郵便物逓送用 封鉛(ふうえん:Sealing Lead)の研究(4)

                  鉄道郵便車フェスティバル 2015年秋
      ( Study of Japanese Postal Sealing Lead ? No4 −
                  Railway Post Festival ,Fall 2015 at Notonakajima Station )

1. はじめに

    骨董市で入手した小さな鉛の塊が書留郵便物などを入れた小郵袋の口を麻紐で縛った後、封緘
   するために使われた「封鉛」だと知って『 郵便物逓送用 封鉛の研究 』なる大仰なタイトルで「甲府
   郵趣」に寄稿したのはちょうど1年前だった。

    ・郵便物逓送用 封鉛(ふうえん:Sealing Lead)の研究(1)
     ( Study of Japanese Postal Sealing Lead -No1-, Yamanashi Pref. )

    その後、インターネットを通じて元鉄道郵便局乗務員の兵庫県・Nさんと知り合い、教えていただい
   たことをベースに続報(2)、(3)を寄稿した。

    Nさんからのメールで、『封鉛で封緘する作業が見られる「鉄道郵便車フェスティバル」が2015年
   9月19日に、のと鉄道・能登中島駅で開催される』と知った。
    前日に甲府を発ち、松本→安房峠→神岡→東茂住→富山の道中でミネラル・ウオッチングや“局
   めぐ“などを楽しみながら、能登中島駅に着いたのは夕刻だった。

2.  「鉄道郵便車フェスティバル2015年オータム & 思い出ゆうびん」

    19日9時から能登中島駅に保存・展示してある郵便車・「オユ10 2565」を会場にフェスティバルが
   開催された。主な内容は次の通りだ。

     @ 鉄道郵便車内及び乗務員作業実演見学(希望者は体験可能)
     A 中島郵便局臨時出張所開設
     B 鉄道郵便車グッズ販売

 2.1 「封鉛」を使った封緘作業体験
      Nさんに挨拶した後、鉄道郵便車内での作業を一通り体験させていただいた。区分表を見なが
     ら、郵便物を一人の受け持分の8列6段の棚に区分する。
      固定した郵便局ならどの棚はどこどこ宛ての郵便物と決まっているのだが、鉄道郵便車では
     上りか下りか、さらに何便かによって棚の分類が変わるので、棚の前に吊るしている区分表が
     頼りだ。

      若いころ、記憶力にはそこそこ自信があったが、最近では5歳の孫娘にトランプの『神経衰弱』で
     負けるようになってしまった『天呆穿人』にとって、8×6=48の棚の情報を記憶するのは不可能に
     近かった。一通毎に区分表を見る体たらくだ。おまけに、Nさんから、「MH、これはこっちの棚です」
     とダメ出しされる始末だ。

      【後日談】
      帰宅して間もなく、5月末に購入したばかりのPCのハードディスク(HDD)が壊れてしまい修理に
     出したが、フェスティバルとその前後に撮った写真など、ここ4ケ月間に格納した「データは復旧で
     きなかった」と連絡があった。
      当時の帽子を拝借して被った私がNさんの指導で区分作業をしている写真が翌20日付「北国新
     聞」の『北窓』というコラムに掲載された。
      PCのデータが消えてしまったので、これが今回の旅の唯一の写真となった。

     
                  Nさんの指導で区分作業を体験するMineralhunters
                    【「北国新聞」2015年9月20日朝刊 社会面】

    次に書留便に「郵便送達証」を添えて赤い小郵袋に入れ、口に麻紐を巻き付け「圧縮器」を使って、
   封鉛をつぶす作業を体験させてもらった。これで1年来の夢が叶った。

    この作業を体験したことで、「封鉛」そのものとその使い方でよく判らなかった点が解明された。当
   日、Nさんの勧めもあって作業ステップごとに写真を撮ったのだが、それらが利用できないため、後日
   撮影したものと鉄道郵便ワーキンググループ(WG)のHPから写真を引用させていただいた。

