄金の国」と呼べるだろう。
     中尊寺が建立された12世紀末には、世界の産金量はもっと少なかっただろう
    から、宋から経典を購入するのに105,00両(1.7トン)もの金を支払った日本は
    「黄金の国」と映ったことだろう。

       世界の産金量【図録から引用】

 3.2 金の科学
  (1) 高貴な金属・金
      金の元素記号はラテン語の”Aurum”にちなむ”Au”、原子番号は79で、周
     期律表の11族で銅(Cu)、銀(Ag)と縦に並んでいて、物性が似ている金属で
     ある。

       周期律表の一部

      金がなぜ珍重されるかといえば、その理由の1つは、”化学的に安定”で錆
     びたりしないからだろう。
      金は、銀(Ag)、銅(Cu)、水銀(Hg)そしてアルミニュム(Al)などとは合金をつ
     くるが、酸やアルカリに侵されることはほとんどない。顕著に金を溶かすことが
     できる液体は、「王水(塩酸:硝酸=3:1)」、「猛毒の青酸(シアン)化物水溶
     液」と「水銀」だけである。これらは、金の真贋鑑定、鉱石や砂金から金の回
     収に使われているのは周知であろう。

  (2) 金を含む鉱物
      金を主成分とする鉱物は現在までに28種類が確認されている。それらの内
     日本国内で産出が確認されているのは下表に示す7種で、1/4にしか過ぎな
     い。
  英    名 和  名  化 学 式  結晶系
GOLDAu等軸
MALDONITEマルドン鉱Au2Bi等軸
JONASSONITEジョナッソン鉱Au(Bi,Pb)5S4単斜
PETZITEペッツ鉱Ag3AuTe2正方
SYLVANITEシルバニア鉱AgAuTe4単斜
CARAVERITEカラベラス鉱AuTe2単斜
KRENNERITEクレンネル鉱AuTe2斜方
    

      金は、上に掲げた周期律表で色付けした元素と化合物(鉱物)をつくるが、
     日本国内で発見されているのは銀(Ag)、ビスマス(Bi)やテルル(Te)との化合
     物に限られている。

  (3) 日本の金山と金鉱石
      日本で産出する金を主成分とする鉱物種が限られているのは、日本では
     大金山と呼ばれる産金量が20トンを超える金山のほとんどが”浅熱水性”と
     呼ばれる地表から1km以内で生成した金銀鉱脈鉱床という、石英に富んだ
     鉱脈中に産出するだからだろう。
      このほかに、”中・深熱水性”金銀鉱脈鉱床、銅などの鉱脈鉱床、黒鉱鉱床
     スカルン鉱床、別子型鉱床などで産出したり、これらが風化・浸食を受け、河
     川水で流され砂金というかたちで濃集した漂砂鉱床もある。
      図に示すように、日本の金山の多くはは新生代第3紀火山岩の分布と密接
     な関係がある。長野県川上村にあった梓山金山などは例外で、方解石や柘<
     榴石に伴う自然金であることから、スカルン鉱床であろう。

      
                      日本の金山分布

  (3) 日本の砂金と金塊
       砂金は、日本の主な川やその支流のほぼ全てで産出すると言って過言で
      ない。「金沢」「金山沢」などとそれに類似した古い地名がある所では、過去
      に砂金採取が行われていた可能性がある。
       典型的な場所が石川県金沢市で、市内を流れる犀川(さいかわ)の河原
      では現在でも砂金が採取できる。東京都を流れる多摩川も上流に黒川金
      山があったためか、流域では現在も砂金が採集できる。

         
             石川県・犀川              東京都・多摩川
               都会でも採集できる砂金【図録から引用】

 3.3 現代の金の利用
      2006年末の世界の金の地上在庫量は、15.8万トンとされる。この体積は
     1辺が20mの立方体にしか過ぎず、いかに金が貴重かを示している。

      日本の2006年度の金の生産量は、図に示すように、金鉱山からのものは
     9トン弱で、全体の5%に過ぎず、70%近くが輸入した銅鉱石などの精錬の
     副産物として得られるもので、現在の国内生産の硫黄が原油の生成過程で
     邪魔者として取り除かれたものであるのと似ていて興味深い。
      残りは、『再生金』と呼ばれ、携帯電話やパソコンなどの電子機器や歯科用
     材からのリサイクルやメッキ廃液から回収されるもので、宝飾品からのリサイ
     クル量は少ない。

