長野県川上村御所平穴沢の電気石 その2

     長野県川上村御所平穴沢の電気石 その2

1. 初めに

   2007年晩秋のミネラルウオッチングの2日目、皆さんを「川上村穴沢の扁平電気石」
  産地に案内した。HPにも記載したように、参加者15名の内、自力採集できたのは6名
  採集した数は、小さなカケラも含め全部で13ヶで、”幻の産地”になりつつあるようだ
  と書いた。

   私が掘っていたあたりで集中的に出たので、1週間後に妻と2人で再訪した。先ず、
  試掘坑内の土砂を「フルイ掛け」する作戦に出た。これは、労多かっただけに実りも
  大きく「母岩付き」と「4cmの半完形品」が採集できた。

   次に、妻は試掘坑前のズリ、私は前回掘ったズリを掘ることにした。私の場所からは
  ”ボチボチ”電気石が姿を現わしてくれ、「5cmの半完形品」を筆頭に、7ケ採集できた。
   昼を摂ってから引き上げようと妻のところまで登ってくると、妻が 『 これでしょう? 』
  と差し出したのは、「6cmの完形品」だった!!

   報告のため「湯沼鉱泉」に立ち寄ると、社長が『 まだまだ、あるんだナ 』、と感慨深げ
  だった。社長に聞くと、『 完形品を持っているのは、日本(世界)で10人チョットだろう』
  との事で、貴重な品を妻は自力採集したことになる。

   まさに、” 殊勲 甲 ( 内助の功 ) ” である。
  千葉の石友・Mさんから、『 なぜMineralhuntersと複数形なのかが解った』とメールを
  いただいたことがある。( ここまでになるのに、7年ほどかかった )

   お姐さんが電話してくれ、やがて、石友・小Yさんも来てくれ、五無斎が泊まった宿の
  「坂本屋」の場所や扁平電気石が集落のすぐ近くの土木工事で発見された、など興味
  深い話をたくさん聞くことができた。

   HPにも書いたが、「穴沢の扁平電気石」の外観は、軽石のようで、まるで電気石らしく
  ない。ミネラルウオッチングのとき、どのような”顔”をしているのか、知らないのが、
  採集に苦戦した1つの理由のようだ。
   妻は、東京の石友・Mさんが「7cmの完形品」を採ったときに同行し、採集したものを
  現場で手に持たせてもらい、”外観(色と形)”、手に持った”ザラザラの手触り”、そして
  ”重さ(見掛けの比重)”、などを頭にインプットしておいたのが良かったようだ。

   産地には、午後になっても霜柱が見られ、ズリも凍てつき、来春まで採集者を寄せ
  付けない冬の眠りに就こうとしていた。
   ( 2007年11月採集 )

2. 産地

   ここは、草下先生の「鉱物採集フィールドガイド」には、「赤面山(あかづらやま)」の
  名前で、『 両錐電気石の産地として名高い 』、と記載されている。

   この本に記載された写真と現在の状況は、同じ場所とは全く思えないほどに変貌
  している。

       
      昭和30年代(?)              2007年
  【「鉱物採集フィールドガイド」から転載】
                穴沢の電気石産地

    この産地は、社長や地元の小Yさんによれば、正しくは「御所平(ごしょだいら)」ある
   いは「御所平穴沢(あなざわ)」と呼ぶので、このHPも「穴沢」 としてある。

    産地だけでなく、「扁平電気石」の外観もわかりにくく、湯沼鉱泉に宿泊し、「天然
   水晶洞」で、産状と標本を良く見た上で、社長に産地を聞いて訪れることをお勧め
   する。

    母岩付扁平電気石【「水晶洞」標本】

3. 産状と採集方法

   ここは、古生代の粘板岩にほぼ水平に貫入した厚さ約20cmの石英脈で、その上下が
  グライゼン化(石英脈の形成に先立って、入ってきた揮発性成分、たとえば水分とか
  弗素(F)などの作用で周りの岩石が主に石英や白雲母からなる岩石になること)して
  いる。
   石英脈には、大きな水晶が、グライゼン化した部分に「扁平電気石」や鋭錐石そして
  板チタン石などが成長したらしい。
   石英脈を中心に、写真に示すように、最大幅5m、高さ2m、奥行き4mの試掘坑が
  掘り込まれている。

    試掘坑

    10年以上前、湯沼鉱泉社長が再発見した時には、坑内から母岩付電気石が採集
   できたそうだが、今ではもっぱらズリでの表面採集かズリを掘ってみることになる。
    今回は、ペットボトルに水と歯ブラシを持参し、ブラシで擦って水洗いして確認する
   作戦をとったが、役に立ったのは歯ブラシだけだった。