  (1) 未使用の「封鉛」
      骨董市で入手した「封鉛」はすべて潰され、麻紐も短く切られた使用済みの状態のもので、次の
     2点が不明だった。

      @ 「小郵袋」は“巾着”になっていて、麻紐は袋についていたのか。
      A 麻紐を通すための「封鉛」の構造

      「小郵袋の口を縛るように」とNさんから渡された長さ38センチ余りの麻紐がついた「封鉛」を見て、
     @とAの疑問は瞬時に氷解した。

      「封鉛」には直角方向に段違い(クロスしないよう)に『かまぼこ形』の穴が開いていて、一方の
     穴に端末を括った麻紐が通してある。
      従って、「小郵袋」は“巾着”にはなっていなくて、口に麻紐を3回ほど巻き付けたあと、麻紐をも
     う一方の穴に通してから「圧縮器」で「封鉛」を潰していた。

          
              全体(麻紐 全長38センチ余)               封鉛部(直径10.5ミリ、厚さ7ミリ)
                                 未使用の「封鉛」

  (2) 封緘作業
      ペンチを大きくしたような「圧縮器」の先に、「封鉛」を押し潰すため、局や便ごとに異なる「型」が
     取り付けてある。「封鉛」を“くわえ”て、取手を握ると柔らかい鉛でできた「封鉛」が潰されて封緘
     は終了する。どこまで潰すかは、“手加減”で決まる。
      下の写真の圧縮器は今の正式のものと違って、ペンチを改造したものだった、とのこと。

       
                「圧縮器」による封緘作業
               【鉄道郵便WGのHPより引用】

      “くわえ”にくくて、型と「封鉛」の中心を合わせるのが難しい。使用済に、“満月印”が少ない理
     由だ。Nさんが潰したのと私が潰したのでは、その出来栄えの差は歴然だ。

          
              Nさん【満月印】               MH【80%かかり】
                         潰した後の「封鉛」

      封緘後に余った麻紐の端末は、乗務員間の符牒では“散髪”と称して切り捨てるが、Nさんによ
     れば、これは新入りの仕事だった。
      開封は乗務員が持っているナイフで麻紐を切って中味を取りだすが、麻紐の切れはしがついた
     封鉛は床に放置され、勤務の終わりにホウキで集めてゴミ箱に放り込んでいた。使用済の封鉛は
     業者に引き取られた後溶解されて鉛地金に生まれ変わるが、麻紐が付いていると嫌がるので、
     パートさんが麻紐を切り取る作業をやっていたこともあったようだ。

      私が骨董市やネットで入手したものは、残っている麻紐が短く、溶解に回す直前のものだったら
     しい。

 2.2 中島郵便局臨時出張所による記念押印
  (1) 記念はがき
       このフェスティバルに合わせて、鉄道郵便車内の一隅に中島郵便局臨時出張所が開設され、
      大杉局長が切手やはがきの販売と記念押印をしていた。
       鉄道郵便車「オユ 10」などを描くはがきセット(5枚 300円)を購入し、見学記念スタンプを押
      して、宛名ラベルを貼って車内にあるレトロなポストに投函した。
       21日に帰宅すると妻宛てのはがきに記念小型印が押されて到着していたので、集友に送った
      実逓便も届いているはずだ。
       ( 郵趣会のMさんから、「絵葉書が届いた」とのハガキをいただいた )

          
                   記念小型印                   オユ10と見学記念スタンプ
                                  記念はがき

       のと鉄道の観光列車「のと里山里海号」は能登中島駅で停車し、オユ10車内の見学や郵便物
      をポストに投函することができる。このサービスは「思い出ゆうびん」と呼ばれ、投函された郵便
      物には上の記念印が押されて配達される。

       
          郵便車内に設置されたレトロなポスト
             【鉄道郵便WGのHPより引用】

 (2) 記念カバー
       このフェスティバルに参加した記念のカバー(封筒)を作成して持参した。封筒の図案は、「封
      鉛」と「封鉛による封緘作業」の2種類を準備した。
       これに貼る切手は、過去に発行された鉄道郵便を描く記念切手(A、B)を選び、ネットでシート
      単位で購入して置いた。

