北関東の「水鉛鉛鉱」












           北関東の「水鉛鉛鉱」

1. 初めに

   2006年1月、私が所属している「鉱物同志会」の新年会のオークションに
  北関東に住むS氏が、「北関東産の水鉛鉛鉱」を出品した。
   欲しいと思い入札したが、100円差で惜しくも落札できなかった。こうなると
  なお更欲しくなり、S氏に産地を尋ねると、『 近いうち、某氏が(鉱物雑誌に)
  発表するから 』 と、明らかにしてくれなかった。
   かくなる上は、”自力採集”の腹を決めた。
   東京都の石友・Mさんに、この情報を伝え、情報収集をお願いした。一方、私は
  関東の古い石友・K氏から頂いた年賀状に、この産地の「水鉛鉛鉱」の写真が
  あったので、産地を聞き出すことにした。しかし、K氏からの返信には 『 この
  産地の情報は教えられない 』 とあり、氏自身が採集したこの産地の標本の
  写真と解説が添えられていた。
   それらの写真は、”キャラメル状”の水鉛鉛鉱、緑〜黄色にグラディエーションを
  示す「緑鉛鉱」、ブルーの色鮮やかな「青鉛鉱」そしてギラギラ輝く「白鉛鉱」の
  すばらしい標本が並んでいた。
   これを見て、ますます、産地を訪れねば、との思いが募った。
   やがて、Mさんから「だいたいの場所が分った」との吉報が寄せられた。あとは
  討ち入り決行の日取りだけであった。
   雪解けを待って、ということで、4月初旬を設定したが、私の「還暦祝賀会」などが
  重なり、4月中旬決行となった。
   産地と思しき一帯を片端から走破することにした。いくつかの沢を詰め始めて
  数時間が過ぎたころ、先行するMさんが「青い2次鉱物がある!!」と叫び
  転石を1つ拾い上げた。手にとって見ると、間違いなく「青鉛鉱」である。やがて
  「緑鉛鉱」の表面に念願の「水鉛鉛鉱」が結晶したものも見られた。
   露頭や転石から、鉛の2次鉱物である「水鉛鉛鉱(黄鉛鉱)」「緑鉛鉱」
  「青鉛鉱」
そして 「白鉛鉱」「硫酸鉛鉱」を採集でき、”5色揃い踏み”、と
  なった。
   ごく最近、探査行とパートナーについて考えさせられる出来事に遭遇した。同行
  いただいたMさんに、厚く御礼を申し上げます。
   なお、産地保護の観点から、報告が遅くなったこと、また最小限の内容である
  ことを、ご承知置きください。
   さらに、この産地には、『吸血鬼』が多数居住していますので、”血の気の多い人”
  向きの産地です。
  ( 2006年4月採集 2006年5月公開 )

2. 産地

    この産地は、極めて狭い範囲であり、産地保護の観点から、詳細は割愛
   させていただきます。
    近いうち、某氏により、鉱物雑誌上で発表があるかも知れません。

    産地地図

3. 産状と採集方法

   ここは、徳川時代、明治中期そして昭和12年〜13年にかけて稼行したと
  される鉱山跡である。露頭には、入口が半分塞がった古い坑道が残されて
  いる。この辺りの地名から、銀を採掘したと推測できるが、銀鉱物は見当たらない。
   花崗岩に貫入した石英脈に伴って「方鉛鉱」「閃亜鉛鉱」そして少量の「黄銅鉱」が
  みられる。分析する術もないので確かなことは言えないが、「含銀方鉛鉱」である
  可能性が高い。これらの表面には褐鉄鉱や鉛の2次鉱物に覆われている部分が
  ある。
   また、基岩をなす礫岩の割れ目に、「水鉛鉛鉱」が「緑鉛鉱」と共に見られる
  ケースがある。

       
       産状と採集風景            古い坑道
                  鉱山跡

   2次鉱物が生じている部分の母岩は”ボロボロ”に近く、タガネやドライバーで
  簡単に崩すことができる。標本は、ダメージを受けやすいので、慎重に取り
  扱う必要がある。

4. 採集鉱物

 (1)水鉛鉛鉱【Wulfenite:PbMoO4
     緑鉛鉱の表面やその近傍、割れ目の”ヤケ”の表面に結晶が見られる
    ”飴色”で表面の輝きが強い。結晶は、板状、サイコロ状そして錐状の3通り
    が見られる。

         
            板状                錐状
                     水鉛鉛鉱

 (2)緑鉛鉱【Pyromorphite:Pb5(PO4)3Cl】
     緑〜黄〜灰白色でガラス光沢を示す。皮膜状〜ビヤ樽のように中太い
    針状結晶、そしてそれらが放射状に集合した”菊花状”、”イガ栗状”
    そして”柱状”で産出する。
     「緑鉛鉱」と言いながら、”灰白色”〜”黄色”まであり、むしろ緑色の
    方が少ない印象である。

        
           柱状              イガ栗状             菊花状
                             緑鉛鉱

 (3)青鉛鉱【Linarite:PbCu(SO4)(OH)2
     天青色、ガラス光沢の針状〜柱状結晶や皮膜状で産する。長石が変質
    したと思われる白色粗鬆質粘土のような晶洞の中に微細な頭付き結晶が
    見られる場合もある。

     青鉛鉱

 (4)白鉛鉱【Cerussite:PbCO3
     白色、半透明のギラギラした光沢の柱状〜皮膜状で産する。微細な針状で
    産する場合もあるとの情報もあるが、稀のようである。

