千葉県で翡翠(ひすい)探し







            千葉県で翡翠(ひすい)探し

1. 初めに

    地震・津波・原発の被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。

    3万人近い死者・行方不明者をだした大震災の後、このようなHPを書いていて良いのだろうか、
   と想いつつキーボードを叩いている。そんなこともあって、このページに着手してからアップする
   まで、一ヶ月近くがかかっている。

    私が住んでいる千葉県でも、「計画停電」や「買だめ」そして「燃料不足」の影響で会社も私
   生活も不自由だ。が、被災地で肉親を亡くされ、住む家を失った人たちは私の環境と比べ物に
   ならぬほどの苦しみや悲しみを乗り越えて、『我慢(Gaman)』、『頑張って(Ganbatte)』おられる
   姿をテレビを通じて見るにつけ、逆にこちらが『元気(Genki)』をいただいている。

    非常時には人間の本性が出るもので、『日本人の品性・底力』、を海外のメディアが絶賛して
   いるのも頷(うなづ)ける。

    このページに着手して数日して、「東日本大震災」が発生した。東北地方では、寒空の下で、
   厳しい生活を送っておられる人々の事を考えると、停電で明かりも暖房もない中ではあるが、
   このような『能天気』なHPを書くことは許されるのだろうかという思いはある。

    震災勃発以来、土日返上で微力ながら生産ラインの復旧に尽力し、何とか操業再開までこぎ
   つけた。部品材料を宮城県にある会社から購入しているが、未だ生産が止まったままで、供給
   が切れれば再び操業停止のおそれもある。その上、「計画停電」で、真空引きや炉の加熱待ち
   時間がある電子素子生産ラインの稼働率維持は厳しいものがある。
    電力需要が増える夏場になったら、と考えると冗談でなく、”背筋が寒く”なる。

    私生活も、「買だめ」の影響や「水道水の放射能汚染」で、千葉と横浜に住む孫たちのミルク、
   紙おむつそして飲み水までが不足し、関西に住む石友から送っていただくなど御好意に支えられ
   て何とか凌(しの)いでいる。

    私自身が普段の生活に戻ることが、大震災復興の第一歩だと思い、このページを書き続ける
   ことにした。
    このままでは、『日本沈没』になりかねず、「ものづくり」を通して、震災の復興に微力ながら
   尽力する積りだ。皆様のご健勝を祈念している。
    ( 2011年3月5日着手 4月3日 アップロード )
  

2. 産地

    千葉県の電子部品メーカーから招請いただき、技術コンサルタントとして赴任してから約1年
   が経とうとしている。
    千葉県に来て、ミネラル・ウオッチングよりも「博物館」、「骨董市」、「古書店」そして「切手店」
   巡りが多くなっているような気がする。
    赴任して間もない2010年4月、とある骨董市を訪れると、「石器」や「勾玉」などの出土品を売
   っている店があった。店主との四方山話(よもやまばなし)の中に、『千葉県の○○で、翡翠
   出る』
、と聞いた。
    「翡翠」は無理にしても、土器のカケラくらいはあるのではないかと、妻と2人で訪れ、その結
   果をHPに掲載した。

    ・千葉県で石器拾い
     ( Stone Implement Hunting in Chiba , Chiba Pref. )

   あれから1年、店主の言った『翡翠(ひすい)』が気にかかり、思い出したようにそこを訪れた
   ら畑の縁(へり)に青緑色をした5cmほどの石が落ちていた。泥をコスリ落としてみると、青緑色
   の模様が目に飛び込んできた。

    このあたりは、土器や石器などが出土することは多くの人に知られているようで、私たち夫婦
   は地元の方の案内でここを訪れたのは、HPに書いた通りだ。

3. 産状と観察方法

    産地は、畑や耕作放棄地になっている。地主の方に断ると、作物が何も植わってない冬の時
   期だと、快く畑に入るのを許可してくれる。
    畑の表面を見ながら、歩き回って探す、”表採(ひょうさい:表面採集)”、という方法だ。ただ、
   採集した品は、写真を撮影した後、元あったあたりに戻したので、正確には、”観察”である。

