アルプスの水晶 フルリーナと山の鳥

           アルプスの水晶 
         「フルリーナと山の鳥」

1. 初めに

   私の数少ないお気に入りテレビ番組の1つに、土曜日に教育テレビで放送
  される「新 日曜美術館」がある。この番組では、古今東西の絵画、彫刻など
  普段直接見ることができない作品を当代随一のゲストの解説で楽しめる。
   2005年1月、『スイス美の旅』が放送されたので、今までほとんどなじみがなく
  スイスの画家は誰一人知らなかったのだが、自然の美を交えた番組構成に
  引き込まれてしまった。
   番組の中ほどで、アイロス・カリジェが1946年に描いた「窓辺のカケス」という
  1枚の絵が出てきた。

      
  「窓辺のカケス」アイロス・カリジェ作・1946年
      【「新日曜美術館」から引用】

   それは、早春のスイスの山小屋の窓辺に、1羽の赤い羽をしたカケスが止って
  いる構図で、厳しい中にも暖かさを感じる色づかいで描かれていた。
   カリジェは、ポスターなどの図案作家としてスタートし、生涯に数冊の子供向け
  絵本の絵や文を書いていると紹介があった。その1冊「フルリーナと山の鳥」では
  主人公のフルリーナという女の子が短い夏を過ごした山小屋での出来事が
  描かれている。

       「フルリーナと山の鳥」表紙

   親鳥をキツネに殺された山の鳥を育て上げ、兄のすすめで自然に帰したが
  心配になって山奥に探しに行った。鳥の巣だと思った岩穴の中から、”光る石
  (水晶)”を探し出し、家に持ち帰り、家族はその美しさにうっとりとする、という
  挿話がある。
   この番組のゲストのケーニッヒ女史は「スイスの人々は、水晶を Mountain
   Crystal(山の結晶)と呼んで、なじみ深いものである」と述べていた。これは
  スイス人の口から自然に出た言葉だと思っている。
   このように、洋の東西を問わず、”水晶”には、人々の心を和ませる何かがある
  ような気がしています。

   この絵本は、日本では1974年に初版が出て以来、現在でも再版を重ねている
  ことを知り早速注文し、取り寄せたので、その内容もお知らせします。
  ( 2006年2月 情報 )

2. カリジェの人と作品

   「フルリーナと山の鳥」を翻訳した大塚勇三氏がカリジェの人と作品を次のように
   述べています。

   『 アロイス・カリジェ(1902-1985)は、現代の最もすぐれた絵本作家のひとり
    です。この人は、スイス中東部の山村の農家に生まれ、やがて町にでて
    装飾画のわざを習い、ポスターや雑誌絵などをかきながらも、さらに絵の勉強を
    つづけ、画家への道をすすみました。そのうち、1945年(昭和20年)、カリジェは
    詩人で女教師のゼリーナ・ヘンツから、山の子どもを主人公にした話を見せられ
    (原文のママ)て、それに心をひかれました。そこで、何度も、ヘンツのすむ
    スイス東部の美しい山村にでかけて、その世界にひたりながら、その話の
    ための絵をかきました。こうして、絵本『ウルスリのすず』(1945)が、つづいて
    『フルリーナと山の鳥』(1952)、『大雪』(1955)ができたのです。そして。故郷の
    村にもどったカリジェは、文も絵も自分でかいた絵本、『マウルスと三びきの
    ヤギ』(1965)、『ナシの木とシラカバとメギの木』(1967)、『マウルスとマドライナ』
    (1969)なども世に送りました。それらはみんな喜び迎えられ、さまざまの国
    までもひろまっていきました。
     これらの絵本には、そのどれにも、山の自然の美しさ、きびしさが、山の子ども
    のくらし、喜び、かなしみが、いききとえがかれていて、読者をその世界に
    ひきいれます。国際アンデルセン童話賞の画家賞をもらったとき、カリジェは
    「私は、自分の子ども時代のかがやきを、すべての子、とりわけ町の子ども
    たちに、いくらかでも伝えたいと願いました」といっていますが、その願いは
    これらの絵本のうちに、みごとに結晶しているといえるでしょう 』

