『千葉石』異聞







                『千葉石』異聞

1. 初めに

    2011年も残すところ20日足らずになった。『2011年の鉱物』を選ぶとすると今年2月に
   正式に名前が決まった『千葉石(ちばせき:CHIBAITE)』もその候補の一つではないだろ
   うか。

    2011年2月、石友・Mさんから、『千葉石』決定」のメールをいただき、その翌日、
   私のHPの「掲示板」に、Sさんから「2月16日から千葉県中央博物館で『千葉石』展示」
   の書き込みがあった。その週末、千葉県立中央博物館を訪れたときの模様はすでにHPに
   掲載した。

    ・千葉県立中央博物館のトピックス展 『千葉石』
     ( CHIBAITE exhibited in Natural History Museum and Institute , Chiba , Chiba Pref. )

    2011年3月の大震災以降、仕事は繁忙を極めている。大震災からの復旧・復興、これと
   は関係なく計画していた新しいラインの構築・移設、そして製品仕掛を持つための一時的
   な増産、と息つく暇もないほどの忙しさだ。
    ( 今も生きているのだから、”息つく暇もない”は単なる言葉の綾だ )

    こういった忙しさの中での息抜きは、たまの休みに「骨董市」や「古書店」を巡ることだ。
   2011年11月、千葉県内の古書店に入ると「千葉大系図」なる本があった。普段ならば、
   千葉氏の系図などに興味はないのだが、虫の知らせと言うのだろうか、手にとってページ
   をめくると、巻頭の写真に『千葉石(ちばいし)』が載っているのには驚いた。

    醍醐天皇(在位897年−930年)の時代、千葉氏の先祖の屋敷に隕石が落ち、それに
   天皇みずから『千葉石(ちばいし)』なる名前を付け、これ以来千葉氏を名乗った、とある。
    この石は、まっ黒で、白い三日月と星の模様が入っているところから、千葉氏の嫡流は
   家紋を「月星」とし、その末流は「星」にした、とも伝えられている。

    古本の値段が高かったので買うのは見送り、千葉の石友・Mさんにお願いし、この本と
   関連する本のコピーをお願いしたところ、1週間ほどで送られてきた。
    それらを読むと、『千葉石』は、現在、千葉県佐倉市にある勝胤寺(しょういんじ)の寺宝
   として保管されているらしい。

    千葉県への2度目の単身赴任も、もうすぐ足かけ3年目を迎えようとしている。この間に、
   「千葉石(ちばせき)」の名が正式に決まり、もうひとつの「千葉石(ちばいし)」があること
   も偶然発見し、単身赴任の良い思い出が増えた。
    このページをまとめるにあたり、資料入手に御尽力いただいた石友・Mさんに、厚く御礼
   申し上げる。
    ( 2011年12月 調査 )

2. 『千葉石』の由来

    「千葉大系図」の平忠頼(経明とも称した)の項に次のような記述がある。

    『 延長八年庚寅六月十八日、誕生於下総国千葉郡千葉郷也。於此所忽水涌出。以此
     水為生湯矣。後世号湯花水。又葛飾郡栗原郷有不増不減之水。此水亦為生湯。・・
      此所葛飾大明神社也。俗呼謂千葉生湯之水矣。此時有祥瑞。備月星之小石墜於
     空中。此石入醍醐天皇之叡覧。勅号千葉石也。嫡流者月星為家紋、末流者諸星為
     家紋。其詳見花見系図。当家之秘。千葉氏之称始于此。然未顕於矣。後年歴任上総
     下総常陸介、陸奥守、叙四位下也。寛仁二年戌午十二月十七日卒。年九十     』

      平忠頼の父・良文は、平将門と共に戦った仲だった。忠頼は、延長8年(930年)
     6月18日、下総国千葉郡千葉郷に生まれた。
      生まれた時に、月と星の印をもつ小石が空から降ってくると言う吉祥があった。この
     石を醍醐天皇(在位897年−930年)がご覧になり、『千葉石(ちばいし)』、と名付けて
     くれた。
      これ以降、千葉氏と称し、嫡流は「月星」を家紋にし、末流は「星」を家紋にした。

      この『千葉石』は、寛文12年(1672年)、千葉氏の子孫・千葉介平正胤(ちばのすけ 
     たいらの まさたね)によって、佐倉城下内郷村(現佐倉市)の勝胤寺(しょういんじ)に
     奉納され、現在は寺宝として伝えられているらしい。