4. 観察鉱物・岩石

    『翡翠(ひすい)』、と思ったのは、「緑色の絹雲母片岩」のようだ。さらに、『瑪瑙(めのう)』、
   『緑泥片岩』そして『紅簾片岩』なども観察できた。

 (1) 絹雲母片岩【Serite-schist】
      絹雲母、曹長石、石英などからなり、層状の白色の母岩淡緑色の斑(まだら)が見られ
     素人眼には『翡翠(ひすい)』、と勘違いされているのかも知れない。

        緑色「絹雲母片岩」

 (2) 瑪瑙(めのう)/石英【Agate/QUARTZ:SiO2
      白色〜飴色の塊状で、川を流れ下るときか、海辺で波に洗われたか研磨され丸みを帯びて
     いる。
      石器や装飾品を作る材料だったと考えられ、希に剥片も観察できる。

        「瑪瑙」

 (3) 紅簾片岩【Piedmontite-schist】
      紅簾石、絹雲母、石英などからなる紅色の結晶片岩。マンガンを含む珪岩が変成したもの
     とされている。

        「紅簾片岩」

 (4) 緑泥片岩【Chlorite-schist】
      緑泥石を主とし、緑簾石、曹長石などからなる緑色の結晶片岩。塩基性(酸、アルカリの
     塩基性ではなく、ケイ酸分が少ない意味)火山灰が積もってできた塩基性凝灰岩から変成
     したとされる。
      縄文時代の主要な石器の材料で、写真も「石棒」が層状の片理面で割れたもので、上下に
     研磨加工された円柱面を観察できる。

        「緑泥片岩」

 (5) チャート【Chert:SiO2
      青〜黒色、ガラス光沢、貝殻状破面をもつ塊状で産出する。チャートは、海の中に沈殿した
     珪酸からなり、潜晶質の石英からなる。
      千葉県にあるこの遺跡では、石鏃などの石器の材料として広く用いられたようで、写真の
     チャートも石鏃として加工されたもの。

        チャート製「石鏃」

 (6) 水晶/石英【QUARTZ:SiO2
      チャートに挟まれた石英脈の中に最大1mmほどの水晶が見られる。

          
                  母岩                        結晶
                               水晶

5. おわりに

 5.1 岩石・鉱物はどこから来たか?
      千葉県の遺跡で観察できる石材はどこから来たのだろうか、と考えていると、『秩父の岩石・
     鉱物標本』なる品が骨董市に並んでいた。

        「秩父の岩石・鉱物」

      標本には、「-長瀞を中心として-」、という副題が付き、秩父自然科学博物館が編纂した「岩
     石・鉱物標本の解説」という4ページの小冊子がついている。これが付いているから買う気に
     なったようなものだ。

      標本は、館長で東京教育大学(現筑波大学)の藤本治義博士が監修したもので、鉱物5種、
     岩石20種、計25種を納めたブック型標本だ。
      秩父と言いながら、水晶は、山梨県竹森の「ススキ入り水晶」になっているのは御愛嬌。
      雁坂トンネルが開通して以来、山梨県と秩父をつなぐ国道140号線は別名『さいかい(彩甲斐)
     街道』、とも呼ばれ、行き来が格段に便利になっている。HPにも掲載したように、山梨県の黄
     金沢鉱山では、閃亜鉛鉱の中に自然金が見られるなど、山梨県北部と秩父地方は鉱床学的
     に似ているようだ。

     ・山梨県黄金沢鉱山の「自然金」
      ( GOLD from Koganesawa Mine , Yamanashi Pref. )