      一方、金の利用として最も多いのは、電気抵抗が少ない、錆びにくいなど
     金の特長を生かした電気通信機器や機械部品用のもので、80%を占めてい
     る。
      意外なのは、宝飾用として使われているのが10%強しかなく、外国の60%
     に比べ際立って低いことである。日本では、”キンキラ”した金は”成金趣味”
     と思われ、宝飾品として好まれないようだ。

         
                 生産量                  消費量
                    日本の金の生産・消費量【2006年】

4. 甲斐金山展

 4.1 山梨の金山
     山梨の金山は、県を南北に走るフォッサマグナの東西両辺に集中し、断層地
    帯の山崩れによって金鉱床が露出または地表に近い場所に存在する。こうした
    地質の特性を生かし、戦国時代には多くの金山が開発されていた。
     中でも、総合学術調査が行われた黒川金山と湯之奥中山金山は、「甲斐金
    山遺跡」として平成9年(1997年)に国の史跡に指定されている。

      
                山梨の金山分布【図録から引用】

     中でも黒川金山は、文書が多数遺されており、その盛衰を知ることができる。
    金山の採掘に携わった人々は「金山衆」と呼ばれ、単に金を掘り出すだけでな
    く、商いを行ったり、武田氏に仕え、現在の工兵のような形で戦に参加するなど
    様々な活動を展開した。
     しかし、黒川金山の衰退や武田家の滅亡などの激動の時期に金山衆は様々
    な方法で行きぬく道を模索したが、慶安元年(1948年)「採掘願」が出されたの
    を最後に幕を閉じた。

      
               徳川家朱印状【天正11年(1583年)】
                「黒川 金山衆」の文字が見られる

 4.2 金の製錬と灰吹法
     掘り出した金鉱石は、臼を用いて細かい粉にされ(粉成:こなし)、比重選鉱を
    用いて石英と金を分離(汰り分け:ゆりわけする。
     これだけでは、砒素(As)や銅(Cu)などの不純物を取り除くことができないので
    素焼きの容器と鉛(骨粉)を用いた「灰吹法」が使われた。
     黒川金山遺跡と中山金山遺跡から、金粒が付着した土器が出土している。私が
    湯之奥・中山金山跡で採集した金粒は、”球状”で、一度溶融し固まったことを
    示しており、製錬場だったことがわかる。

      中山金山跡の金粒【2004年採集】

 4.3 甲州金
     甲斐金山から産出した金は、甲斐国のみで通用する独自の通貨「甲州金」を
    生み出した。
     甲州金は、武田氏の時代に成立したとされ、江戸時代の統一的な貨幣制度の
    モデルになった、と同時に、甲州の地域通貨として、江戸時代を通して通用が
    認められていた。
     甲州金の特筆すべき点は、それまで質量(重さ)で取引されていた金を両・分
    朱といった単位を用いる4進法の計数貨幣に変えていることである。そのため
    表面には額面を表す漢数字や単位を表す漢字が刻印されている。
     4進法は、江戸幕府の金銀貨制度にも継承されたが、1両の重さや金貨の形
    が違うなど、江戸の金座と甲州の金座は全く別の組織が並立し幕末まで続いた。

       甲州金の貨幣制度

        甲州金・1両判

5. おわりに

 (1) 金の魅力
      金には宝飾品としてだけでなく『鉱物』として、魅力を感じる私の石友も
     多い。

      鉱物としての金は、『自然金』と『砂金』であろう。私の『自然金』コレクション
     の中で一番気に入っているのは、石友・Tさんに恵与いただいた「秩父鉱山の
     ”紐(ひも)金”」である。
      真っ黒い(鉄)閃亜鉛鉱の中に細長い縮れきしめんのような紐状に自然金が
     成長したもので、閃亜鉛鉱の小さな塊が先端に付いているのは展延性に富む
     金の特性を良くあらわしている。

      我が家の家宝として、末代まで伝えたい1品である。

          
                  全体                       拡大
                       秩父鉱山・紐(ひも)金(自然金)

