113番元素の発見









               113番元素の合成・発見

1. はじめに

    2015年、私が住む山梨県出身の大村 智さんがノーベル医学・生理学賞を受賞するなど、日本
   の科学技術のレベルの高さを改めて認識させてくれた。その熱も冷めない年末になって、理化学研
   究所が合成した113番目の元素の命名権を得られそうだというニュースが入ってきた。
    次のページで「新発見の113番元素」のニュースを紹介したのが2006年2月だったから、その証明に
   10年かかったことになる。このニュースを社内技術士会報に寄稿したのが今回発見チームのリーダー・
   森田 浩介氏だった。

    ・” Y ”のはなし
    ( Story of " Y " ( Yttrium ) , Yamanashi Pref. )

    ”STAP細胞”騒ぎで味噌をつけた理研だったが、これで失地を挽回し、”ホッ”とした研究者も少な
   くなかったろう。

    上のページでも少し触れたが、その存在を予測されながら発見されていない「周期表」の空欄が
   今回一挙に4つも埋まったことになるらしく、「周期表」を考え出したメンデレーエフの『先見の明』には
   改めて畏敬の念を覚える。

    メンデレーエフについて詳しく知りたいと思い、古書店で伝記をみつけ読み進めている。たまたま目
   にした新聞記事に、「明治24年(1891年)、メンデレーエフの息子・ウラジミールは海軍士官として
   ロシア皇太子・ニコライ(後のニコライ二世)に随行して日本を訪れた。何回か日本を訪れたウラジ
   ミールは長崎の日本人女性・タカと恋に落ちた。タカは身ごもり、ウラジミールはロシアに帰り、33歳で
   病死した。
    『娘が生まれました。富士山にちなんで、おフジと名付けました』、というタカの手紙がサンクトペテル
   ブルクのメンデレーエフ博物館・文書館にあるという。老化学者は、
(今の私とあまり違わない73歳で
   亡くなるまで)遠い島国で暮らす孫娘を案じながら晩年を過ごしたという。」、とあった。

    『地球一周旅行』では、サンクトペテルブルクにも立ち寄るので、メンデレーエフ博物館を訪れたいと
   思っているのだが、団体旅行と違いロシアでの個人旅行にはビザの取得が必須で、障壁も高い。
   ( 2016年2月 作成 )

2. 元素の「周期表」とは

    鉱物はじめ身の回りにある全てのものは、さまざまな「元素」が集まってできている。水晶は「珪素
   (Si)」と「酸素(O2)」でできており、、植物や動物の大部分は「酸素(O2)」、「炭素(C)」、「水素(H2)」
   そして「カルシウム(Ca)」などからできている。

    これまでに、100種類以上の「元素」が知られている。これらの元素を分類する規則があるのだろう
   か。古くから、元素の並び方には多少の規則性があることはわかっていたが、全ての元素を体系的に
   分類できる方法は、なかなか発見されなかった。

    1869年(明治2年)、ロシアの化学者・メンデレーエフが「周期表」を考案した。これは、化学的に
   似た性質をもつ元素が縦に並ぶという画期的なものだった。

    
       メンデレーエフを描く切手
     【ポーランド 1959.11.10発行】

    その後、「周期表」は発展をとげ、現在の形へと発展してきた。私が高校生だった50年前、「周期
   表」ではなくて、「周期律表」と呼んでいたと記憶する。
    半導体産業に携わり始めたころ、珪素(Si)やゲルマニウム(Ge)はW族、不純物として添加する
   ガリウム(Ga)やインジウム(In)はV族、リン(P)や砒素(As)はX族と呼んでいた。

    最新の「周期表」を掲げておく。

    
                        「周期表」(2016年2月)

    現在まで発見したと報告がある118番目までの元素にはラテン語で仮の名前が付けられるようにな
   ったのも最近のことだろう。
    理研が合成・発見した113番目には「ウンウントリウム(いち・いち・さん)」、115番目「ウンウン
   ペンチウム(いち・いち・ご)」、117番目「ウンウンセプチウム(いち・いち・なな)」、118番目「ウンウン
   オクチウム(いち・いち・はち)」という具合だ。

3. 113番目元素の合成・発見

    原子番号92のウラン(U)は、自然界に比較的豊富に存在する元素の中で一番原子番号が大き
  くて、93番目以降の元素は超ウラン元素と呼ばれる。
  93番のネプツニュウム(Np)と94番目のプルトニューム(Pu)は微量だが自然界に存在することが確認
   されているが、それ以降の超ウラン元素は自然界では確認されていない。その理由は、地球(太陽
   系/宇宙?)が生まれたときは存在していたが、一番半減期が長い237Npでも214万年と、地球の
   年齢の1000分の1にも達していないため、最初の量の10億分の1以下に減少し、現在では消滅し
   去ったと考えられる。

    113番目の元素も自然界には存在せず、2つの元素を勢いよく衝突させて”核融合”を起すことで、
   ”合成”するしか手はないのだ。83 + 30 = 113 になる計算だ。
    2006年の発表では、「83番のビスマス(Bi)の原子核に30番の亜鉛(Zn)の原子核を100兆回衝
   突させ、80日間かけてわずか1つの原子を確認した。しかも、この元素の寿命は0.0003秒で、既に
   ない」
、とあった。