     白鉛鉱

 (5)硫酸鉛鉱【Anglesite:PbSO4
    白色、半透明〜不透明で、「重晶石」に似た小さな厚板状結晶が折り重なる
   ように集合して産する。

     硫酸鉛鉱

 (6)珪孔雀石【Chrysocolla:(Cu,Al)2H2Si2O5(OH,O)4・nH2O】
     青緑色、ガラス光沢で塊状や仏頭状集合で見られる。破面は貝殻状を示す。
    このように立派な珪孔雀石を関東地方で採集できる場所は少ない。

     珪孔雀石

 (7)方鉛鉱【Garena:PbS】
     黒色、金属光沢の微細な粒状結晶の集合で産する。部分的には、結晶の
    粒が大きくなり、特有の劈開面がみられる部分もある。方鉛鉱には、閃亜鉛鉱も
    伴っており、また、金色の黄銅鉱が見られることもある。
     これらが、「水鉛鉛鉱」はじめとする鉛の2次鉱物の”源”になっていると思わ
    れる。

     方鉛鉱【黄銅鉱を伴う】

    このほか、「孔雀石」などが観察できる。「ブロシャン銅鉱」が産する、との情報も
   あり、それらしい標本は採集できたが、確認できていない。

5. おわりに 

 (1) 「モリブデン鉛鉱」が正式な鉱物種名かと思っていたが、松原先生の
    「日本産鉱物種 2002年版」や「日本産鉱物型録」には、「水鉛鉛鉱(黄鉛鉱)」
    とある。
     「水鉛鉛鉱」といえば、福井県中竜鉱山仙翁坑がまず頭に浮かぶ人が
    多いのではないだろうか。首都圏から近い北関東で産出する「水鉛鉛鉱」
    の良品は、仙翁坑産のものより美しい、と評価が高い。

 (2) この産地は、規模が小さく、2次鉱物が見られる露頭は限られている。その上
    採集品の母岩の多くが”ボロボロ”で、クリーニングの段階で”雲散霧消”してしまう
    「水鉛鉛鉱」が多く、私の標本として残ったのは数点でしかない。
     丹念に新しい露頭を探さないと、標本となる「水鉛鉛鉱」は難しいかも
    しれない。

 (3) Mさんが転石をめくると、細長い虫がへばりついていた。その動きは未だ緩慢で
    あった。産地の一部には残雪が見られるほどなので、彼らの活動時期では
    なかったらしい。
     後1ケ月遅ければ、彼ら『吸血鬼』の活動時期になり、タップリと献血させられる
    こと間違いなしです。そんな意味で、ここは間違いなく、”血の気の多い人”向きの
    産地です。

 (4) 2006年の年頭に、訪れてみたいと思った産地の1つが片付き、”ホッ”と
    している。同行していただいた石友・Mさんに厚く御礼申し上げます。
     この調子で、前々から課題となっている産地も開拓してみたいと、
    決意を新たにした。

 (5) 探査行とパートナー
      2006年5月のある朝、長野県の石友・Yさんから 「 湯沼鉱泉の社長が 
     『 甲武信鉱山の新産地を教えるから、私に電話しろ 』 との指示が
     あった」 と電話をくれた。
      還暦を機に、”晴雨読”の生活を楽しもうかと考えていたが、社会との
     接点も保ち続けいたい、との想いもあった。そんな折、前の職場の同僚の
     声掛けで、県内の福祉施設の事務処理を電脳化(コンピュータ化)するお
     手伝いを始めた。無報酬でほぼ毎日通っており、この日も行く予定だった。
      しかし、「 △△cmの日本式双晶が出た坑道 」 と聞いては心穏やかで
     なく、1時間半後には、湯沼鉱泉にいた。
      折からの雨模様で、ガスが立ち込めていたが社長を先頭に、甲武信鉱山に
     登りはじめた。社長が言う ”鉱山道”を目指して登ったが、”獣道”ばかりで
     一向にそれらしいものに行き着かない。
      それでも、社長は、「 もっと○だ 」を繰り返す。私も、Yさんも、何か変だ
     と思いながらも、甲武信鉱山を自分の庭のように知り尽くしている社長の
     言う事には逆らえない。1時間余り歩いた後、視界が開けた尾根に出た。
      麓の景色を見て、現在地をあれこれ推測し、尾根道を逆戻りすることに
     なった。( 社長は、「 もっと ○ 」 と言い続けていたが、2:1で決定 )
      ようやく、見覚えのある場所に着いた。そこは、「長峰」の頂上だった。

      長峰頂上のYさん

      このように、「探査行」では、産地を知っている(??)人だけに頼ってしまい
     参加者は、その後ろを盲従してしまいがちである。その結果、目的とする
     産地に行き着けない悲劇も起りうる。
      ( この時は、3倍時間が掛かったが、何とか行き着けた )
      従って、パートナーも、産地情報を記憶し、地図、地形を読む力を持って
     いないと効率的な探査が行えない。

      2人とも産地を全く知らない、今回の「北関東の水鉛鉛鉱」探査行は、その
     意味では大成功であった。パートナーのMさんに、改めて御礼申し上げます。

6. 参考文献 

 1) 渡辺 新六 et al:奥鬼怒地域調査報告,栃木県,1955年
 2) 加藤 昭:二次鉱物読本,関東鉱物同好会,2000年
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