北関東の「水鉛鉛鉱」  2017年10月

                  ( WULFENITE from Northern Kanto , Oct. 2017 )

1. はじめに

   妻の母親の介護にかかわるようになって1年が経った。そのきっかけになったのは、われわれとって突然ともいえる、
  海外に住んでいた妹の死だった。そのお墓参りで、北関東の地方都市を訪れたのは秋のお彼岸を過ぎてからだった。
   その周辺には、「紫水晶」、「蒼鉛鉱物」、「藍銅鉱」などの二次鉱物を求めて何度も通った鉱山跡がいくつもあり、
  「水鉛鉛鉱」の産地がどうなっているかが気になり、墓参の後に立ち寄った。2013年10月に石友を案内して以来だから、
  4年ぶりだ。

   ・ 2013年10月 北関東ミネラル・ウオッチング
   ( Mineral Watching in Northern Kanto Area , Oct. 2013 )

   このときも産地への道は豪雨による土砂崩れを仮復旧した直後だったが、今回も大きな落石が道を塞(ふさ)ぎ、
  それらを大きなハンマとタガネで小割にして林道を進むありさまだった。以前は産地入口近くまで「車横付け」だったが、
  路面に巨大な陥没があり、だいぶ手前で車を降りて歩くしかなかった。

   産地は、富鉱帯の露頭がおびただしい量の花崗岩塊と眞砂に埋まり、その周辺の転石からかろうじて「水鉛鉛鉱」
  の小さな結晶がついた標本を採集することができた。

   あと2、3週間もすれば産地は冬篭(ごも)りの季節に入り、再び訪れることができるのは、林道の復旧工事が順調に
  進んだとしても半年後だ。
  ( 2006年4月初訪問 2006年5月公開 2017年10月採集 )

2. 産地

    鉱物会誌に2007年12月に発表されたと聞いたが、この産地は、極めて狭い範囲であり、産地保護の観点から、
   今回も詳細は割愛させていだだく。

     産地地図【公表延期】

    この産地にたどり着いた経緯は、このシリーズの最初のページで報告した通りだ。石友・Mさんと沢を虱潰(しらみ
   つぶ)しに探査の末に、ようやくたどり着いたのが、2006年4月だった。
    仮に場所が判っても、産地への林道は豪雨の度に土砂崩れが起き、大きな落石や太い倒木があちこちで道を
   塞いでいることが多く、その時はかなりの距離を歩く覚悟が必要だ。

    今回も林道の入り口には「この先通行止」の看板はあったが、ゲートも開いていたので、行けるところまで行って
   みることにした。

    
               「この先通行止」看板

    案の定、1個500キロはありそうな大きな落石何個かが道を塞(ふさ)いでいた。それらを30分近くかけて大ハンマと
   タガネで小割にして林道を切り開き進んだ。

       
                   Before                           After
                              林道を開削して進む

    小さな、と言っても大人の頭はある落石や車の下に巻き込むと厄介な木の枝は、先行する妻が道路脇に除(よ)
   ける”スイーパー”の役だ。当然、動かせない太い幹を切る「のこぎり」も持参している。

    
          ”スイーパー”が岩や木の枝を除ける

    崖下に転落して赤くさびた自動車があるのを目の当たりにすると”ビビる”。路肩が大きく陥没しているところで、
   これ以上車で進むのは危険と判断し、妻を車に残し私だけが行くことにした。

3. 産状と採集方法

    ここは、徳川時代、明治中期そして昭和12年〜13年にかけて稼行したとされる鉱山跡だ。しかし、鉱山につき
   もの、”ズリ”があるわけではなく、2013年に案内した”ベテラン”達すら戸惑っていた産地だ。
    2006年に訪れたときには、入口が半分塞がった古い坑道が残されていたが、花崗岩が風化した”眞砂(マサ)で
   完全に埋まってしまっていた。