    
          元素合成の原理

    原理的には単純なので、超ウラン元素の合成に取り組んでいるのは日本だけでなく、そこに”先陣
   争い”が起こっていた。

   年 月              イ ベ ン ト
2003年9月 理研が合成実験開始
2004年2月 米ロの共同チームが113番目元素の合成に成功と発表
2004年7月 理研で合成確認(第1回目)
2005年4月 理研で合成確認(第2回目)
2012年8月 理研で合成確認(第3回目)
2015年8月 化学と物理の国際学会の議題に
「命名権をどの国に与えるか」が上がる。

→このタイミングでは、発表されず。

2015年12月 国際学会が、「理研に命名権を与える」と発表

    経緯を見ると、米ロの共同チームが理研よりも先に合成に成功したと発表している。しからば、理
   研に命名権が与えられた理由は何だろうか。
    それは、『理研の方が確実性が高かったから』と言えそうだ。先に述べたように、113番目の元素は
   瞬時に”崩壊”して、別な元素に変わってしまう。その崩壊の履歴を確度高く追跡できたということだ。

    
                113番元素の崩壊

    理研によって、113番目元素は、アルファ粒子を放出しながら2つずつ原子番号が小さくなっていき、
   4回のアルファ崩壊の後ドブニウムになり、さらにその後2回のアルファ崩壊を起こしたと確認されていた。

    113番 → 111番「レントゲニウム(Rg)」 → 109番「マイトネリウム(Mt)」 → 107番「ボーリウム(Bh)」
   → 105番「ドブニウム(Db)」 → 103番「ローレンシウム(Lr)」 → 101番「メンデレビウム(Md)」
    6回の崩壊で、メンデレーエフにちなんで名付けられたメンデレビウムにたどり着くのも何かの縁なの
   だろう。
    ドブニウムはアルファ崩壊を起こすことが別な機関によって既に確認されていたので、理研は他の
   研究チームよりも「確度が高い」ことと判断され、命名権を獲得した。

4. 113番目元素の名前は

 4.1 幻の元素「ニッポニウム」
      日本には命名権を得たことで研究者が沸き立つ理由がある。それは、10年前のページでも書
     いたが、新発見だと思われた「ニッポニウム」が幻に終わった悔しい思い出があるからだ。その経緯
     をもう一度松原先生の「日本の鉱物」のコラムから引用させてもらう。

      『 ・・・・小川正孝(後の東北大学総長)は、1908年に43番目元素を発見したと考え、これ
       に、「ニッポニウム」という名前を与えた。しかし、1937年にこれは天然に存在せず、人工的に
       作られるテクネチウム(Tc)であることがわかり、新元素「ニッポニウム」は抹消されてしまった。
        ところが、小川が発見した元素は質量数がテクネチウムのほぼ2倍のレニウム(Re:75番元
       素)であることが後からわかった。
        しかし、時すでに遅く、レニウムは1925年に発見されてしまっていた。結局、「ニッポニウム」
       は、質量数計算のミスからまぼろしの元素になってしまった。
        レニウムは、モリブデンに伴うことが多く、輝水鉛鉱(MoS2)には微量ながら
       含まれている。レニウムを主成分とする鉱物は・・・・1990年、択捉島の火山昇華物として、
       硫化レニウム(ReS2)が存在することがわかった。・・・・・・
        「ニッポニウム」がまぼろしになったうえ、それをそれを主成分とする最初の鉱物が、今はロシ
       ア占領下にある択捉島で発見されるという、日本にとってまるで75番元素から見放されてしま
       った感がある                                            』

 4.2 元素名の命名ルール

      元素の英語名の語尾は、”〜ium”である、と決められている。未だ見つかっていない元素の仮
     の名前の後ろがすべて”〜ium”で終わっているのからもお分かりだろう。

      ”〜”の部分には、@ 元素の発見者や、科学界で大きな功績を残した人名 A 元素を発
     見した国名や地名などに因むのが慣例のようだ。

 4.3 113番元素名
      私などは、ぜひとも「ニッポニウム(Nipponium)」と名付けてほしい一人だが、話は簡単ではな
     い。元素名はアルファベット1文字か2文字の”元素記号”で標記されるケースがほとんどだ。
      ”Nipponium"だと、”Ni”とか”Np"とかになるのだが、これらはすでに「ニッケル」と「ネプチウム」が
     あって使えない。
      元素の発見者と言っても一人ではないし、仁科、湯川、朝永先生の名前なども取り沙汰され
     ているようだが、今の若い人にとってなじみ深いとは言えないだろう。
      「日本」のフランス語名、”Japon”を活かしてもらい、”Japonium”というのが一番だと思う。かつ
     て世界を席巻した「ジャポニズム」にも発音が似ていて、外国人にも受け入れやすいと思う。