 (2) 「東方見聞録」
      中世のヨーロッパの人々に、『黄金の国・ジパング』を紹介したのは、イタリア
     ヴェニスの商人・マルコ・ポーロだった。

      どのような内容が、どのような経緯で伝えられているのかを知りたくて、
     「東方見聞録」を読んでみた。

      1271年末ころ、マルコが17歳のとき、父と叔父と3人でヴェニスを発ち、3年
     半の苦難の末、1275年、フビライ・ハーンが住む上都(開平府)にたどり着い
     た。
      これから1290年まで、17年間フビライに仕え、1292年に泉州を出帆し帰路に
     つき、1995年にヴェニスに帰着した。
      この25年間に見聞したことが記されている。マルコが直接見聞したものだけで
     なく、伝聞したものも大きなウエイトを占めているようで、”荒唐無稽”と思われる
     記述も少なくない。
      また、「東方見聞録」を書き記したのは、マルコではなく、ピサの物語作家
     ルスティケロなる人物だった。3人がヴェニスに帰って間もなくの1298年ヴェニ
     スとジェノアの間にクルツオラ海戦がおこり、ヴェニス側は敗北し、マルコも
     捕虜になった。マルコ・ポーロは数千名の捕虜の1人としてジェノアの獄舎に
     つながれる身になった。この獄中で、ルスティケロと一緒になり、これが「東方
     見聞録」が世に出るきっかけとなった。

      ジパング(日本)について『チパング島』の章に5ページほど記述してある。
     そのなかで、富に関する部分の要旨は、次の通りである。

      @ 黄金を大量に産するが、持ち出しが禁ぜられ、かつ非常に遠い(大陸か
        ら2,400km)ので、行くものが少なく、流出量も少ない。
         ( フビライは、この島が裕福なのを聞いて占領する計画を立て、2人の
          将軍に率いられた大艦隊と歩兵・騎兵の大軍を派遣したが、北風が
          猛烈に吹いて、艦隊の大部分は難破し、軍の大部分は遭難した )

      A 王の宮殿にはおびただしい黄金が用いられ、屋根、床などにすべて黄金を
        用いている。
         ( 宮殿内の道路や床は、4cmの厚さの純金の板を敷き詰めている )

      B 赤と白の真珠が無限に多く、死体を土葬するとき、真珠を口に含ませる。
         ( その他の宝石も多い )

      当時の日本は、鎌倉幕府が武家政治を行い、京都を中心とする公家社会が
     武家に圧倒されていた時代で、マルコが述べているような豊富な黄金や金で
     できた宮殿は実在していなかった。

       「宋史」の日本伝に、『日本は黄金をおびただしく産する』、とあるので、マ
      ルコはこれを鵜呑みに信じたのだろう。

       「東方見聞録」の記述は、今読み直してみると曖昧で誤りも多いが、日本
      のことがヨーロッパに伝えられた最初であり、おびただしく黄金と真珠を産出
      する裕福な国として描かれ、これが動機となって後年(約200年後)の大航
      海時代に黄金島としてのジパングが捜し求められた。この意味では、意義が
      大きかったのだろう。

       外国人が、『黄金島』を実感したのは、幕末で、安政6年(1859年)の開港
      後、40万〜50万両(2.5〜3.2トン)の黄金が海外に”合法的に”持ち去られ
      た。その”からくり”は次のようであった。

       日本国内の銀に対する金の価値は金1g≒銀5gで、海外の金1g≒銀15g
      に対して割安だった。「日本の金銀貨と外国の金銀貨をそれぞれ等重量で
      交換する」条約を結んでいた。

       ・ 外国人は、メキシコドル銀貨などの洋銀を持ち込む。
       ・ 洋銀4枚を「1分銀」12枚と交換する。
       ・ 外国人は、「1分銀」12枚で「小判」3枚と交換する。
       ・ 外国人は「小判」3枚を母国に持ち帰って、「銀貨」12枚と交換する。

       この過程で外国人は、”2倍の純益”を得たことになる。
       今年、2009年、横浜は「Y150」などと開港150年のお祭り騒ぎをしているが
      このような事実があったことも忘れてはならないだろう。

      【蛇足】
        金と銀の交換比率をどうするかは、ヨーロッパの科学者や経済人にとって
       大きなテーマだったようだ。
        かの、アイザック・ニュートンは晩年にイングランド造幣局局長になったが
       金と銀の交換比率には異常な執念を燃やした、と何かの本で読んだ記憶
       がある。
        『ダビンチ・コード』ではないが、ニュートンは、錬金術にものめり込んでいた
       との証言もあり、上記の金銀交換比率の差を利用した”ボロ儲け”は、ある
       意味で、『煉金術』だったのではないだろうか。

6. 参考文献

 1) 青木 富太郎訳:マルコ・ポーロ 東方見聞録,社会思想社,1983年
 2) 国立科学博物館、毎日新聞社編:金GOLD 黄金の国 展示図録,科学博物館、毎日新聞社,2009年
 3) 山梨県立博物館編:甲斐金山展 展示図録,山梨県立博物館,2009年
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