       A 郵便創業100年「鉄道郵便」 15円     1971年4月20日発行
       B さようなら鉄道郵便記念    60円連刷  1987年3月26日発行

       現行の封書の郵便料金は定型82円、重量便に120円があるので、Aの切手2枚(30円分)に
      52円の桜(ソメイヨシノ)を描く切手を貼り足すことにした。Bの切手は連刷2枚(120円分)を貼る
      ことにした。

       図案が2種、貼る切手が2種、これらを組み合わせて4種のカバーをそれぞれ数通作成した。
      こうして、実逓便として妻宛てに送った記念カバーの内の2種を紹介する。

       
                       「封鉛」を描く記念カバー
        「封鉛」を描く図案にAの切手2枚と52円の桜を描く切手を貼った例

       明治時代の封鉛の図案に、桜の枝葉に蕾と花があるのでこのコンビネーション(組み合わせ)
      はありかなと思う。

       
                  「封緘作業」を描く記念カバー
            「封緘作業」を描く図案にBの切手2枚を貼った例

       テーマ「鉄道郵便フェスティバル」と切手のコンビネーションは、まずまずだろう。

 2.3 鉄道郵便車グッズ販売
      数奇な運命を経て、現在「オユ10 2565」は、のと鉄道の能登中島駅に保存・公開されている。

      昭和44年(1969年)9月17日  新潟鉄工所で「オユ10 2045」として落成
                          尾久客車区に配置
      昭和51年(1976年)2月     大宮工場で冷房改造。「オユ10 2565」に改番
      昭和57年(1982年)11月15日  札幌運転所に転属
      昭和59年(1984年)2月1日   車中継送区分制度の廃止
                          自動車を主体とする郵便輸送システムに全面改正
      昭和60年(1985年)3月14日   青森運転所に転属
      昭和61年(1986年)10月1日   鉄道郵便による郵便輸送全廃
      昭和61年(1986年)12月25日  能登線甲(かぶと)駅側線に移送留置
      昭和61年(1986年)12月27日 車籍抹消 廃車となる。
                          甲駅は海辺にあるため、潮風で車両の腐食が進み当時の
                          写真を見ると痛ましい。
      平成10年(1998年)4月1日   ふるさと鉄道保存協会がのと鉄道から譲受、保存活動を開始
      平成10年(1998年)10月10日  第1回一般公開 「オユ10まつり」開催
      平成16年(2004年)11月17日  保存場所を七尾線能登中島駅に移転
      平成25年(2013年)6月〜9月  穴水駅で外装の全面塗装実施
      平成27年(2015年)4月     車内見学用のスロープをホームに設置
                          旧3番線から引き込み線に保存場所移動
      平成27年(2015年)4月29日  観光列車「のと里山里海号」の見学スポットになる。

      このように、のと鉄道の全面的な支援とふるさと鉄道保存協会の努力で維持しているが、その
     費用の確保が最大の課題で、鉄道郵便グッズの販売や募金活動を行っている。

  (1) 鉄道郵便グッズ
       郵便車内でグッズを何種類か販売していたのでそれぞれ数点ずつ購入した。

   A) 「2565」鉄道郵便展の記念品
       「2565」に因んで、平成25年6月5日に鉄道郵便展を開催した。このとき作成したフレーム切手、
      郵便創業100年記念切手を貼り、記念入場券2種を入れたタトウと暑中見舞いはがき2種をセット
      で販売していた。
       タトウの表紙には、能登中島駅の「オユ10 2565」を描き、モンキチョウが飛ぶ、能登ならではの
      のどかな図案だ。

