長野県佐久町大日鉱山の「灰クロム柘榴石」

   長野県佐久町大日鉱山の「灰クロム柘榴石」

1.初めに

 2004年7月、2回目のミニ採集会を「甲武信鉱山と川端下の鉱物を訪ねて」と題して開催した。
その日は、兵庫県の石友・Nさんご夫妻と「湯沼鉱泉」に一泊し、翌日佐久町の産地を回るべく
最初に訪れたのが灰クロム柘榴石で有名な「大日鉱山」であった。
 しかし、前夜の酒気が残っていた訳ではないが、産地を取違えて、「灰クロム柘榴石」は
そのカケラすら、お目にかかれなかった。
 8月の夏休みに、五無斎こと保科百助にちなむ「長門町中山の九曜星紋」や「上田市越戸の
玄能石」産地を訪れ、その帰りに場所だけでも確認しておこうと、大日鉱山に立ち寄ってみた。
 迷わずズリの場所を確認できたが、時間もなく目玉の「灰クロム柘榴石」は採集できなかったが
コーリング石、霰石など”茶色””白もの”は比較的多いことが分かった。しかし、クロムを
含む鉱物では、「菫泥石」の小さなカケラを採集したに止まった。
 アテネオリンピック柔道・阿武選手の”三度目の正直の金メダル”に倣うべく、その次の週も
訪れ、ようやく小さいながら「灰クロム柘榴石」を採集することができた。
(2004年8月採集)

2. 産地

   大日鉱山は、佐久町大日向(おおひなた)石堂(いしどう)にある、「乙女の滝」の近くです。
  駐車場の南の砂防ダムを越えると、ズリが広がっています。

    乙女の滝駐車場

3. 産状と採集方法

   大日鉱山は、クロム鉱山で、大日鉱業によって昭和12年(1937年)から採掘が始まった。
  クロムは、現在でもステンレスを初めとする特殊鋼の原料として重要であり、国内では
  資源が乏しい事から、重要鉱山に指定され、最盛期には136人もの従業員が働いていたが
  昭和20年(1945年)第2次世界大戦の終戦とともに閉山した。
   「日本鉱産誌」によれば、大日鉱山は、『古生層・中生層の境界に沿って迸入した蛇紋岩
  中に胚胎し、鉱床は不規則嚢状および脈状を呈する。
   集粒塊状鉱・粗粒斑状鉱・豆状鉱・縞状鉱(菫泥石・灰クロム柘榴石・硬蛇紋石を伴う)
   Cr2O3 40% 西部20、21、30号坑に残鉱がある。(1941年 地調)』

   この鉱山の鉱石はクロム鉄鉱で、蛇紋岩の中にあったようです。

   「信州の金属鉱山」によれば、『採掘は主に発破(はっぱ)を使っての露天掘りで
   採掘された鉱石は(小海線)羽黒下駅経由で名古屋に送られた。』

   「日本鉱産誌」や鉱物関係の雑誌を読むと、いくつかの坑道名も見られ、「信州の金属鉱山」
   にも、坑道から”ネコ(一輪車)”で鉱石を搬出する写真が掲載されており、坑道掘りも
   盛んに行われたと思われる。

       
        露天掘り            坑道
         採掘の模様【「信州の金属鉱山」から引用】

    採掘した鉱石は、女性たちによって手選別され、搗き臼で粉鉱にして、さらに比重選鉱して
   出荷された模様です。

       
        手選鉱               搗き臼
         選鉱の模様【「信州の金属鉱山」から引用】

   現在、露天掘りの跡が公害防止の土留めがなされ、その表面での採集が中心です。
  (土留めが1部崩れはじめており、大々的に掘ったりすると、採集禁止になる虞もあります。)

    産地【公害防止土留め】

4. 採集鉱物

(1)灰クロム柘榴石【Uvarovite:Ca3Cr2(Si4O)3】
    灰(かい)クロム柘榴石は、鮮やかなエメラルドグリーンで、クロム鉄鉱や菫泥石の
   表面や網目状の脈に沿って、皮膜状で産出する。

       
        クロム鉄鉱に伴う         苦灰石(?)に伴う
                 灰クロム柘榴石

(2)菫泥石【Kaemmererite:Cr(クロム)を含む緑泥石】
    菫泥石は、クロムを含む緑泥石の一種で、クロム鉄鉱に伴って、紫色の雲母に似た外観で
   産出する。大日鉱山のものは、湾曲した雲母、セリサイトそして紫色の透明滑石様の部分からなる。