4. 採集鉱物

 (1)苦土電気石【DRAVITE:NaMg3Al6(BO3)3Si6O18(OH)4
     何となく、全体として6角形の外形を残しながら、C軸方向に思い切り押しつぶした
    ような、扁平な異形で、表面は、茶褐色の小球状雲母のような皮膜に覆われ産す
    る。
     ズリで赤土が付着していると、ただの石ころと区別が難しい。6角のソロバン玉
    状で、破面や一部に黒色、ガラス光沢で平坦な結晶面が多数みられることが多い。
     手に持ってみると、”軽石状”の外観に似合わず”チョット重い”。これらの特徴を
    つかむことが、採集の”ポイント”である。
     ”電気石は黒い”と思い込んでいると、悲喜劇が起こる。晩秋のミネラル・ウオッ
    チングの1コマ。

     Tさん 「 この炭のような黒いのが電気石でしょうか? 」
     私   「 これは炭のような、ではなく、炭そのものです 」

        炭

   @ 母岩付き
       今回、母岩付きを初めて採集でき、「扁平電気石」の産状が良く理解できた。
      グライゼンの晶洞(ガマ)の中に成長した自形結晶で、表面に小さな球状白雲
      母や石英粒などの衣を被(かぶ)っている。

          
            全体【横:16cm】            部分
                    母岩付き扁平電気石
       

   A 分離結晶(「完形品」)

        「完形品」【横:6cm 妻の採集品】

   B 分離結晶(「半完形品」)
       「完形品」が割れて、結晶の形が約半分以上残っているものを「半完形品」と
      呼ぶことにする。これでも、結晶の形が十分類推でき、”鉱物学的には価値が
      ある”、と考えている。
      ( もちろん、これより小さな、”カケラ”でも、今どきは貴重なことは間違いない )

        「半完形品」【最大5cm】

      破面の色は真っ黒で「鉄電気石【SCHORL:NaFe3Al6(BO3)3Si6O18(OH)4】と
     同じだが、結晶の空隙に見られることがある細柱状〜針状の結晶は、透明〜灰
     白色〜黄褐色で、「苦土電気石」らしさを示している。
      もっとも、マグネシウム(Mg)と鉄(Fe)は、置換しあって、あらゆる比率のものが
     あるので、肉眼での鑑定は難しい。

         
            細柱状                針状
                   その他の結晶形

   (2) このほか、松茸水晶/石英【scepter quartz/QUARTZ:SiO2】はじめ各種の
    異形水晶が石英脈そしてグライゼン中の石英塊の空隙に産する。透明度が高く、
    シャープな結晶で美しい。母岩付も採集できる。

     「鋭錐石」「板チタン石」などのチタン鉱物、「緑柱石」などのベリリウム鉱物、さらに
    「燐灰石」も産する、との報告があるようだが、私は今まで確認できていない。

5. おわりに

 (1)  穴沢の「扁平電気石」は、昭和33年(1958年)、桜井、岡本両先生が決めた「日本
    産鉱物50種」にシッカリ名を連ねている。
     見てくれは、お世辞にも美しいとは言えないが、産地を訪れて、できるなら標本を
    手にしたい、というメンバーも多いので、晩秋のミネラルウオッチングで訪れた。

 (2) 穴沢の扁平電気石が世の中に知られたきっかけをつくったのは、”五無斎”こと
    保科 百助であった。
     このミネラルウオッチングに参加した、長野県の高校教師・Tさんは、”五無斎”が
    訪れた産地に立てただけで感激し、その上小さいながら3ケの標本を自力採集でき
    感慨ひとしおだった、と後でメールをいただいた。

     この電気石をめぐるミニ歴史をもう一度掲載しておきたい。

  年
 (西暦)
   人 物     出  典      内   容    備  考
明治31年夏
(1898年)
五無斎下記 川上村御所平、川端下を訪れ
穴沢の電気石を採集
 来訪した神保小虎に
渡した(?)
明治31年
(1898年)
神保 小虎地質学雑誌  本年(明治31年)夏
保科百助氏が得たる品に
(第一) 同村御所平の電氣石あり
Rのみ大いに發育して∞P殆
(ほとんど)見へぬ結晶を為し
最大の直徑凡(およそ)
貮(2)寸(6cm)にて、表面
雲母の如き者に分解せり、
(第二)・・・・・・・・・・
扁平電気石の存在が
初めて公になった
明治40年
(1907年)
和田 維四郎本邦鉱物標本 黒色にして大なる釘頭状をなせる
周囲完全なる結晶(結晶面はR)を
なす径凡60mmあり
柱面の発達極めて僅かにして
R面の発達頗る大なり(2個)
1900年のパリ万博に380種の
鉱物標本を出品した。
 出品した鉱物は、和田標本を
除き、パリ地質調査所に
寄贈された。