      見ず知らずの赤子の名前を心配しても始まらないのだが・・・・・・・・・・。

5. おわりに 

 (1) 大津事件をめぐる人々
      伝記を読むと、メンデレーエフは高等師範学校に入学、天才としての頭角をあらわし、22歳で
     ペテルブルグ大学の化学講師に任命され、翌年にはドイツ留学の夢も叶える。彼の業績を見渡
     してみると、「周期表の発見」はごくごく小さな成果にしかすぎないことを知り、凡夫の及ぶところ
     でないと思い知らされる。

      人間としてのメンデレーエフは、『多情の人』だった。家庭では激昂しやすく、妻がいるにもかか
     わらず別荘を訪れた姉一家の家庭教師に結婚を申し込んだり、挙句、43歳の時に妻を離縁し
     17歳の美校生と結婚すると言い出した。年の差婚のさきがけでもあった。ロシア正教の当時の
     ロシアでは、離婚・再婚は簡単ではなく、法的に結婚が認められたのは1882年、48歳の時だ。
      先妻との間に娘・オリガと息子・ウラジミールがいた。後年、ウラジミールは海軍士官としてロシア
     皇太子・ニコライに随行するなどして何度か日本を訪れる。

     
             メンデレーエフと先妻の子ども
              【車輪の脇がウラジミール】

      明治24年(1891年)5月11日、日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)
     が、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りつけ
     られ負傷した暗殺未遂事件、いわゆる「大津事件」が起きる。
      列強の1つロシアの艦隊が神戸港にいる中で発生した事件で、武力で報復されるおそれもあり、
     明治天皇は直ちに列車で東京からお見舞いに駆け付けたが、会わせてもらえず、会えたのは皇
     太子がロシア艦に移ってからだった。

      ロシア側の顔色を窺う政府高官は犯人の津田に死刑を求めたが、大審院院長(現最高裁
     長官)の児島惟謙は「法治国家として法の遵守」を盾に、津田を無期懲役とした。津田は、
     北海道・釧路集治監に収監されて間もない、同年9月に獄死した。

      皇太子を切りつけた津田を取り押さえた人力車車夫2人には、日露両国から勲章・報奨金・
     終身年金が与えられた。車夫の一人は、持ち慣れぬ大金で身を持ち崩し、明治37年に日露
     戦争がおき、ロシア側の年金を日本政府が止めたこともあって貧窮の内に亡くなった。
      もう一人の車夫は、堅実な道を選び、報奨金で田畑を買い、議員を勤めるまでになったが、
     日露戦争が始まると露探(ロシアのスパイ)扱いされ、特に戦死者の遺族から糾弾を受けた。
      ( 津田が日露戦争まで生きていたら、評価は全く違ったものになっただろう )

      皇太子はロシア最後の皇帝・ニコライ2世となったが、ロシア革命で一家は惨殺された。

      さて、メンデレーエフの息子・ウラジミールは、何回か日本を訪れ長崎の日本女性・タカと恋に
     落ち、身ごもったタカを残してロシアに帰り、1898年12月、33歳で病死する。独身だったようだ。

     
                ウラジミール

      タカが書いた手紙がサンクト・ペテルブルグ国立大学付属メンデレーエフ博物館の文書館に残
     されているので、『地球一周旅行』で、現物を何とか見てみたいと準備中だ。

 (2) ♪♪ 水兵リーベ(ドイツ語:愛する)僕の船 ♪♪
      以前、HPに「封鉛」のページを掲載した。同じような内容を「甲府郵趣」にも寄稿し、例会で
     鉛について、解説した時、会員のKさんが、♪♪ 水兵リーベ僕の船 ♪♪ 、と唱えはじめた。

      ・郵便物逓送用 封鉛(ふうえん:Sealing Lead)の研究(1)
      ( Study of Japanese Postal Sealing Lead -No1-, Yamanashi Pref. )

      Kさんは、「周期表」の元素の順番を語呂合わせを覚えていたらしい。ネットで調べると、語呂
     合わせが何通りかあったので一例を紹介する。

      『 水兵 リーベ ぼく の  ふね、仲間がある、シップス クラーク、 軽いスコッチ
        H He Li Be B C N O F Ne Na Mg Al  Si P S Cl Ar K  Ca Sc Ti

       バクローマン、 鉄のコルトに 銅鉛(どうえん)かけて、明日は千 秋 楽 』
        V Cr  Mn  Fe Co  Ni Cu Zn    Ga Ge   As  Se Br Kr

6. 参考文献 

 1) 高木 仁三郎:新版 元素の小事典,岩波書店,1999年
 2) G・スミルノフ著、木下 高一郎訳:メンデレーエフ伝,講談社,昭和54年
 3) 森田 浩介:「新発見の113番元素 〜日本初の新元素発見なるか?〜」
           日立技術士会ニュース No.44,鞄立製作所,2006年
 4) 板倉 龍編集:周期表と元素,ニュートン,2012年
 5) 読売新聞:編集手帳 2016.1.6,同社,2016年
 6) 読売新聞:新元素発見 再び挑む 2016.2.2,同社,2016年
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