       
                          タトウ表紙

       タトウの裏表紙には通し番号が印刷してあり、この番号と暑中見舞いはがきのクジ番号の
      下3けたが同じになっているという凝りようだ。さらに、切手コーナーを外さないと確かめようは
      ないのだが、Nさんの記憶だと入場券の裏の4ケタの番号も合わせたとのこと。
       私が購入したのは0084〜0087の4組だった。ということは、販売価格が1セット500円だから、
      今までの売上高は総額で5万円にも満たず、会の運営は財政的に厳しいようだ。

       タトウを開くと、「オユ10」の図面が載っていて、全長が20mの大きな郵便車だったことが判る。

             オユ10を描く         郵便車内での区分作業を描く       普通入場券         青線が入った
            フレーム切手           郵便創業100年記念切手                         普通入場券
           【石川・佐々波局】           【A欄 オユ10 2565】
       
                                             タトウの内側

       「オユ10を描くフレーム切手」と記念印そしてA欄「オユ10 2565」の鉄道郵便印は珍しいと思う
      ので、細部が判る写真を掲載する。

          
              フレーム切手と記念印                A欄「オユ10 2565」の鉄道郵便印

       セットに入っている暑中見舞いはがきの記念印もフレーム切手に押されているものと同じだ。

   B) 「ふるさと鉄道保存協会」絵葉書
       上のタトウと同じ春バージョンとモンキチョウを紅葉した銀杏の葉と赤とんぼに変えた秋バージ
      ョンの2枚の絵葉書をセット(200円)で売っていたので、5セット購入し、2セットを実逓便で妻宛
      てに送って置いた。

          
                   春バージョン                         秋バージョン
                            「ふるさと鉄道保存協会」絵葉書

       ただ、これに貼る52円切手が問題だった。春バージョンには現行の桜を描く切手で問題ない
      のだが、秋バージョンにピッタリの切手は販売していなかった。仕方なく、春バージョンと同じく
      現行の桜切手を貼って出した。
       このような絵葉書があると事前に知っていれば、これに相応しい切手を準備して出掛けたの
      だが・・・・・・・。

  (2) 募金活動
       郵便車の中に「募金箱」が置いてあった。観光列車が停まるたびに観光客が見学に訪れるの
      だが、「募金箱」にまで気が回る方は少ないようで、500円硬貨が1枚あっただけだ。
       まさに“貧者の一灯”だが、貴重な体験をさせていただいた感謝のしるしとして、献金させてい
      ただき、会場を後にした。

3. “局めぐ“ in 飛騨

    山梨を出発した18日は、シルバーウィークの始まりを翌日に控えた平日で、小さな郵便局も開いて
   いるので、能登半島への途中の町々で“局めぐ”を楽しんだ。

    私の趣味の一つ、鉱山・鉱物関係では、飛騨市(旧神岡町)には、神岡鉱山という銀や亜鉛で有名
   なヤマがあった。採掘が始まったのは奈良時代(720年ごろ)とされ、明治7年に三井組が経営すると
   活況を呈し、一時は『東洋一の鉱山』として栄え、その最盛期は昭和30年代で、2001年に採掘を止
   めた。
    ( 飛騨市に確認すると、「“閉山”はしていない」とのこと )

    主要な採掘場や製錬場は、神岡町の船津と東茂住にあった。今までにここを20 回以上通ってい
   るが、深夜や土日だったりして、郵便局が開いていない時だった。
    今回、神岡郵便局と東茂住郵便局を訪れ、この地に相応しい切手やはがきを購入し、記念押印を
   お願いした。

    神岡と聞いて多くの人が思い当たるのは、ノーベル賞で一躍有名になった「茂住坑」の地下1,000
   mにある「スーパーカミオカンデ」ではなかろうか。( 何のことかは解らないにしても )
    神岡局の風景印の左下に、この装置がニュートリノ(素粒子?)を捕える様子が描かれている。