      「秩父鉱物科学博物館」の歴史を調べてみた。

      大正8年(1918年)    「日本希元素鉱物」によれば、長島乙吉氏は、秩父鉄道株式会社
                     の委嘱をうけ、神保小虎教授の指導のもと、長瀞町に「秩父鉱物
                     陳列所」を創設
                      館のHPでは、陳列所の開設は、大正11年(1921年)で、正式名
                     が「秩父鉱物・植物標本陳列所」となっている。
      昭和24年(1949年)    「秩父自然科学博物館」開設
      昭和56年(1981年)    「埼玉県立自然史博物館」開設
                      「陳列所」、「自然科学博物館」の標本などは引き継がれた。
      昭和57年(1982年)    藤本博士死去
      平成18年(2006年)    「埼玉県立自然の博物館」としてリニューアル

       「秩父の岩石・鉱物標本」が作られたのは、冊子の紙質や印刷技術などから、昭和40年
      代だろうと思われる。
       ブック型標本は、長島乙吉氏の創意によるものとされている。今回入手した「秩父の岩石・
      鉱物標本は、長島乙吉氏が考案したブック型標本で、しかも氏が創設した「秩父鉱物陳列
      所」の伝統を受け継いだ「秩父自然科学博物館」が調製したもので、資料としての価値は
      高いと思う。

       さて、本題に戻ると、この鉱物・岩石標本の中に今回千葉県で観察できた石材の多くが
      含まれている。
       したがって、これらの石材は、秩父や長瀞から流れて東京湾に注ぐ荒川を通してもたら
      されたものだろうと推測している。
       また、「瑪瑙」は、北富田や玉川など瑪瑙産地として古墳時代から江戸時代まで有名だっ
      た茨城県北西部の可能性がある。

       ・茨城県常陸大宮市玉川のメノウと珪化木
        ( Agate and petrified wood from Tamagawa , Hitachiomiya City , Ibaraki Pref. )

 5.2 大震災雑感

  (1) 大震災の名前は?
       千葉県の電子部品メーカーから招請いただき、技術コンサルタントとして赴任してから
      約1年が経った。会社は、この3月から社名を横文字に変え、上場も間近とあり、微力なが
      らお役に立てているとすればこの上ない喜びだ。

       このページに着手して数日して、『大震災』が発生した。この大震災を「東北関東大震災」
      や「東日本大震災」あるいは「岩手県沖・・・・・」などと呼び名が新聞やテレビ局によってマ
      チマチで、この災害に対応できていない端的な例だ。
       日本語に深い愛着と造詣をもち、東北で育った井上ひさし氏が存命なら、「東北関東大
      震災」に何と言うだろうか。関東に住む者にとって、北関東は群馬県、栃木県そして茨城
      県北部、東関東は茨城県東南部や千葉県の一部を指している。これは、現在も建設が進
      んでいる「北関東自動車道」や「東関東自動車道」がどこを通っているか地図を見ればわか
      る。
       そうすると、「東北関東大震災」は、茨城県を中心に起きた震災ということになり、実態を
      表わす正しい日本語なのだろうか。

       被害を受けた東北、関東の語を生かすなら、『東北・関東大震災』、とでも表記すべきで
      はないだろうか。それともひとくくりにして「東日本大震災」だろうか。

       【後日談その1】
        4月1日、NHKの震災の呼び名が『東日本大震災』に変わった。4月1日は多くの組織で
       新人の入社や人事異動がある日だ。「東北関東大震災」が日本語としておかしいと思っ
       た人が変えるように指示したのだろうか。

  (2) 原発事故
       地震・津波に追い打ちを掛けたのが原発事故だった。福島原発から半径20km範囲の人
      たちは避難指示が出され、行方不明になった肉親を捜索する暇(いとま)もなく、”着のみ
      着のまま”故郷を離れなければならなかった。
       原発周辺県で産出する野菜や飲料水そして海水の放射能汚染などは、学生時代原子
      力工学を多少なり学んだ私にはある程度予想できたが、まさか孫が住む千葉県でまで
      飲料水の放射能汚染が広がるのは予測できなかった。