    菫泥石

    古い鉱物雑誌を読むと、「長野縣大日鉱山産菫泥石の化学成分」と題する論文があり
   化学式を導き出していますので、紹介します。

    『 東北帝大理学部 岩石鑛物鑛床学教室    北原 順一   昭和21年12月5日
      長野縣南佐久郡大日鑛山の蛇紋岩中に産する塊状のクロム鉄鑛を粉砕すると、鮮美な
     紫紅色の真珠光沢を帯びた鉱物と淡緑色の蛇紋石が、クロム鉄鑛に随伴しているのが
     よく分る。
      細粒、純質な紫紅色鑛物を双眼顕微鏡下に選別したもの約0.5瓦を採って、110℃に
     乾燥し、化学分析試料に供した。
      分析結果及び分子比、原子比は次表の如くである。
   重量%分子比原子比原子比(0=1800)
SiO233.85564Si 564319
Al2O314.15139Al 278158
Fe2O30.584FeV 85
Cr2O33.9026Cr 5229
FeO2.1830FeU 3017
MgO33.27832Mg 832471
H2O12.24680H 1360771
      O 31771800
合計100.17    
     上表より化学式を求めると
     H7.71(Mg,FeU)4.88(Al,FeV,Cr)1.92Si3.19O18.00となり、W.E.Fordの与えたPennine
    及びClinochloneの化学式
       H8(Mg,FeU)5Al2Si3O18
    に近い。
     J.Orcelは化学成分より
     s=SiO2/R2O3 r=RO/R2O3 h=H2O/R2O3 c=Cr2O3/Al2O3
    を算出し、緑泥石類を分類した。
     ここに、 R2O3=(Al,FeV,Cr)2O3 RO=(FeU,Mg,Mn)O である。
     Orcelに従い計算すると
     s=3.337  r=5.10  h=4.0  c=0.187
     の値を示す。
     Orcelの説により、s=10/3〜11/3の範囲にあるから、Clinochlorepennineに属し
    クロームを含む緑泥石はClinochlore及びPennineであって、s=2.0〜3.7の範囲に
    あり、c>0.1の値を示すを以って、本産地の紫紅色鉱物を菫泥石と呼び得る。
     又、J.OrcelはCr2O3 0.85〜4.16% 含有するものは
     s=SiO2/R2O3=3/1 であって、化学式を
     3SiO2・(Al,Cr)2O3・5MgO・4H2O
     にて示している。
     0.55%の少量のCr2O3を含むものは、(s=)10/3で
     10SiO2・(Al,Cr)2O3・16MgO・11H2O
     なる式で、11.72%の如く含量の多いものでは
     10SiO2・3(Al,Cr)2O3・17MgO・13〜14H2O
     なる化学式で示している。
      本産地のものは、Cr2O3 3.90%であって、Orcelの 3SiO2・(Al,Cr)2O3・5MgO・4H2O
     に近い化学式を示すが、前記した如く s=3.337 であるから寧ろ
     

     10SiO2・3(Al,FeV,Cr)2O3・15(Mg,FeU)O・12H2O

     なる化学式を導くことができる。』
(3)クロム鉄鉱【Chromite:FeUCr2O4】
    蛇紋岩の中に塊状で産する。まれに、菫泥石や灰クロム柘榴石を伴う。比較的強い
   磁性を持っている。
   (クロム鉄鉱そのものは、磁性をもたないが、クローム鉄鉱中に混合している磁鉄鉱の
    分子が多いため、少し磁性を帯びているものと推察できる。)

    クロム鉄鉱【黒い部分】

    古い鉱物雑誌を読むと、「長野縣大日鉱山一番坑産クロム鉄鑛」「長野縣大日鉱山
   20番坑産クロム鉄鑛」と題する論文があり、それぞれの坑のクロム鉄鉱の顕微鏡観察と
   化学分析による化学式を導き出した結果を記載していますので、紹介します。
    この文献がでた昭和22年(1947年)ごろには、採掘は止めたものの、坑道は残っていた
   可能性があります。しかも、1番から20番まで、連続してあったかどうかは判りませんが
   坑道もいくつかあったようです。

項 目一番抗産20番抗産
顕微鏡観察細粒斑状鑛に属する集塊状鑛に近い細粒斑状鑛に属する
随伴鉱物蛇紋石2、菫泥石5蛇紋石1、菫泥石3
化学式(62FeU,38Mg)O・(5FeV,37Al,58Cr)2O3(58FeU,42Mg)O・(8FeV,40Al,52Cr)2O3

(4)この他、蛇紋岩に伴う、貴蛇紋石、霰石、コーリング石、滑石などが採集できます。

5. おわりに

(1)埼玉県越生の産地が消滅してから、山梨県の近傍で灰クロム柘榴石が採集できる場所は
   大日鉱山だけになってしまった。
   今まで、数回訪れたが、採集できなかったが、今回、初めて採集できた。
   しかも、ジックリ探せば、”結晶”も採集できそうな予感を感じました。
(2)大日鉱山には、坑道がいくつかあったようで、地元が建てた案内標識には”啓新坑”などが
   あり、訪れて見ましたが、すでに跡形もなくなっていました。
   (啓新:あたらしくひらく、からは鉱山の初期に開抗したことが窺われます。)
    初めの頃は、それぞれの坑に”名前”を付けていたのが、戦争も激しくなってくると
   一々名前を付ける余裕もなくなり、番号で呼ぶようになったのか、と想像しています。

       
           標識           坑(露天掘り?)跡
        旧大日鉱山”啓新坑”【昭和14年頃採掘したとの説明】

6. 参考文献

1)益富地学会館監修:日本の鉱物,成美堂,1994年
2)北原 順一:鑛物と地質第一巻・第三号−長野縣大日鑛山産菫泥石の化学成分について−
       日本礦物趣味の会,昭和22年
3)北原 順一:鑛物と地質第一巻・第六号−尖晶石属の化学的研究−
       日本礦物趣味の会,昭和22年
4)岩崎 重三:日本探鉱法,内田老鶴圃,昭和14年
5)長野市立博物館編:第43回 特別展 黄金と鉄 −信州の金属鉱山−,同館,平成11年
6)日本鉱産誌編纂委員会編:日本鉱産誌 T−C ,東京地学協会,昭和29年
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