    この辺りの地名から、銀を採掘したと推測できるが、銀鉱物は見当たらない。花崗岩に貫入した石英脈に伴って
   「方鉛鉱」「閃亜鉛鉱」そして少量の「黄銅鉱」がみられる。分析する術もないので確かなことは言えないが、
   「含銀方鉛鉱」である可能性が高い。
    富鉱帯の露頭や転石の表面には褐鉄鉱や銅鉛の2次鉱物に覆われている部分がある。近くの別な沢には坑道
   があり、バナジウムを含む「モットラム石」が採集できる。「水鉛鉛鉱」は、基岩をなす黒く”ヤケ”た礫岩の表面や
   割れ目に、「緑鉛鉱」と共に見られるケースが多い。

       
             眞砂に埋もれた露頭                    2次鉱物を含む露頭
   

    2次鉱物が生じている部分の母岩は”ボロボロ”に近く、タガネやドライバーで簡単に崩すことができる。標本は、
   ダメージを受けやすいので、慎重に取り扱う必要がある。
    それらの露頭の大部分が花崗岩塊や眞砂で埋まってしまい、過去に採集したような良標本の採集は難しくなり
   つつある。

4. 採集鉱物

 4.1 過去の採集品【2006年4月、11月】

 (1)水鉛鉛鉱【WULFENITE:PbMoO4
     緑鉛鉱の表面やその近傍、割れ目の”ヤケ”の表面に結晶が見られる”飴色”で表面の輝きが強い。結晶は、
    板状、サイコロ状そして錐状の3通りが見られる。

         
            板状                錐状
                     水鉛鉛鉱

 (2)緑鉛鉱【PYROMORPHITE:Pb5(PO4)3Cl】
     緑〜黄〜灰白色でガラス光沢を示す。皮膜状〜ビヤ樽のように中太い針状結晶、そしてそれらが放射状に
    集合した”菊花状”、”イガ栗状”、そして”柱状”で産出する。
     「緑鉛鉱」と言いながら、”灰白色”〜”黄色”まであり、むしろ緑色の方が少ない印象だ。

      
           柱状              イガ栗状
             
                  菊花状

                  緑鉛鉱

 (3)青鉛鉱【LINARITE:PbCu(SO4)(OH)2
     天青色、ガラス光沢の針状〜柱状結晶や皮膜状で産する。長石が変質したと思われる白色粗鬆質粘土の
    ような晶洞の中に微細な頭付き結晶が見られる場合もある。

     青鉛鉱

 (4)白鉛鉱【CERUSSITE:PbCO3
     白色、半透明のギラギラした光沢の柱状〜皮膜状で産する。微細な針状で産する場合もあるとの情報もある
    が、稀のようである。

     白鉛鉱

 (5)硫酸鉛鉱【ANGLESITE:PbSO4
    白色、半透明〜不透明で、「重晶石」に似た小さな厚板状結晶が折り重なるように集合して産する。

     硫酸鉛鉱

 (6)珪孔雀石【CHRYSOCOLLA:(Cu,Al)2H2Si2O5(OH,O)4・nH2O】
     青緑色、ガラス光沢で塊状や仏頭状集合で見られる。破面は貝殻状を示す。このように立派な珪孔雀石を
    関東地方で採集できる場所は少ない。

     珪孔雀石

 (7)方鉛鉱【GARENA:PbS】
     黒色、金属光沢の微細な粒状結晶の集合で産する。部分的には、結晶の粒が大きくなり、特有の劈開面が
    みられる部分もある。方鉛鉱には、閃亜鉛鉱も伴っており、また、金色の黄銅鉱が見られることもある。
     これらが、「水鉛鉛鉱」はじめとする鉛の2次鉱物の”源”になっていると思われる。

     方鉛鉱【黄銅鉱を伴う】

 (8)赤銅鉱【CUPRITE:Cu2O】
     輝銅鉱(?)→黒銅鉱に変化した表面部分に、赤色、皮膜状や絹糸状で産する。あまりに鮮やかな紅色なの
    で、”ルビーシルバー”と誤認して、石友・Mさんに『 ルビーシルバー 発見 !! 』 誤メールを入れたほどだ。