       放射能汚染のテレビなどの報道を見聞きすると、@放射能について解説者が無知なのか
      A知っていて聴視者(=国民)を騙(だま)している、のか疑問を抱かざるを得ないケースが
      ある。その一例が、総被曝量のマイクロシーベルト(μSv)と1時間当たりの被曝量μSv/H
      の混同で、違った単位の数値を比較し、小さい(少ない)から安全だと言っているのだ。
       国のお先棒を担いで、NHKなどが『安全キャンペーン』をやっているような印象だ。いた
      ずらに不安を煽るのは慎むべきだが、”長い日数被曝すると健康に影響がでる危険性が
      あるから、今後の動向を注視すべきだ”など、正しい伝え方が必要なのではないかと思う。

       【後日談その2】
        通電して照明がついた時のNHKニュース解説者の、「3人がガンマ線被曝したのも、
       暗くて水があるのが判らなかったからで、照明が点(つ)いたから・・・・・」には、呆れて
       いたが、その後、同行するはずの線量管理者がいなかったなどの問題があきらかになり
       挙句に「線量計が不足して全員がつけられない=付けていない」、など平常時でも安全
       管理に問題があったことをうかがわせた。

      『危険』なことを本能的に感じ、町民ぐるみで福島県内・外に移転する自治体や30km圏外
      からも県外に数万人が「自主避難」したようだ。
       原発事故が発生した直後、TVのインタビューに答えた女性が、『本当のことを言って欲し
      い。受け入れる心の準備はできている』、と答えていたのが住民を代表する声のような気
      がする。

       【後日談その3】
         4月2日、放射線被曝によるガン発生率の試算が公表された。観測された最大放射
        線量を浴び続けたら、という前提条件なので実際はこれよりも低いのだろう。

         NHKニュースの「飯舘村の子どものガン発生の増加率 0.25%、400人に1人。日本
        人の半数(50%)がガンになるのだから、グラフにしても差がわからないくらいだ」、という
        報道に眼と耳を疑った。

         0.25%(正確には、0.25ポイントか)は交通事故死(約0.005%)の50倍も高い確率に
        なる。この原発事故がなければ、罹(かか)らなくて済んだ子どもがガンになる、という
        視点に立てば、違った伝え方になった筈だ。

         震災発生直後、会社の管理者や若い人たちに、「 非常時には、隠れていた問題が
        顕在化するから、これを好機と捉(とら)え手を打つように 」、と話し、何件か改善しつつ
        ある。
         一連のNHKの震災・原発事故報道を見聞きしていると、科学知識もさることながら、
        より大切な報道人としての良識・良心を失っていないか、気になっている。

       ”着のみ着のまま”で思い出すのは、両親が満州(現中国東北部)から、引き揚げてきた
      ときの体験談を話してくれたことだ。1年あまり収容所生活を過ごし、ようやく日本に引き揚
      げる船の中で母が産気づき、私が生まれた。
       福島県にある両親の実家にたどりつた時、霜が降りる10月末だというのに、生後1ケ月
      の私が着ていたのは単衣(ひとえ)の産着だけで、まさに”着のみ着のまま”だった。
       両親のような引揚者は(あるいは多くの日本人が)ゼロからの出発だった。それでも、そ
      の後、日本は高度成長期を迎え、多くの人がそれなりに幸せな生活を築くことができた。
       少子高齢化が進み経済成長が期待できない中で、被災された皆さんの将来は決して平
      穏なものではないだろう。それだけに、国をはじめ手厚い支援が必要だと思い、私ができ
      る事として、募金箱に喜捨した。

6. 参考文献

 1) 長島 乙吉、弘三:日本気元素鉱物,日本礦物趣味の会,昭和35年
 2) 秩父自然科学博物館編:岩石・鉱物標本の解説,同館,昭和40年ごろ
 3) 柴田 秀賢、須藤 俊男:原色鉱物岩石検索図鑑,北隆館,昭和48年


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