別に、それに刺激された訳ではないが、今回は、「松茸水晶シリーズ」として、山梨
県と長野県の産地を回ってみることにした。
GWのミネラルウオッチングで、川上村の湯沼鉱泉に泊まり、空き時間に愛知県の
KNさんらと「天然水晶洞」を見学したときに「川上村穴沢産の松茸水晶」が展示して
あるのが眼に入った。
社長に聞くと、10年以上前に社長が「幻の扁平電気石」の産地を再発見したときに
採集したとのことで、東京の石友・Mさんを誘って、早速訪れ、 「松茸水晶」は、母岩
付と分離単晶が採集できた。
ズリを回っていたMさんが採集した 「約7cmの扁平電気石の完全結晶」 は
湯沼鉱泉の社長をして 『 良い(いい)もんだ 』、と言わしめる逸品である。
正に、”瓢箪から駒”で、私が採集した6cmの半分に割れた電気石の影が薄く
なってしまった。
産地の情報を教えていただいた湯沼鉱泉の社長、地元の石友・Yさん、そして同行
いただいたMさん、ASさんに厚く御礼申し上げる。
( 2007年5月採集 )
この本に記載された写真と現在の状況は、同じ場所とは全く思えないほどに変貌
している。
この産地は、社長や地元のYさんによれば、正しくは「御所平(ごしょだいら)」ある
いは「御所平穴沢(あなざわ)」と呼ぶので、このHPも「穴沢」 としてある。
産地だけでなく、「扁平電気石」の外観もわかりにくく、湯沼鉱泉に宿泊し、「天然
水晶洞」で、産状と標本を良く見た上で、社長に産地を聞いて訪れることをお勧め
する。
10年以上前、湯沼鉱泉社長が再発見した時には、坑内から母岩付電気石が採集
できたそうだが、今ではもっぱらズリでの表面採集かズリを掘ってみることになる。
破面をみると、この電気石は、単一の結晶からなるのではなく、多数の結晶が集
合していることがわかる。
平面(上から見た)
側面(横から見た、ソロバン玉状)
扁平電気石【最大径61mm】
破面の色は真っ黒で「鉄電気石【SCHORL:NaFe3Al6(BO3)3Si6O18(OH)4】と
同じだが、結晶の空隙に見られることがある細柱状〜針状の結晶は、透明〜灰
白色〜黄褐色で、「苦土電気石」らしさを示している。
もっとも、マグネシウム(Mg)と鉄(Fe)は、置換しあって、あらゆる比率のものが
あるので、肉眼での鑑定は難しい。
(2)松茸水晶/石英【scepter quartz/QUARTZ:SiO2】
石英脈そしてグライゼン中の石英塊の空隙に産する。透明度が高く、シャープな
結晶で美しい。
母岩付も採集できた。
「松茸水晶」には、軸より傘の部分が大きい通常のものと、われわれの仲間内で
”逆松茸”と呼ぶ、先細りになっているものがある。
(3)このほか、「鋭錐石」「板チタン石」などのチタン鉱物、「緑柱石」などのベリリウム
鉱物、その上「燐灰石」も産する、との報告があるようだが、今回は確認できな
かった。
(2) 穴沢の扁平電気石が世の中に知られたきっかけをつくったのは、”五無斎”こと
保科 百助であった。
この電気石をめぐるミニ歴史をまとめておきたい。
年 (西暦) | 人 物 | 出 典 | 内 容 | 備 考 | 明治31年夏 (1898年) | 五無斎 | 下記 |
川上村御所平、川端下を訪れ 穴沢の電気石を採集 | 来訪した神保小虎に 渡した(?) |
明治31年 (1898年) | 神保 小虎 | 地質学雑誌 |
本年(明治31年)夏 保科百助氏が得たる品に (第一) 同村御所平の電氣石あり Rのみ大いに發育して∞P殆 (ほとんど)見へぬ結晶を為し 最大の直徑凡(およそ) 貮(2)寸(6cm)にて、表面 雲母の如き者に分解せり、 (第二)・・・・・・・・・・ | 扁平電気石の存在が 初めて公になった |
明治40年 (1907年) | 和田 維四郎 | 本邦鉱物標本 |
黒色にして大なる釘頭状をなせる 周囲完全なる結晶(結晶面はR)を なす径凡60mmあり 柱面の発達極めて僅かにして R面の発達頗る大なり(2個) |
1900年のパリ万博に380種の 鉱物標本を出品した。 出品した鉱物は、和田標本を 除き、パリ地質調査所に 寄贈された。
持ち帰った和田標本は
|
明治42年 (1909年) | 五無斎 | 長野県地学標本 採集旅行記 |
5月12日 馬場署長、林巡査同道で この地の由井久平氏を案内に 穴沢山なる電気石産地に至る。 此地の電気石は工学士 高壮吉君の誤鑑によりて 俗に十勝石と称えきたれるもの なり。 偖此電気石は平たき斜方六面体と 六角柱の聚形を為し外面雲母に 変ずるもあり。 叉全然雲母となりたるものあり その全然雲母となりたるものは 電気石の仮晶を為せる雲母と いうも差支えなし。其太くて短きは 此鉱物を著名ならしめた所以にして 5円、10円(今の2、4万円)を投じ ても是非共採集を為さんと欲したれば 久平氏に托して更に多数の人夫を 上らすことの約束を為し・・・・』
5月15日 |
穴沢の電気石には未練が あったと見え、帰りにもう一度 立ち寄った 今から100年近く前の明治42年で さえも、穴沢の電気石は稀産と なっていた
今でも、一人で数個は採集 |
大正5年 (1916年) | 福地 信世 | 日本鉱物誌 第2版 |
黒色にして花崗岩中の 石英脈中に出づ。e及び 之に相当する下部の面を 主面とせる扁平の晶相にして a柱面頗る短く現る又mの小なる 柱面を有す |
結晶図を掲載
|
大正12年 (1923年) | 八木 貞助 | 信濃鉱物誌 |
古生層中に迸入せる ペグマタイト脈中に出づ e及び之に相当する下部の面を 主面とせる扁平の晶相を示し a柱面頗る短く現る 又mの小なる柱面を有す 最大の直径凡そ7センチに達す 黒色にして外面は分解の結果? 褐色燐片状をなす | 昭和15年 (1940年) | 小出 五郎 | 我等の鉱物 |
御所平に宿泊
『 旅館主人の言によれば | 現金採集(?) | 昭和44年 (1969年) | 地元の石友 Yさん |
小学校の遠足で訪れ ズリで電気石を30個以上採集 | 採集品は 担任に渡してしまった |
平成7年ごろ (1995年ごろ) | 湯沼鉱泉社長 |
試掘坑跡を再発見 電気石を母岩付で採集 | 「水晶洞」に展示 |
(3) 穴沢の「扁平電気石」は、昭和33年(1958年)、桜井、岡本両先生が決めた「日本
産鉱物50種」にシッカリ名を連ねている。
見てくれは、お世辞にも美しいとは言えないが、産地を訪れて、できるなら標本を
手にしたい、というメンバーも多いので、次回のミネラルウオッチングの候補地の
1つである。