3. 「フルリーナと山の鳥」

   「フルリーナと山の鳥」の原題は " FLURINA UND DAS WILDVOEGLEIN " と
  ドイツ語で書かれており、タイトルは、それをそのまま日本語に訳したものです。
   この本には、”水晶”が登場する絵が3箇所ありますので、それらの絵を中心に
  あらすじをお伝えします。

   主人公のフルリーナという山のむすめは、毎年夏になると両親そして兄と一緒に
  山小屋に行く。冬の間の家畜の飼料となる干し草を作ったり、牧場を巡ったり
  素晴らしい日々が続いていた。
   ある日、ひつじの番をしていると、「たすけて!」とだれかが叫んでいるようなので
  しげみを探してみると、親鳥をキツネに殺されたきれいな縞もようのあるヒナが
  フルリーナの腕に飛び込んできた。
   フルリーナはニワトリの囲いに入れて、お人形の茶碗で餌を食べさせ、あたまに
  ”鶏冠(とさか)”の代わりに、赤いリボンを結んであげた。
   タカに襲われたり、夜中に家を抜け出し高いシラカバの木に止ったり、目が離せ
  ないのでフルリーナは家の中の籠にいれることにした。
   ある日、両親と兄から「その鳥を、苦しめてはいけないよ。山の世界に行かして
  おやり」といわれたが、自分でははなせず、兄にはなしてもらった。
   それっきり、戻ってこない山の鳥が心配になって山奥に探しに行った。

   
氷河のふちまで行って、山を見上げると
穴があった。
 鳥の巣だと思った穴の中には、宝石の
ように”光る石(水晶)”があった。

   
 見つけた宝をもったフルリーナは
とびながら、小屋にかけもどった。
 家族はその美しさにうっとりと
見とれていた。
 これが、この小屋での最後の晩だった。

   
 次の日、フルリーナは馬車に揺られて
里の村に向かっていた。
 その手には、シッカリとあの水晶が握られて
いた。 フルリーナが、心を込めて岩山に
手を振ったとき、あの鳥がなかまにまじって
飛んできたのです。
 あの赤いリボンが舞い降りてきた。
 そして、鳥は「ありがとう! さようなら!」と
言っているようでした。

   フルリーナは、水晶を高く差し上げ、輝く石に向かって、ニコッとしました。
  すると美しい水晶の中では、青に七色に、全世界が、喜び躍っているのでした。

4. アルプスの水晶

   ゲストのスイスプロヘルヴェティア文化財団のレグラ・ケーニッヒ女史は
  スイス人々にとっての水晶を次のように語っていた。

   「 スイスの人々は、水晶を Mountain Crystal (山の結晶)と呼んで、なじみ
    深い 」

   また、解説の前田・慶応大学教授も、スイスの友人に贈られたという水晶を
  眼の前にして、次のような感想を述べている。

     アルプスの水晶

   「 水晶は、山の贈りもの、山そのもので、自然の象徴、本質 」

5. おわりに

 (1) 春山 行夫著「春山行夫の博物誌W 宝石@」に、西暦1世紀頃、プリニウス
    によって書かれた「博物誌」の水晶に関する記述が引用されている。

    『 水晶は、冬の雪が非常に冷たく凍る場所以外では発見されない。おそらく
     それは、氷の一種なので、ギリシャで”クリスタロス(氷)”と名付けられた。
     それは、アジアやキプロス島でも発見されるが、普通アルプスの高所で
     発見されたものが最も高く評価されている 』

 (2) 今から2,000年も前に「水晶はアルプス」というのが当時の”常識”になって
    いたようです。
     これは、「甲斐(山梨)の名物は、葡萄(ぶどう)と水晶」といわれていたのと
    よく似ています。

 (3) 20年ほど前に、「アルプスの水晶採り」(?)というデッサンを見たような記憶が
    ある。険しい岩壁をザイルを使って降りた青年が岩棚の晶洞から、まさに水晶を
    取り出そうとしている様子を描いていたような気がする。
     こんな、構図だった、と思い出しながら、書き散らかしてみた。

     アルプスの水晶採り

6. 参考文献 

 1)ゼリーナ・ヘンツ文、アロイス・カリジェ絵、大塚勇三訳
           :フルリーナと山の鳥,岩波書店,2003年
 2)春山 行夫:春山行夫の博物誌W 宝石@,平凡社,1992年
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