福井県美山町赤谷鉱山の”金米糖”(自然砒)

1. 初めに

  福井県にある赤谷鉱山は「金米糖状自然砒」の産地として、鉱物コレクターの間で
 世界的に有名です。2003年には、3回ほど訪れ、”金米糖”のほかに”サイ形”など
 稀産とされる自然砒の結晶や金米糖のでき方を暗示する”卵型”(私の造語)など
 を採集できた。
  2004年は一度も訪れることなく、集中豪雨で、福井市内をはじめ足羽川(あすわがわ)
 流域が洪水で大きな被害受けたことをテレビで見て、その後の産地の状況が気に
 なっていた。
  2005年5月、京都府の石友・Tさんにお会いしたとき、『赤谷の金米糖は1つも採れ
 なかった』と漏らしていたので、さらに気になり、産地の現況を確認するため
 「能登・加賀鉱物採集の旅」の途上、立ち寄ってみた。
  産地近くの足羽川岸の立ち木には、3、4mの高さに流木が引っかかって残っており
 集中豪雨の凄まじさをまざまざと思い知らされた。産地の赤谷川は、新しく護岸工事が
 なされ、以前と全く違う趣になっている。
  ズリは、以前に比べ堆積している土砂が少なくなり、やせ細った感じで、最初なかなか
 採集できなかったが、ポイントを絞り込み、今回も、”金米糖”や”母岩付き”をいくつか
 採集することができ、産地が健在である事を確認できた。
(2005年7月採集)

2. 産地

  赤谷鉱山は、福井足羽郡美山町赤谷にあります。以前、産地への入口にあった
 「赤谷→」の標識はなく、橋の欄干はグニャグニャに曲り、大きな流木や岩が衝突した
 ことを思わせる。入口にあった家は川から離れた位置に新築され、工事関係者の
 宿舎と思しきプレハブが建っている。
  以前は薄暗い産地であった、赤谷川の護岸工事が済み、今では明るい産地に
 変貌している。

    赤谷川【護岸工事も新しい】

3. 産状と採集方法

  「日本鉱産誌」によれば、赤谷鉱山は、味見鉱山とも呼ばれ、明治末、大正初めに稼行
 した。群馬県西牧鉱山と同じ「浅熱水水銀・砒素・アンチモン鉱床」で、黒雲母花崗岩・石英
 粗面岩、それらを貫く安山岩岩脈からなっている。
  石英粗面岩中の石英脈(一部粘土化)の中に、輝安鉱とともに自然砒が産する。母岩から
 抜け落ちた分離単晶や周囲が丸みを帯びた礫状の母岩に付いた母岩付きが探し出せます。
  今回は、ズリの土砂を川の中でパンニングして採集した。

4.産出鉱物

(1)自然砒【Native Arsenic;As】
   自然砒は、母岩付きと分離結晶とが採集できます。
   分離結晶では、今回、長径15mmの「ズシリ」と手応えのある(比重:5.78)
   ”金米糖”と呼べるものを筆頭に、約10ケ採集できました。
   「福井縣鑛物誌」によれば、『斜方6面体Rの主軸の仝心放射状集合は
    金米糖状の球を造る。径10乃至15ミリあり。』
とあります。
   大半は、表面の酸化が進み真っ黒だが、中には、新鮮で表面が金属光沢を示すもの
   もあり、砒素は金属であることが解る。
    母岩付きは、金米糖が母岩にシッカリと喰い込んでいますが、回りが風化して
   抜け落ち易くなっているのが分かります。
       
       単晶【1目盛:1cm】           母岩付き
                     自然砒

(2)輝安鉱【Stibnite;Sb2S3】
   母岩には、輝安鉱脈が走り、その劈開面が針状〜柱状にみえ、空洞には
   小さな頭なし単晶もみられます。
    輝安鉱

5.おわりに

(1)ズリに取り付いて小一時間、自然砒らしきものが全くパンニング皿にのこらず
  ”絶産”の2文字が頭をよぎった。何個所か場所を変え、ようやく”あたり”を
  見つけることができた。
   産地の”健在”を確認でき、”ホッ”としています。

(2)「福井縣鑛物誌」によれば、”金米糖状自然砒”の発見の経緯は次のようです。
   『和田(維四郎)氏「日本鑛物誌」によれば、明治25,6年頃、独逸フライベルヒ
    鉱山大学のステツネル地質学教授が本鉱物を日本産として得、其精細なる産地
    及産出の状態を知らむことを和田氏に照会したことがあり。当時、和田氏も
    未だ之を知らず。百(ママ)方捜索して、始(ママ)めて、赤谷産なることを
    知り得たり。
    但該鉱物は、篠本氏が他の鑛物と共に独逸のクランツ(商会)へ輸送したる
    中にありたるものなりと云う。』
とあります。

6.参考文献

1)市川 新松:福井縣鑛物誌,同,昭和8年
2)日本鉱産誌編纂委員会:日本鉱産誌(BT-a) 金・銀その他,東京地学協会,昭和30年
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