岐阜県福岡町福岡鉱山の緑柱石

岐阜県福岡町福岡鉱山の緑柱石

1.初めに

加藤・松原・野村先生共著の「鉱物採集の旅-東海地方をたずねて-」に
「岐阜県苗木地方の鉱物(1)」の章があり、福岡鉱山跡が”緑柱石”の
産地として紹介してあります。
また、「日本の鉱物」に掲載してある、ここ福岡鉱山産の1.7倍に拡大して
いるとは言え、ほとんどページ一杯の大きさの緑柱石の六角柱状結晶には圧倒され
いやが上にも採集意欲を掻き立てられます。
今回、妻と一緒に鉱物採集会の下見で訪れ、直径3mm、長さ1cmを超える
アクアマリンと呼べる薄い緑色透明の緑柱石とこの産地としては珍しい両錐の
煙水晶などを採集した。
(2002年7月採集)

2.産地

福岡町を国道256号線で北に向かうと「下野(しもの)」の交差点がある。
ここを過ぎ、300mも行くと右に入る道があり、256号線の一段高いところを
下野の交差点の方に戻る格好になる。
約200mも戻ると、左手に大きな杉の木の間に背丈以上もある石碑と山道を挟んで
墓石がある薄気味悪い場所がある。このあたりに駐車します。
福岡鉱山入口
石碑と墓石の間の山道を30mも上ると左に入る踏み分け道があり、30m位で
ズリに到達する。先ほどの踏み分け道の途中から竹林の方に向かって小道があり
それを辿ると約50mで坑道の陥没跡がある。

左:ズリ               右:坑道の陥没跡
         福岡鉱山跡

3.産状と採集方法

第2次世界大戦末期、昭和20年に書かれた長島乙吉氏の論文によれば、福岡鉱山は
第1次世界大戦当時(1910年ころ)星野某が約4年間、月産約100トンのタングステン
精鉱を産出したが、大戦終了に伴うタングステン鉱の価格下落により休山した。
昭和16年中谷太蔵が試掘に着手し、旧坑道を整備し、採鉱は手堀、手選・鉢揺などで
月産約100トンのタングステン精鉱を得つつあったが本人死亡。
これを譲り受けた中山・安藤両氏が昭和17年機械選鉱を導入した。
昭和18年末、準重要鉱山の指定を受け、岐阜県下に重きをなすに至った。
これより前、当鉱山で緑柱石が発見されると、第2次世界大戦遂行の戦略物資として
その重要性が脚光を浴び、木村健二郎博士、原田準平博士、柴田秀賢教授(いずれも当時)など
そうそうたる面々がこの鉱山を訪れた。長島氏も多田中将に伴って訪れている。
以後、福岡鉱山は緑柱石の採掘に重点をおき、選鉱した精鉱は理研に送られ
邦産ベリリウムの精錬に使われた。

福岡鉱山坑内図【長島氏の論文から引用】

福岡鉱山は細粒黒雲母花崗岩からなり、茨城県の山の尾に類似している。花崗岩は
各種の鉱物を伴うペグマタイトに所々貫かれている。最初は気成鉱床、最後は
熱水鉱床として生成したと推定される。
緑柱石の産状は、次のようであった。
(1)石英中に針状結晶をなす。これが放射状に集合するもの。
(2)鉄マンガン重石、輝水鉛鉱などと共に産する。
(3)鉱脈の中央に粘土のように分解したもの。
(4)晶洞中に赤粘土と共に美麗な翠緑色透明の結晶でアクアマリンと呼べるもの。
坑道はあちこちに残っていますが、危険なため入坑せず、採集はもっぱらズリが中心です。
何年か前に、陥没した坑道の壁面の石英脈から百本単位で針状の緑柱石が出た時期も
あったそうです。
ズリの砂をフルイで篩って、緑柱石を探します。ここの緑柱石には、粘土がベッタリと
付着していて良く見ないと分かりません。
福岡鉱山ズリでの採集
@細長いものがあったら、泥を取り除いて確認する。
A石英塊などは、”歯ブラシ”で土砂を除き確認する。
くらいの繊細(地味?)な採集です。

4.産出鉱物

(1)緑柱石【Beryl:Be3Al2Si6O18】
淡緑色をした柱状(マッチの軸くらいの太さ)で産出します。母岩付きの場合
針程度の太さです。
緑柱石
(2)煙水晶【Smorky Quartz:SiO2】
煙水晶で両錐のものを採集した。
煙水晶【両錐】
(3)水晶【Rock Crystal:SiO2】
透明水晶もあるが、表面に付着物があったりで透明で綺麗なものは少ない。
水晶【緑泥石?を含む】

文献には、ここの主要鉱物であった鉄マンガン重石の他に輝水鉛鉱
自然蒼鉛などを産するとありますが、見かけませんでした。

5.おわりに

(1)長島乙吉さんの論文には、福岡鉱山には主要鉱物の鉄マンガン重石よりも
緑柱石のほうが多かったと記述があるくらいで、丹念に探せば、確実に緑柱石が
採集できます。
(2)次回は、残されている坑内図を頼りに、広い範囲で探査して見たいと思います。

6.参考文献

1)長島 乙吉:研究報告 第1巻第12号 岐阜県恵那郡福岡鉱山・緑柱石鉱床,
    日本鉱物趣味の会,昭和20年
2)加藤昭、松原聡、野村松光共著:鉱物採集の旅-東海地方をたずねて-,築地書館,1982年
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