     赤銅鉱

 (9)桃簾石【THULITE:Ca2AlAl2(Si2O7)(SiO4)O(OH)】
     桃色で母岩の石英の中に点在する。某オークションに「○○○の桃簾石」として出ていたので、よほど珍しい鉱物か
    と思いきや、その気になって産地を見回すと、”掃いて捨てるほど”あることが判った。
     日本産の桃簾石は、単斜灰簾石【Clinozoisite】とされ、いわゆる「桃簾石」は”桃〜赤色の単斜灰簾石”
    と呼ぶのが正しいようである。
     

     桃簾石

 4.2 今回の採集品【2017年10月】

 (1)水鉛鉛鉱【WULFENITE:PbMoO4
     緑鉛鉱の表面やその近傍、割れ目の”ヤケ”の表面に結晶が見られる。”飴色”で表面の輝きが強い。結晶は、
    ”サイコロ状”のみで、”板状”や”錐状”が産出した場所から離れているからだろう。

       
                  全体                          部分
                         水鉛鉛鉱【2017年10月採集】

     このほか、「緑鉛鉱」、「青鉛鉱」、「珪孔雀石」、「桃簾石」などは量的に多いのだが、特筆するほどのものは
    なかった。

5. おわりに 

 (1) 『瑞兆(ずいちょう)』それとも『地震雲』
      北関東まで250キロ余りあり、途中での渋滞がいやなので、10月5日の2時過ぎに自宅を出ることにした。前日
     4日が「中秋の名月」で空には満月が見えた。しかし、何か変だ。月の周りの雲が虹のように色づいて見える。
      これが、『彩雲(さいうん)』、と呼ぶ現象だ。

      
                   甲府で見えた『彩雲(さいうん)』
                  【2017年10月5日 午前2時過ぎ】

      彩雲(さいうん)は、太陽や月の近くを通りかかった雲が、緑や赤に彩られる現象である。英語では(iridescent
     clouds:イリデセント クラウズ)と呼ぶ。オパールやレインボーガーネットなど”虹色”に輝く現象を”イリデッセンス”
     と呼ぶこともあるようだが、これらは「光の干渉」で物質の内部で反射した特定の波長(=色)の光が強められて
     見える現象だ。
      彩雲は、雲を構成している氷(や水滴)がプリズムと同じ働きをする「光の回折」で、白色に見える太陽光や
     月の光を青→緑→黄→赤色に分けて雲を染めてみえるのだ。

      雲は「絹雲」か「絹層雲」だかろうから、少なくても地上5,000m以上の高度にある。小学校の理科で習った、
     100m高くなるごとに0.6℃温度が低くなることから、5000*0.6 = 30℃ 地上より温度が低い。このとき、甲府市
     の地表の温度は13℃で、標高300m強にあることを考慮しても、雲の気温は氷点下15℃以下で、完全に氷の
     粒で構成されていたことになる。

      「彩雲」は別名、瑞雲(ずいうん)、慶雲(けいうん)、景雲(けいうん)、紫雲(しうん)などとも呼ばれ、”良いこと
     が起こる兆し”とされる。それとは逆に、大地震の前触れの”地震雲”という名もあるが、科学的な根拠はない。
      ただ、22時間後の10月6日23時53分だったかに、福島県を震源とする震度5弱の地震があったことを考えると、
     単に迷信と笑い飛ばすこともできない。
      なぜなら、地震専門家たちが、”地震の予知は不可能だ”、とサジを投げたばかりだから。

      
         22時間後に起きた地震の震度マップ

6. 参考文献 

 1) 渡辺 新六 et al:奥鬼怒地域調査報告,栃木県,1955年
 2) 加藤 昭:二次鉱物読本,関東鉱物同好会,2000年
 3) 松原 聡、宮脇 律郎:日本産鉱物型録,東海大学出版会,2006年
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