 持ち帰った和田標本は
三菱に買い上げられ、現在は
三菱マテリアルに保管されて
いると考えられる


     和田標本
 【三菱マテリアルHPから引用】

明治42年
(1909年)
五無斎長野県地学標本
採集旅行記
5月12日
 馬場署長、林巡査同道で
この地の由井久平氏を案内に
穴沢山なる電気石産地に至る。
 此地の電気石は工学士
高壮吉君の誤鑑によりて
俗に十勝石と称えきたれるもの
なり。
偖此電気石は平たき斜方六面体と
六角柱の聚形を為し外面雲母に
変ずるもあり。
叉全然雲母となりたるものあり
その全然雲母となりたるものは
電気石の仮晶を為せる雲母と
いうも差支えなし。其太くて短きは
此鉱物を著名ならしめた所以にして
5円、10円(今の2、4万円)を投じ
ても是非共採集を為さんと欲したれば
久平氏に托して更に多数の人夫を
上らすことの約束を為し・・・・』

5月15日
 井出郵便局長同道、人夫2人従え
穴沢山に至り終日電気石を採集。
得る所5、6塊には過ぎざるなり
5、6塊には過ぎざるは善けれど
仮令(たとえ)何十人何百人の人夫を
かけたればとて600の標本を得る
見込みは立たない。

穴沢の電気石には未練が
あったと見え、帰りにもう一度
立ち寄った
今から100年近く前の明治42年で
さえも、穴沢の電気石は稀産と
なっていた

今でも、一人で数個は採集
できるのに、大人4人で
終日やって5、6個は?
完全結晶のみを採集しようと
したのだろうか(?)

大正5年
(1916年)
福地 信世日本鉱物誌
  第2版
黒色にして花崗岩中の
石英脈中に出づ。e及び
之に相当する下部の面を
主面とせる扁平の晶相にして
a柱面頗る短く現る又mの小なる
柱面を有す
結晶図を掲載


大正12年
(1923年)
八木 貞助信濃鉱物誌 古生層中に迸入せる
ペグマタイト脈中に出づ
e及び之に相当する下部の面を
主面とせる扁平の晶相を示し
a柱面頗る短く現る
又mの小なる柱面を有す
最大の直径凡そ7センチに達す
黒色にして外面は分解の結果?
褐色燐片状をなす
  
昭和15年
(1940年)
小出 五郎我等の鉱物 御所平に宿泊

『 旅館主人の言によれば
 電気石産地は既に荒廃し
 採集困難な模様なりと
 然れども附近村民にて
 尚昔時の もの所有する
 ものあり
 吾々も僅かながら入手
 するを得た 』

 現金採集(?)
昭和44年
(1969年)
地元の石友
Yさん
  小学校の遠足で訪れ
ズリで電気石を30個以上採集
採集品は
担任に渡してしまった
平成7年ごろ
(1995年ごろ)
湯沼鉱泉社長  試掘坑跡を再発見
電気石を母岩付で採集
「水晶洞」に展示

 (3) 湯沼鉱泉社長の話では、『 完形品を持っているのは、社長以外に無名会のT氏
    東京の堀先生、H氏、Mさん、愛知のKNさん、H氏、長野の小Yさん、そして私たち
    夫婦。湯沼に寄らない人で採集した人もいるだろが、それにしても日本(=世界)で
    10人チョットだろう』
、との事で、貴重な品を妻は自力採集したことになる。

     ミネラル・ウオッチングは採った標本を売る金儲けではなく、”趣味”なので、その
    スタイルは万人万様であって良いと思う。
     ただ、”良い扁平電気石を採りたい”と思ったら、「湯沼鉱泉」に泊まって、天然
    水晶洞」で実物をジックリ見て、社長に頼んで手に持たせてもらい、産地を良く聞い
    てから行くことをお勧めする。できれば、産地を良く知った人に案内してもらうのが
    一番だろう。

     「天然水晶洞」に飾ってあった、「向山鉱山の水晶・巨晶」が2週間ほど前に盗まれ
    社長がガッカリしていた。( 前にも、「川端下の双晶・美晶」が盗まれた )
     盗まれた標本もさることながら、石好きな人(?)が盗んだことの方が、よりショック
    だったようだ。

 (3) 産地には、午後になっても霜柱が見られ、ズリも凍てつき、来春まで採集者を寄せ
    付けない冬の眠りに就こうとしていた。

        
             遠望               霜柱
                 「扁平電気石」産地

6. 参考文献

 1)和田 維四郎:本邦鉱物標本,東京築地活版製造所,明治40年
 2)福地 信世:日本鉱物誌 第2版,丸善株式会社,大正5年
 3)八木 貞助:信濃鉱物誌,古今書院,大正12年
 4)小出 五郎:長野県川上村川端下附近の鉱物 我等の鉱物,昭和16年
 5)日本岩石鉱物鉱床学会編:岩石鉱物鉱床学会誌 総目録
                    第1巻(昭和4年)−第42巻(昭和33年),同学会,昭和34年
 6)佐藤 博之:博覧会と地質調査所 百年史の一こま 地質ニュース372号
           地質調査所,1985年
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