3. 『千葉石』とは

    石友・Mさんの尽力で、『千葉石』の写真を入手できたので、紹介する。

     
              『千葉石(ちばいし)』
             【千葉大系図から引用】

    この写真を眺めてみて、読者のみなさんもいくつか疑問を持たれるはずだ。

    @ 空から降ってきた小石
        空から降ってきた石、といえば「隕石」のことだが、この写真を見る限り、「隕石」と
       は思えない。私の眼には、白い方解石が入った河原の「転石」のように見える。
        「小石」は、せいぜい握り拳以下の大きさだろうが、写真を見る限り、子ども頭くら
       いはありそうで、「小石」と呼べないのではないか。
    A 「月星」
        石には「月」と「星」が見える、とされているのだが、写真には白い半月のような模
       様があるだけで、「星」は見当たらない。

4. おわりに

 (1) 『千葉石』
      漢字で『千葉石』と書いても、2011年新鉱物として名前がついた『ちばせき』のほか
     に醍醐天皇が名付けたとされる『ちばいし』があることを偶然知った。

      『千葉石』の名が新聞に掲載された際、私の赴任先の多くの人(全員)が、『ちばいし』
     と読んでいたことは既にHPに書いた通りだ。
      『いし・せき論』 をぶり返しても、詮方(せんかた)無いかもしれないが、私の石友
     (いしとも)のほとんどが、2011年に名前がついた新鉱物を『ちばいし』、と呼んでいる
     のには学者の皆さんも耳を傾けて欲しい。

      変化の激しい現在、”ブレないことに価値はない”

      さて、上の写真の『千葉石(ちばいし)』が頭にあって、たまの休みに南房総を訪れた。
     朝6時に自宅を出て、ミネラル・ウオッチングを楽しみ、遅めの昼飯を自宅近くのファミレ
     スで摂る、という高速道をフルに活用したスピード採集だ。

      2箇所目に訪れた『へそ石』の産地で、まっ黒いノジュール風の粘板岩の中に真白い
     「方解石」の斑点が入った転石を発見した。斑点が、「星」に見えるので持ち帰った次
     第だ。

     
              備「星」石

 (2) 改めて 「石(鉱物)なし県」 返上
      千葉県は、「石なし県」のイメージを持っている人も多いかも知れない。なぜなら、千葉
     県では、どこの県でもありふれた鉱物の1つ、「水晶(石英)」が全く出ないとされていた
     くらいだ。
      その千葉県で、選りによって、「石英(SiO2)」を主成分とする日本産新鉱物が発見され
     たのは、何とも皮肉なことだ。

      ごく最近、千葉県木更津市で、『メラノフロジャイト』なる『千葉石』と同じように、SiO2
     組成のケージ(鳥かご)状骨格構造をもち、ケージ内にCH4、CO2、N2などのガス
     (気体)を含む鉱物が発見された、との発表があった。
      この鉱物は、下総層群中にある保田層起源の礫から発見されたようだ。またまた、
     千葉県に単身赴任した良い想い出ができそうだ。

 (3) 頭を悩ます観察品
      とある露頭の下で、虹色に光るものがあった。手に取ってみると巻貝の表面が溶けて
     本来貝の内側表面にある真珠層が表になっていて、貝の内部は方解石に置き換わっ
     ているようだ。
      鉱物学的に、これを何と分類すれば良いのだろうか頭を悩ましている。単に「方解石」
     だろうか。
      『千葉石(ちばせき)』産地の近くでは、新鉱物の生みの親とも言える「シロウリ貝」の
     化石も発見されていると千葉県立中央博物館の展示の中にあったので、貝化石を手
     掛かりに新鉱物の産地を探すのも手かも知れない。

         
                   巻貝                   2枚貝【シロウリ貝?】
                        「方解石」化した貝化石

5. 参考文献 

 1) 千葉開府八百年記念祭協会編:千葉大系図 全,崙書房,昭和50年
 2) 朝野 雅文:千葉家実記,名著出版,1999年
 3) 門馬 綱一 et al :千葉県南房総市荒川から産出した包摂化合物結晶について
                日本鉱物科学会2008年年会講演要旨集,同会,2008年
 4) 松原 聡:日本産新鉱物・新産鉱物 鉱物情報No.162,鉱物情編集部,2010年
 5) 松原 聡 et al :千葉県木更津市産メラノフロイジャイト ,日本地質学会
                第118年学術大会 講演要旨集,2011年
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