          
                   神岡局風景印                 東茂住局日付印

       
            「スパーカミオカンデ」を描く絵葉書
               【神岡局恵与品の一部】

    【後日談】
    このページをまとめている時に、ノーベル賞の発表があった。前の日、山梨県出身の大村智博士が
   医学・生理学賞を受賞したのに続いて、梶田東京大学宇宙線研究所長が物理学賞を受賞した。
    これは、1998年に「スーパーカミオカンデ」で素粒子「ニュートリノ」に質量があることを証明した業績
   が評価されての受賞だ。
    建設・ニュートリノの観測で受賞した小柴先生に続く、「スーパーカミオカンデ」があればこその受賞
   だ。

    大村博士が心がけているのは、”人のため”で、これは以前紹介した青山士にも通じる、日本人の
   美徳の一つだ。

    ・ 長野県和田嶺トンネルと青山士(あきら)
     ( Wadarei Tunnel and Akira Aoyama , Nagano Pref. )

4. “ミネラル・ウオッチング“ in 能登半島

    フェスティバルに参加した後は、ミネラル・ウオッチング三昧だ。2015年4月、北陸新幹線開通を記
   念して兵庫県のN夫妻と明治時代に有名だった「宝達山の蛍石」を採集した。

    ・ 北陸新幹線開業記念
     北陸の古典的産地でミネラル・ウオッチング初め
          石川県宝達山の蛍石
     ( Mineral Watching in Hokuriku Area
      Celebrating the Hokuriku Shinkansen opening , - FLUORITE from Mt.Hodatsu - )

    この時、ピンク色をした「恋路海岸の霰石(あられいし)」も採集したかったが、高齢者のわれわ
   れには遠すぎて、諦めた。
    ナビで調べると会場からだと70km弱なので、能登半島の道路事情からすると1時間半で着け、
   少なくとも2時間は採集できると読んだ。そうと決まれ先ずは、腹ごしらえだ。道の駅「なかじまロマン
   峠」で寿司・そばセットをいただく。

    全国から22駅を選んだ「“鉄道むすめ”巡り」のスタンプがのと鉄道穴水駅に置いてあることを思い
   出し、立ち寄って押印する余裕すらあった。

          
                    台紙の表紙                 穴水駅設置スタンプ「和倉ななお」
                                「“鉄道むすめ”巡り」

    2時半過ぎに恋路海岸に着いた。2004年に初めて訪れ、翌2005年に再び訪れて以来だから10年
   ぶりだ。

          
            ロマンチックな名前の表示                      産地
                            「恋路海岸」【2004年 撮影】

    海岸に降りて、それらしい石を割ると、緑色のセラドン石に覆われた晶洞の中に各種の鉱物が観
   察できる。狙いは、ピンク色をした「霰石」だ。
    石を叩くこと2時間余り、直径7センチ強の花びら状「ピンク色の霰石」が入った大きな晶洞を開けて
   撤収した。

       
           花びら状「ピンク色の霰石」(径7センチ)

5.  おわりに

 (1) 謝辞
      本稿を終えるにあたり、「封鉛」や「鉄道郵便車フェスティバル」の開催について教えていただき、
     さらにフェスティバル会場でも作業体験指導などで大変お世話になった兵庫県のNさんに厚く御礼
     を申し上げる。

      元鉄道郵便局乗務員だったNさんの実務体験にもとづいた説明は、ひと言、ひと言が、万金の
     重みを持ち、聞いたことを書洩らすまいと必死だった。

      今回撮影した写真データが全部消えてしまったのは、「次回、もう一度参加しなさい」、ということ
     だと思う。

 (2) 貴重な文化遺産
      「封鉛」を使った封緘作業は鉄道郵便車内だけでなく、多くの郵便局で普通に行われていたが、
     現在ではここ以外では見ることができない。
      「オユ10 2565」はそれを伝えている貴重な文化遺産なので、いつまでも継承されるよう、微力
     ながら支援させていただこうと思う。

6. 参考文献

 1) 草下英明:鉱物採集フィールドガイド,草思社,1988年
 2) (財)日本郵趣協会カタログ委員会編:日本切手専門カタログ,(株) 日本郵趣出版,2000年
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